SSブログ

Friedrich Strasse [古い旅のアルバム]

写真.JPG
ちょっとこわいけれど、懐かしのフリードリヒ・シュトラーセです。1991年現在の情景。冷戦時代のベルリンから見ると夢のようです。もう現在では電化しているのだと思いますが、この当時はこんな具合でした。Rheingold用の塗装の違う一等車、それを牽引するのが「リュドミラ」。どこ行きかわかりませんが、ディーゼル牽引であるところを見ると、やはりワイマール、ドレスデンあたりへ行くICでしょうか。「リュドミラ」もまだまだ現役で活躍しているみたいで、スピードさえ要求されなければ、結構頑丈に作られていて、まだ非電化区間では無くてはならない存在のようです。ニックネームのご本人、プーチン大統領の奥さんだったリュドミラさん、離婚してもなおこの機関車で名声を残す。
nice!(2)  コメント(12)  トラックバック(0) 

nice! 2

コメント 12

Akira

こんにちは、kobaさん。

1991年のベルリンは再統一後ですが、まだまだ風景は東ベルリンという感じに見えますね。IC列車のネットワークは、DRが加わることで94年の民営化迄は、緩やかに共通化が図られて行った記憶があります。過渡期はVT11.5がICで再び定期運用に就いたりと、興味深い展開もありました。
by Akira (2013-07-14 17:19) 

klaviermusik-koba

確かにまだ東の雰囲気は残っていますね。でも西と東の車両がごっちゃに編成されるのはそれまでなかったので、やはり鉄道としては面白い時代の移り変わりではありました。が、その移行期はakiraさんの方がずっと良く観察されているでしょう。その辺の面白い写真もお見せください。

VT11.5がInterCityになると当然1.2等列車になると思うのですが、内装はTEE時代の座席配置は変更をしたのでしょうか。これはゴッタルトでも「ルーベンス」でも言えることですがどう対応したのでしょう。
by klaviermusik-koba (2013-07-14 19:51) 

Akira

こんにちは、kobaさん。

それがあまり写真には収めておりません。ベルリンにもこの時期には2度ほど出かけましたが、クルマだったり、仕事だったりで...。

VT601(11.5)のIC Max Liebermannですが、当時ハンブルク-ベルリンは非電化路線で戦前のFliegender Hamburgerのような俊足なダイヤを組めず、随分時間が掛かっていたようです。そこで白羽の矢が立ったのがDBのVT601でした。DRはDBからこの車両を借り受け、外観も一新し正面にはDBマークからTEEマークに復活。そして先頭車側面にDRロゴを付け、色合いも若干明るめの赤とクリームに塗り分けられました。おそらくインテリアは変わらずで、2等車も設けたと思いますが、元1等車だと思います。
以下サイトに沢山の画像が掲載されています。
http://www.bahnfotokiste.de/hamburg/601_DR/index.html
by Akira (2013-07-14 20:14) 

klaviermusik-koba

akiraさん、こんばんは

この塗色も実にいいですね。すばらしい。DRのロゴがもう少し、という気がしますが、それを別にすればもともとのデザインがいいので、いろいろ他にも面白い塗色が考えられそうです。やはりディーゼル列車デザインのなかでも例を見ないもので、人気があるのもよくわかります。
by klaviermusik-koba (2013-07-14 21:13) 

HUH

貴重な写真を有り難うございます。
Friedrichstrasseには最近何度か足を運びましたが、駅舎はあまり変わっていなくとも、雰囲気は随分と異なりますね。

Berlin - Hamburg間をFliegender Hamburgerは138分で走破しましたが、水準を上回ったのは路線改良工事が終わり最高230km/hに引き上げられた2004年のことです。VT 11.5もFliegender Hamburgerの水準で走ることは到底できず、それも故障が頻発してわずか2か月弱で営業運転を終えてしまいました。今も103形が営業運転に使用されていますが、復活運転という意味合いもあったのかもしれませんね。
by HUH (2013-07-15 07:54) 

klaviermusik-koba

FriedrichStrasseは私にはあまりいいイメージはないのですが、当時西ベルリンと東ベルリンをつなぐただ一つの駅でしたから、それがこれだけ変わったのにもびっくりしたのです。

Friegender Hamburger の記録は当時として画期的なことで、私も子供心にドイツにはそんなすごい列車があるのだ、とは本で読んで知ってはいました。ディーゼル列車で高速記録を出せた当時の技術は大変なものだったのですね。なるほど、今は103型が牽引する客車列車になっているのですか。
by klaviermusik-koba (2013-07-15 10:09) 

HUH

すいません、書き方が悪かったですね。103形は通常の営業運転に用いられていますが、区間はMuenchen-Nuernberg、Stuttgart-Mainz-Koeln-Muensterなどです。
Hamburg-BerlinはICEやEC/ICが多数運行されています。
by HUH (2013-07-15 10:20) 

klaviermusik-koba

はい、今ではまあICEでしょうね。でもまだ103牽引の列車も残っている、というより残してあるのでしょう。乗るなら今のうち、ということでしょうか。
by klaviermusik-koba (2013-07-15 10:29) 

BOAC VC10

Kobaさんこんにちは。
Hbfの運転会からご無沙汰で、久々の書き込みで申し訳ございません。

VT11.5→VT601がTEE・ICから引退した後、80年代は「Alpen-See-Express」として臨時列車用に使われていましたが、その際に開放室は2列-1列から、当時のIC 2等車用の2列-2列の座席に置き換え、コンパートメントはそのままに2等へ格下げになっています。
「Max Liebermann」の時は開放室は2等、コンパートメントは1等で使われていたと思います。

元TEE車両の2等車格下げの例としては、「ゴッタルド」等のSBBのRAe TEE IIは、5・6号車の座席を同様に2列-2列にしてRABe「Grauen Maus」に、「ルーベンス」等に使われたSNCFのTEE INOX客車や「キャピトール」等に使われたGrand Confort客車に至っては、開放室だけでなく、コンパートメントまでも8人室に改装されました。
(80年代に入っても8人室コンパートメントのCorail客車を造っていたフランスらしい対応です。)

今やそれらの車両も引退して過去帳となり、時の流れも早いものです。
by BOAC VC10 (2013-07-15 17:32) 

klaviermusik-koba

BOACさん


詳細な情報ありがとうございました。こういうことはなかなか日本ではよくわからないのでありがたかったです。
TEEからICへの変更で座席をどのように格下げしたかは興味がありました。コンパートの客車で8人、というとすこしきついですね。

1960年頃、もうほぼ一般の2等車のコンパートは一室6人、という定員が定着していたのですがD-Zugでイタリア直通の古いFSが8人定員というのが残っていて、一晩ずいぶん窮屈な思いをしたことが記憶にあります。

それでもFSの場合は標準軌ですから、まだいいのですが、スイスの氷河急行やMOBの客車は狭軌で、一等車でも2+2の座席配置ですから、ヨーロッパの標準としてはすこしどうかな、という気がしています。観光客は1等利用が多いので、定員確保に苦労しているらしい、と私なりに解釈しています。
by klaviermusik-koba (2013-07-16 09:29) 

K.

先生、この風景、今もそこまではかわっていませんよ。
でもかわっていないのはこの線路の状態だけ。

少し離れたところから写真を撮ったら、
びっくりされるかもしれません。

撮ってご報告しますね。
by K. (2013-08-04 14:44) 

klaviermusik-koba

Kさん、写真ぜひお願いします。まあベルリンのドイツ人も若い世代にFriedrch Strsseがどうたら、といってもあまりピンとこないでしょうね。
by klaviermusik-koba (2013-08-04 21:27) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

Stuttgart のCIWL札幌日記 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。