ホームカミングディ(1) [音楽全般]
ホームカミングディ、というのが大抵どこの大学にもあるのだそうである。私の出身大学でもこれをやろう、ということになったらしい。芸大卒業生の全国組織として「同声会」というものがある。まあいえばただの卒業生の親睦団体に過ぎないが、1896年、第一回の同声会が行ったコンサートの再現をやろう、という試みである。その試みの「第一回」なのであるから日本の音楽史の観点からみても意義深い。
たかが卒業生の演奏会、などというなかれ。1896年の日本の音楽界としては、画期的なものであったらしい。何しろ、東京音楽学校の卒業生以外、まともに西洋音楽を演奏できる人があまりいなかった時代だったから、反響も大きく、当時21才になったばかりの上田敏が演奏会を聴き「文学界」という雑誌に何ページにも亘って詳細な曲目、出演者、さらに一つ一つの演奏について自身の批評も含めて記録を残してくれている。この資料が今回のプロジェクトの大きな助けになったようである。批評は的確で、よくない演奏に対してはなかなか手厳しい。「日本をこれから背負って立つ音楽家がこれでは困るではないか」というわけだ。
プログラムは幸田延が大活躍である。メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトのソロをやり、ブラームスやシューベルトの歌曲を独唱もした。(ちなみにこの年はブラームスはまだ存命) 私が驚嘆したのは、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタのハ長調の長大なフーガにシューマンがピアノ伴奏をつけたものを引っ張り出し、(シューマンのピアノ伴奏付き、という珍品の存在を幸田が知っていたこと自体すごいが)当時の日本のヴァイオリニストの技術ではとても弾けないソロパートを4つのヴァイオリンとピアノのために4声の完全なフーガに編曲しているのである。こうすればヴァイオリンの演奏は格段に容易になるだけでなく、4声フーガを一人のヴァイオリニストにひかせる、という無理をしないで済む。こういう発想は現代にあっても、日本ではたぶん私以外思いつく人はそう多くはいないであろう。ピアノパートは幸田自ら受け持っている。ただし、この「幸田版」の楽譜は現在のところ見つかっていない。
滝廉太郎、山田耕筰、信時潔などまだ日本の音楽史に登場していない時代のことである。今日のプログラムは永久保存しておく価値が十分ある。
画像はプログラムの表紙と当日のゲネプロ風景
たかが卒業生の演奏会、などというなかれ。1896年の日本の音楽界としては、画期的なものであったらしい。何しろ、東京音楽学校の卒業生以外、まともに西洋音楽を演奏できる人があまりいなかった時代だったから、反響も大きく、当時21才になったばかりの上田敏が演奏会を聴き「文学界」という雑誌に何ページにも亘って詳細な曲目、出演者、さらに一つ一つの演奏について自身の批評も含めて記録を残してくれている。この資料が今回のプロジェクトの大きな助けになったようである。批評は的確で、よくない演奏に対してはなかなか手厳しい。「日本をこれから背負って立つ音楽家がこれでは困るではないか」というわけだ。
プログラムは幸田延が大活躍である。メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトのソロをやり、ブラームスやシューベルトの歌曲を独唱もした。(ちなみにこの年はブラームスはまだ存命) 私が驚嘆したのは、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタのハ長調の長大なフーガにシューマンがピアノ伴奏をつけたものを引っ張り出し、(シューマンのピアノ伴奏付き、という珍品の存在を幸田が知っていたこと自体すごいが)当時の日本のヴァイオリニストの技術ではとても弾けないソロパートを4つのヴァイオリンとピアノのために4声の完全なフーガに編曲しているのである。こうすればヴァイオリンの演奏は格段に容易になるだけでなく、4声フーガを一人のヴァイオリニストにひかせる、という無理をしないで済む。こういう発想は現代にあっても、日本ではたぶん私以外思いつく人はそう多くはいないであろう。ピアノパートは幸田自ら受け持っている。ただし、この「幸田版」の楽譜は現在のところ見つかっていない。
滝廉太郎、山田耕筰、信時潔などまだ日本の音楽史に登場していない時代のことである。今日のプログラムは永久保存しておく価値が十分ある。
画像はプログラムの表紙と当日のゲネプロ風景
2015-01-11 10:54
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