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ふたつの「ラインゴルト」 [音楽・メルクリン ]

 いま私は二つの「ラインゴルト」にはまっている。一つはいうまでもなくワーグナーの楽劇「ラインゴルト」であり、もう一つはメルクリン社のロングセラーである昔のブリキ製をいまもしつこく作り続けている1920年代頃のいわば初代の「レトロ・ラインゴルト」5両セット客車。

 息子にいわせるとこの製品はメルクリン社は売れば売るほど赤字になるセットなのだそうだが、あまりによくできているので、と私の許可も得ずに買ってしまった(もちろんツケはわたしにまわる)。しかしこれはとてもブリキ製と思えない精度の高さ、クオリティの上質さ。勝手に無許可で高い物買われるので、私はそのたびに支払いに四苦八苦させられるのだが、それでも実物を目の前にすると、何故か納得してしまうのだ。これでうちには時代の違う「ラインゴルト」客車セットが4組も存在することになる。あ〜あ。でもこの「ブリキラインゴルト」18型の機関車にひかせるとこたえられないねえ。残念ながら実物の「ラインゴルト」はもはや存在しない。

 もう一つの「ラインゴルト」。これは話が少し難しくなる。ワーグナーはベートーヴェンを非常に尊敬し、多大の影響を受けた、とはよく物の本に書かれていることだが、「ハンマークラヴィア」ソナタを研究しているうちにふと思いついてラインゴルトのスコアをもう1度読み直してみた。「指輪」のライトモティーフの変容をみているうちに、これはまさにこの「ハンマークラヴィア」の発生動機の変容のさせかたをワーグナーはそのまま楽劇に応用したものではないか、と私は考えるに至った。第1楽章を「ラインゴルト」、第2楽章を「ジークフリート」、第3楽章を「ワルキューレ」、第4楽章を「神々のたそがれ」、と仮に当てはめるのはあまりに乱暴に過ぎようが、「ハンマークラヴィア」の巨大なソナタ全体がいくつかの発生動機を変容させて組み上げられている曲の構造はまさにワーグナーがもっとも共感したところではなかったのか。

こんな話もどこか、誰かと議論したいなあ。


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コメント 10

Akira

2つのラインゴルトのお話を興味深く拝読させていただきました。元々語源は同じでしょうが、より私の興味が深いのは、やはりメルクリンモデルです。戦前の豪華客車であるブリキ製のモデルは持っていませんが、同じブリキ製ベースのF-Zug"Glueck Auf"は持っています。以下写真です。
http://www.thundernet.or.jp/~PwM/mv/Speisewg_ep3_DSG/1920.JPG
これは、実車も同様ですが、サロン客車だったものを戦後個室と食堂車に改造したもので、メルクリンはこの客車セットとその後、化粧缶入りラインゴルトを1回リリースしたのを最後に生産を完了しました。なんでも、金型自体の寿命が短いようです。
さて、私の今のお気に入りのラインゴルトは、終戦直後の1951年から走り始めたF-Zug Rheingold-Expressです。客車は、スカート付きのSchuerzenwagenで食堂車は赤のDSGの営業が認められず(敗戦国の悲しさ...)紺のワゴン・リ(CIWL)でした。しかし、BR03.10形が牽引するこの列車の颯爽と走る姿を写真で見るにつけ、惚れ惚れとします。私のDSG食堂車付きRheingold-Expressは以下写真です。
http://www.thundernet.or.jp/~PwM/Special/2950.JPG
ドームカー付きのラインゴルトも流麗で美しいですが、戦前から戦後に掛けたドイツの列車は、他の列車を罵倒する力強さを感じます。
最近は、そのBR03.10形をmfxデジタル改造なぞしています。
http://www.thundernet.or.jp/~PwM/br03_1043-mfx-digital.html
やはり、メルクリンは奥深いのでハマりますね。
by Akira (2006-05-21 21:11) 

klaviermusik-koba

Glueckaufですか、うん、懐かしい列車ですね。1962年頃Wuerzburgあたりを4両の1等車のみの編成で疾走しているF-zugを時折見かけました。もちろん私は戦前の列車は知りません。ラインゴルトに最後に乗ったのは、マンハイムで分かれて、クラブカー付きのわずか3両の列車でした。200キロ運転のためドームカーも外されていました。103華やかなりし頃です。
koba
by klaviermusik-koba (2006-05-22 19:05) 

Akira

"Glueckauf"という名前、以前は何か知りませんでしたが、たまたま私が所属している某県の日独協会に若い頃ドイツで炭坑夫をしていた方がいらして、"Glueckauf!"という言葉には深くて愛情のこもった意味のある挨拶であることを知りました。この列車名もそんな場所に相応しくルール工業地帯とPassau、一部ウイーンまでを結ぶ列車だそうです。1962年は私もまだ生まれていませんでしたが、写真の編成は1952年頃の仕様で、3等級制の時代でした。ですから表記は全て2等です。2等級制になった1965年以降の御覧になった1等のみの編成も見てみたいものです。まだ旧ラインゴルト客車が使われていたのでしょうか?
最後にお乗りになったラインゴルトは、ドームカーがないとはいえ、他のTEEとは一線を画すオレンジ帯付きの一等車編成(Rheingold '83)ですね。これを是非メルクリンでも製品化して欲しいと要望書に書いて開発担当氏に見せたところ、返事はありませんでしたが、「なるほどね!」という仕草をしたのを憶えています。実現して欲しいモデルの1つです。
そう、実車の方もドームカーは北欧から古巣のドイツに戻りTEE塗装で動態保存の方向のようです。
長くなりました。
by Akira (2006-05-22 21:58) 

Akira

すみません、先程の文章の年号に誤りがありましたので訂正させてください。

誤).....写真の編成は1952年頃の仕様で、3等級制の時代でした。ですから表記は全て2等です。2等級制になった1965年以降の.....

正).....写真の編成は1954年頃の仕様で、3等級制の時代でした。ですから表記は全て2等です。2等級制になった1956年以降の.....

この時代は鉄道業界でもまさに激動の時代ですね。そう、今年のワールドカップドイツ大会に合わせてメルクリンが企画したインサイダーモデルのVT08.5は、ドイツ初のTEEで1954年のドイツチームの「ベルンの奇跡」の凱旋時に使われた列車だそうです。モデルでもサウンド機能の1つに当時の実況アナウンスが入っているそうです。
by Akira (2006-05-23 10:16) 

klaviermusik-koba

送、私が留学した1960年はもう既に2等級制でした。F-zugは1等のみ、D-zugは1,2等列車で格が落ちる。そのころからぼつぼつTEEが運行されはじめ、なかにはミュンヘンーミラノ間の「MEDIORANUM」というたった2両のTEEもありましたが、車内でPaskontorolleをやるので国境で1時間も待たされる、ということのない特別列車でした。
by klaviermusik-koba (2006-05-23 12:30) 

Akira

Passkontrolleと言えば、やはりベルリンに列車で行った時のことを思い出します。私がドイツに渡った1988年当時(そう渡独前に一度お宅にお邪魔して大変お世話になりました)のHannoverとBerlinを結ぶD-Zugは国境駅で1時間ぐらい東独警備隊?のコントロールを受けました。犬を連れて隅々まで調べる警備隊員の仕草に一種の恐怖感を憶えた記憶が残っています。その路線も現在ではABS化され、ICE3が280Km/hで駆け抜けます。時代は変わりましたね。
あと、Berlinから友人と2人でDresdenへ1泊旅行した時もBerlinでS-BahnのFriedrich Str.駅のコンコースでパスコントロールを受け、鞄の隅々まで調べられたことも憶えています。あの過去にタイムスリップした様な不思議な感覚といつも監視されているのではないかと感じる恐怖感は今はもうないでしょう。
脱線してすみません。
by Akira (2006-05-23 20:50) 

klaviermusik-koba

ラインゴルトに使われていたドームカーはしばらく北欧にいてイベント列車に使われていたのがまたドイツに戻ったそうですが、その後の消息をご存じですか?(北欧時代のスエーデンの機関車付きのワンセットがうちにありますが)

それと昔オランダとスイスを結んでいたTEEのディーゼル列車とノースランダーという名称でカナダにいたときの2編成があるのですが、これも里帰りをする、という噂は聞いたもののその後どうなってるかご存じでしたら教えてください。
by klaviermusik-koba (2006-05-24 11:44) 

Akira

はい、TEEラインゴルトに使われていたドームカーは、昨年北欧での役目を終え、本国ドイツに戻って来たようです。その数はわかりませんが、現在はレストア中か、もうそれも終わり動態保存の準備中かも知れません。
おそらく既にDB-Museumの所属ではないかと。

あと、RAm/TEEですが、スイスに本拠地を置くTEE-ClassicsというTEE専門の保存団体がNorthlanderから買い付け、スイスに持って来ましたが、最近オランダのTEE保存団体に売られたようです。

スイス:
http://www.tee-classics.ch/

オランダ:
http://www.stichtingtee.nl/

スイス時代は、Northlander塗装のままでしたが、オランダに戻り動態復活するのか?楽しみです。
by Akira (2006-05-24 14:30) 

klaviermusik-koba

有難うございました。もう一つ伺うのを忘れました。Northlanderで最終的に使われていた.GM製(?)の機関車はどうなったのでしょうか。オリジナルのオランダ製のはカナダでポンコツになったのでしょうか。

(追伸)ラインゴルトの休止でお役後免になった、オレンジの帯のままで、それに定員54人のゆったりした1等車、はからずもZuerich-Muenchen間のECで再会し、ラインゴルトに乗った気分を味わいました。
by klaviermusik-koba (2006-05-24 17:32) 

Akira

GM製のF7機関車ですが、私も未確認です。もし動けるならば今でも使われているでしょうし、F7と言えばかなりの年代物ですから一緒に廃車扱いになったのかも?
すみません。お答えできなくて。
オリジナルのRAm動力車は、一度は廃車になったと思いますが、先のTEE-Classicsの文書では、スイスからオランダに渡って再び動けるようにすると記されていますから、もしかして連れ戻されたのかも...。

ラインゴルトについてはなんと明日の25日にWuppertalからHeidelbergの往復でTEE Rheingoldが復活します。

http://www.ake-eisenbahntouristik.de/fahrten/?reise_id=226&t=1

これにレストアされたドームカーが連結されるのではないでしょうか?
要チェックですね。

オレンジ帯のTEE客車(Rheingold '83)は私も渡独当時発見しました。どうやらTEEが無くなっても特に変更されぬままIC/ECで運用されていたのですね。
その後90年に当時のドイツ国鉄デザインセンターで実習した時に、この客車のデザイン検討に使われたと見られるH0モデルを発見しました。それには、オレンジ帯ではなく金帯だったのを発見して、なるほど〜!と思ったものでした。また脱線失礼。
by Akira (2006-05-24 20:50) 

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