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前田豊子先生と私 [洗足学園音楽大學]

 3日ほど前、洗足学園大学前理事長、前田豊子先生の没後20年を記念してメモリアルのミサが赤坂の霊南坂教会で行われ、そのあと、ホテルオークラで懇親会がもたれた。現在の教職員、というより、前田先生にゆかりの深い人たちが中心の会である。

 私がドイツから帰国して間もなく、まだ短大時代だった洗足学園から声をかけていただいたのは26歳のときだから、それ以来、いろいろな大学と関係は持ったものの、50年ものおつきあいになる大学は洗足学園をおいてほかにはない。芸大の教授時代も細々ながら、客員教授という形で何らかの関係を保ってきたから、一つの大学に半世紀以上も在職している先生などそう滅多にいないのではないか。まだ若い頃には私のリサイタルも積極的に応援して下さり、東京文化会館の大ホールで何度もリサイタルができたのは、ひとえに前田理事長の全学挙げての応援、という後ろ盾があったからでもある。「大学などそんなに出なくてもいいから演奏活動を積極的にするように」。音楽家でもない理事長がこんなことを言ってくれる音楽大学がどこにあるだろうか。当時,私だけが特別扱いだったわけではなく、ほかの先生たちにも「先生たちが演奏会をなさるなら同じように応援をしますよ」とは前田理事長はいわれていた。しかし残念ながら当時、せっかくのチャンスをうまく活用できた先生はあまり多くはなかったようである。

もう一つ前田豊子先生には思い出がある。それは、若い先生方の個人生活にも気を配られていたことだ。「先生方、今のうちに持ち家をお考えなさい。最初は30坪の土地でいいのです。お金を借りる必要があれば、私が銀行に口を利いて保証人になってあげます」(当時はまだ住宅ローンなどというものはなく、銀行から金を借りる、ということは普通の人にはできなかった)日本が高度成長期にさしかかっていた時である。先見の明があったというべきであろう。この提言を聞いて実行した人はいまや相当な資産家になっていると思われるが、結果については私も見届けてはいない。そもそも音楽家は経済にうとい。これについては私もまだ20代、ひとごととして聞いていた。スケールの大きい方だった、ということは今にしてよくわかる。

最近では日本ショパン協会主催のショパンコンクールも、大学のホールから,オーケストラ,すべてを「無償で」提供して下さったからこそできたもの。その意味では私には一生頭のあがらない大学ではあるのだが、それだけにこの大学には借りがあまりにも多すぎて、死ぬまで借りはとても返せそうにない。

 ミサの最後にバッハの教会カンタータ第106番 「神の時はいと良きとき」(Gotteszeit ist aller beste Zeit)がフル編成で全曲演奏された。誰の発案かは知らないけれど、こういう場面にふさわしい
選曲はこの曲をおいてほかにない。洗足学園もこういう知恵者が増えた、ということは大学の成熟度を物語るものだと思う。音楽家の列席は多かったが,この選曲の意図を理解できた人はほとんどいなかったのではないか。演奏の前にひとこと解説があると良かった。演奏の解釈もほぼバッハの時代に行なわれたであろう、小編成のオーケストラも,合唱の人数もバッハの通りの再現である。

考えてみれば,洗足学園ばかりでなく,いかに多くの人たちの世話になりながら自分はこの生涯を歩んで来れたのだろうか、それに対して自分は社会に何ほどのお返しできているのだろうか、との思いを抱きながらホテルオークラをあとにした。



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