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ショパン家のワルシャワ [Literature]

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先週のことになるが「国立フリデリク・ショパン・インスティトゥート」の所長以下、在日大使館の文化担当者など、数名のポーランドからの訪問客があった。私は日本ショパン協会の代表として応対、いろいろ話を聞いた。インスティテュート、といえば研究機関であり、ショパンに関する権威、と見られそうだが、実はその実態は私にも明らかでない。この研究機関が設立されたのはまだほんの数年前で、今回の日本訪問の目的も、ショパンばかりではなく、ポーランドの音楽家をもっと広く知ってもらうため、ということで、初対面ということもあり、いまひとつ話のかみ合わない部分もあった。

インスティテュートの仕事の成果のひとつ、としてお土産にもらったのがこの「ピョートル・ミスワコフスキ著、平岩理恵訳、ショパン家のワルシャワ」である。日本語訳であるにもかかわらず、ポーランドで作られたもので、日本で売られているわけではない。これを日本でも発売したいが、という趣旨らしいのだが、どの出版社から、価格はいくらで、どういう販売ルートを通じて、どのくらいの部数で、という具体性に欠ける話し合いに終わった。

だが、内容は興味深いものである。著書は大きく分けて3部からなっており、

(1)ショパンの父親ミコワイ、フランス人だからニコラ、と言うべきであろうが、様々の事情でワルシャワに移住してからユスティナとの結婚まで
(2)姉ルドヴィカの誕生からフリデリクがワルシャワを離れるまで
(3)フリデリクが不在以降のワルシャワ

なお、前書きで、父ミコワイと母ユスティナの家系をたどれる限りの先代まで辿っているが、いずれも音楽家、ないしは芸術家とは無縁の家系であったようで、これで見る限り、フリデリクはまさに突然変異とでもいうべき特異な存在といえる。

およそ一世紀にもわたるワルシャワのショパン家とかかわりのある、人物、劇場、建物、教会、本屋、学校、カフェその他について地理的調査したもので、当時のワルシャワの地図と現在の半透明の道路地図とが重なって見られる工夫がしてあるのは親切。巻末の付録にある1838年に作られたワルシャワ市の地図のファクシミリは貴重。ショパンの姉妹、友人、その他ショパンに関わりのあるものと特定できる(ワルシャワの)場所はことごとく網羅されており、著者によれば、2010年の記念の年でさえ、案内書などには数々の誤りが見られ、それを正しく改めた、という意味では大変意義のあるものといえる。ショパン家がワルシャワ在住中、ずいぶん何回も住居を変えているのも、興味のある人は全てこれでたどることができる。日本で出版されればショパンに関する貴重な文献となろう。
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