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日本に来たP8とS10(1) [ドイツの蒸気機関車]

 このタイトルは正しくはないが全くのまとはずれ,というほどでもない。1910年,日本はロシアに辛うじて勝利を収め,双方で結んだ日露条約の中に,鉄道マニアにとっては見逃せない項目がある。それは東京から下関,朝鮮経由でシベリア鉄道を通り、直通ではないが連絡しながらパリまで到達できる列車を走らせる,という壮大なプロジェクトであった。掛け値なしのオリエント・エクスプレスである。その条約達成のため,日本では東京から大陸連絡船の港である下関まで,国際列車級の3軸台車をはいた1,2,3等急行を走らせる必要が生じた。

 当時の日本はまだ急行用は2—B型の機関車が主流であり,これではとてもパワー不足で、曲がりなりにも国際列車を走らせるにはとても無理。新しい強力な機関車を導入しなければならない。それには動輪が3つあるC型が絶対必要とされた。当時まだ日本の技術では動輪の3つある機関車を開発することはできなかった。したがって輸入に頼らざるを得ない。
 
 そこで目を付けたのが当時のプロシャですでに定評のあったP8,さらに最新鋭のS10というわけである。最初にボルジッヒに依頼したのがP8の狭軌版である。最新技術の過熱式を条件に加えることを忘れなかったのはさすがというべきか。この機関車は日本では8800型と名付けられることになる。ついで,当時急行列車用のエース,S10をモデルにした日本名8850型。いずれも2—C型のテンホイラーという共通項はあるがS10の方は当時の日本の技術者の目から見て,かなり奇想天外にうつったようである。(この項続く)




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