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大学経営術 昔と今 [音楽大学]

私はこんなことやるために札幌に行くわけではないのだがなぁ、と思いつつも昨日は会議だけのために朝5時起きして札幌日帰りをした。私は乗り物で旅行するのは好きだからそのこと自体は苦痛ではない。

札幌大谷大学に音楽学部が創設され、私は学部長という立場なので、音楽に続いて、懸案の美術学部を立ち上げるかどうかの決断をする、という重要な会議なので、欠席というわけには行かないのだ。少子化のこの時代、新しい学部を立ち上げるのは容易ではない。しかし短大のままではこの先先細りであることは確実だし、どうするかの重大な岐路に立たされている。

学園全体の問題なので、高校から借りた金の何億だかをどう動かすか、とか借金の返済をどうするかなど、どれも億単位、もしくは何十億単位の話で、わたしにはまるきりちんぷんかんである。とにかく今の私学は、行くも地獄、戻るも地獄なので、決断は容易にはでない。坊さんは俗世間に疎いから金勘定も音楽家の我々と似たりよったりなものか、と思っていたが,議論をきいていると、いやなにどうして、なかなか侮りがたいものがある。

音楽学部と美術学部はやはり対等に必要で、どちらも地獄なら、進んだ方がいい、というのが私の基本的立場。これまでは。金勘定をする理事側と、現場で仕事をしている先生との意思疎通がうまく行っておらず、それがことあるごとにギクシャクする要因になっていた。私は着任早々、理事側と現場とをもっと風通しのいいものにしたいと考え、それを訴え続けたので、そのための会合が定期的にもたれ、お互いの相互理解が始まったのはプラスだと考えている。しかし難問は消えるどころか、それによってますますこれまで裏に隠れていた新たな難問が噴出してきた。でも先生たちも理事の考えを理解し始め、理事長や理事も現場の先生の声をナマで聴く、というのは一歩前進であろう。

この年になって大学の経営に足をつっこんでみるのも自分としてはこれも良い経験だと思っている。私は好奇心が強いから、いやなことを無理矢理やらされている、という自覚はあまりない。幸い私はあちこちの私立大学や企業に関係した経験は相当豊富だし、人脈もある程度あるから、この大事な時期に何か役に立てれば幸いと思っている。

その昔、メンデルスゾーンが音楽院を立ち上げ、シューマン、クララ、ダーフィト、モシェレス等当時のそうそうたる音楽家ではじめた音楽院も結局あまり長続きせずポシャッているのを見ると、いい音楽家を集めたから理想の音楽学校が出来るというものでもないようだ。優秀な経営者と、優秀な音楽家がそろってはじめて可能になるのかも知れない。


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