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鉄道模型の歴史 [メルクリン]

先日Hbfの運転会のとき、荒谷正雄さんの撮影になる戦前のメルクリンレイアウトの珍しい動画をご紹介した。その日は私の準備不足や、時間が少し足りなかったこともあって十分に意を尽くせなかったところもあった。メルクリン・マガジンの6/7月号をご覧になった方は、覚えていられると思うが、今だにドイツではこのように初代メルクリンの3線式レイアウトを楽しんでいる人もおられるようである。

これはドイツのメルクリン社が始めて鉄道模型をOゲージのシステマティックに開発して発売し、1895年から1954年まで約60年間に亘って築きあげたもので、世界初の量産鉄道模型である。話は少し飛ぶが、私の属していた1950年前後に発足した四日市レールファンクラブも同じOゲージ交流3線式であったが、このクラブではレールを3本使う、というのは我慢がならず、各自、木の厚板をいくつかに分割したオーバルに大工さんに切りだしてもらい、レールを犬釘どめし、その中間に第三軌条として、釘を等間隔に打ち、釘の頭に細い銅線を半田付けして、機関車は銅製のシューから集電していた。基本的に今のメルクリンと似ている。

鉄道模型の歴史上のエポックメーキングな最大の一つは、現在では鉄道模型の主流でもあり、誰もがごく当たり前だと思っている、2線式のレールから集電するために、絶縁車輪が発明、製造されたことだと思っている。これで第三軌条が不要となり、実物の線路に大きく近づいた。1955年前後のことである。それ以来YRFCではOゲージで急速に直流2線化が進んだ。一方HOゲージは1935年ごろには発足したが、1955年当時、まだ実際にOゲージに取って代わられるほどの精密さは期待すべくもなかったのは拙ブログの「ヴィンテージメルクリン」のところでご紹介したとおり。

1960年にドイツではじめて見たTRIXのHOはまだ3線式であった。その時代のメルクリンの交流、コンタクト方式は画期的であったが、フライシュマンの台頭で直流2線式が 注目を集め、メルクリン方式はもはや時代遅れ、と見られがちであった。1960年代は技術革新もあって、急速に「実物に可能な限り近く」が進んだ年代でもある。ただし、一方では鉄道模型は基本的に「すべて自作」が普通だったのが「完成品をただ買うだけ」に取って代わり、半年も一年もかけて自分で一両の制作に精魂込める模型作りの楽しみはなくなった。
(多分この項まだつづく)

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