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芥川賞と石原慎太郎 [芸術一般]

 「ばかばかしくてやっていられない」という石原慎太郎氏が芥川賞の審査員をおりた、という新聞記事が物議をかもしている。私は石原さんの特別なファンというわけではないが、こと芥川賞に関してはわかる気もするのだ。今回の芥川賞作品は読んでいないが、数年前から幾つかの受賞作品、中でも若い人たちの受賞作品も多少は読んでいたからだ。芥川賞受賞、というタイトルさえなければ私はそれらの作品を最後まで読む気は起こらず、最初の数ページでで投げ出してしまったと思う。

 もとより、私の接していない作品のなかにはすぐれた作品もあるのだろうから、何もかもが悪い、というつもりはないし、正しくもない。が、最近iPadでむかし読んだはずの芥川龍之介、菊池寛、宮沢賢治などの作品を改めて読みなおしてみて思うのは、石原さんが最近の作品はばかばかしくて読めない、どだいなっていない、と業を煮やして審査員をおりたのもわかる。私も芸術のはしくれに携わるものとして、受賞作品の選定のために、仕事として作品をとりあえずたくさん読まなければならず、その結果、心に訴えるような作品に出会わないとすれば、多大な労力を費やす割に、精神的に報われるものがない。徒労感だけが残る。わかる。

 ひとことでいうと、どだい思想がないのだ。私は文学については全く素人だからえらそうなことはいえないけれど、受賞作品は多分評論家の目から見れば文章としては新しい視点があり、それなりに非凡なものがある、ということもわかる。しかし繰り返すが気の利いた文章はあるが思想がないのだ。

 実はこれは私の専門領域でもある現代音楽についてもいえる。若い頃私は「現代音楽」を理解出来ないのは自分が到らないせいで、勉強が足りないからだ、とひたすら理解に努めた時代もあった。しかし、20世紀に書かれた音楽作品で200年あとに古典として残るものがはたしてどれほどあるだろうか。わたしもいまは「自分のこころにふれないもの」からは音楽も文学も美術ももう訣別しているのだ。

 最後に一言私なりの感想をいえば、石原さんは審査員をおりるのがあまりに遅すぎた。それはなにもいまに始まったことではないからである。それともうひとつ。にぎにぎしくマスコミでインタヴューに応じる必要もない。だまってやめればいい。

 

 
 
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