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金正日 [政治]

 69才でなくなったそうだからこの人は私より6才も若い。まともな人生を送っていたらもっと長生き出来たはずである。金日成の後継者として、普通の人間には考えられないひどい恐慌政治を行ってきたが、ソ連の後ろ盾があった金日成の時代は去り、世界は大きく変わったにもかかわらず、金王朝を何としても継承しなくては、という、彼なりの使命感はあったのだと思う。このため国民はもとより、まわりがいかに迷惑を被ろうとも、である。

 これで一つの時代は終わった、と私は思う。彼の息子は当面、まわりに支えられて以前の路線を継承するだろうが、世界を見ると、チュニジアをはじめ、リビアやシリアなどアラブの独裁体制がつぎつぎに倒れているのを北朝鮮も見ているはずで、現在の北朝鮮のひどい経済状態を見てもいずれどこかで方向転換を図らざるを得ない。それがいつかはわからないが、良い方向に行けば、と期待している。黒船の来襲で幕藩体制が変わったり、1989年のベルリンの壁の崩壊を見てもわかるように、予想もしないとき、変わるときには世界は瞬時に変わるものだ。

 北朝鮮でも携帯がかなり普及しているみたいだから、国民を世界からつんぼ桟敷に置くことはだんだん不可能になってきつつある。実際北朝鮮の国民は、スローガン「強盛大国をひらく」などとはもう誰も信じてはいないと思う。その時日本はどうなるか。私にも予想はつかない。北朝鮮が平和になり、自由に往き来できるようになったら、北朝鮮の鉄道を真っ先に見に行きたい。ソ連なき今、ソ連時代の車両が残っている数少ない国であろうから。

困難な日本語 [プライベート]

 厚生労働省年金局から「国民年金・厚生年金保険の支払額のお知らせ」というものが送られてきた。私は基本的に年金生活者だから、このたぐいの文書には当然敏感でよく読もうと思ったのだが、この文書、私にはほとんど理解出来ない。

 年金の制度はこれまで何度か変更されているので、私の場合、これまでに払いすぎたから、戻せ、といっているのか、払い足りてないからこれから支払ってやる、といっているのか、など基本的なことすら十分理解出来たとは言い難い。ただ今度の振込予定額を見るかぎり、これまでよりすこし高い金額が示されているから、本来もらえるべき金額より少ししか支払われていなかった、だから今回その差額を支払ってあげる、というふうには読める。人間は自分に都合の良い方に解釈したがる傾向にあるから、多分後者なのではないかと期待したい。

 私は音楽学校出だから、平均的な日本人よりは日本語の理解能力は低いであろうことは常日頃自覚はしている。それにしても難解な文章である。そもそもこれ、日本語なのだろうか、とさえ思う。年金受け取り者にはさまざまなケースがあるから、それをどのケースにも当てはめられるよう、さまざまな事例をもらさず全部書き込んでいくとこうならざるを得ないのであろう。
それもわかる。それにしても、もう少しわかりやすい書き方にならないものだろうか。小一時間もかけて読んだが、結局、まあもらえるだけのものしかもらえない、と投げ出してしまった。

 自分のもらってる年金額はおかしいから厚生労働省にクレームをつけよう、というほどの日本人の語学能力、計算能力の高さには、ことの当否は別にしてもただただ感嘆せざるを得ない。

最後の(?)同窓会 [プライベート]

四日市中部中学校最後の同窓会になるかもしれません、という通知があった。滅多に出たことのない同窓会だが、最後かも、と言われたら出ないでいるわけにもいくまいと思い、出かけた。

私たちの学年は6つクラスがあった。受付で渡された名簿を見てまずショックを受けた。ひとクラス分の名簿かと思ったらこれで6学級分全部だという。残りは、亡くなっているか、病気で出られないか、もちろんほかの様々な理由で出られない人もいようが、それにしてもこの人数である。この年にもなると元気な人とそうでない人の落差は実に大きい。当たり前だが、元気であってもほとんどの人は退職しているし、自営業でもやめている人も多い。大きな声では言えなかったが、何十年も会わない人が多いので、こちらはもうほとんど「浦島太郎」である。特に女性は「誰ちゃんだねえ」とわかる人はほんの少数。

それでも私がわざわざ東京からきてくれた、ということには皆素直に喜んでくれたが、現役代表としてスピーチを、と急に言われて、人前でしゃべり慣れている私もこれには困った。様々な事情の人がいるであろうから、うかつなことはしゃべれない。自分の近況報告を、と思っても、そのこと自体自慢たらしく聞こえてしまうのが怖かった。結局のところ「やはりふるさとはいいねえ」かなにか、当たり障りのない話でお茶を濁さざるをえない。しゃべりながら、これもハッと思ったのは標準語のアクセントが抜けず、四日市弁で、と思ってもえらくぎこちない、しゃべるとこそれ自体皆に不快感を味わわせるのでは、などなど思うと、だらしないがもう冷や汗ものでほうほうの体で引き下がった。

昔、体格もでっかく、大きな顔でクラスを取り仕切っていた、近づくのさえ怖いくらいだったガキ大将はほとんどいなくなり、まあ普通だった子は今も普通でいるみたい、というのが総体的印象であった。今となってはガキ大将がいないのは寂しい。ガキ大将は、今もガキ大将のイメージのままであって欲しいが、年と共に私に丁重に接してくれるのもこれまた気持ちの悪いものである。向こうも気持ち悪かろう。

カノープ [ピアノ音楽]

唯一副科のピアノを教えている男の子がいる。もう4年生になるので、少し曲らしいものを、と思ってドビュッシーの前奏曲第二集のなかから「カノープ」を課題として与えた。これは弾くこと自体難しくないし、作曲を勉強するなら、これも一つの立派な作曲の手本になりうる、と考えたからである。

私は実際この子にはピアノはほとんど教えない。もっぱら彼が書いてきた作品をみてコメントするのだが、規定の時間の30分ははるかにオーバーし、一時間くらいに及ぶこともザラ。カノープは不思議な雰囲気を持つ曲で、たった33小節しかない小品。彼はだいぶん曲が書けるようにはなってきたが、まだ、曲の構造がよくわかっていないようだ。一般には「カノープ」はぼんやり弾いたり、聞いたりしていると、雰囲気はあるが何かつかみどころのない曲、というイメージが強い。これをソナタ形式でできている、というつもりはないし、ドビュッシーもそう言われれば怒るに決まっている。しかし、実に自由に、即興的に書かれていながら、やはりソナタ形式の基本構造が最小限に煮詰まった形で背景になっていると私はみている。もとより、ハイドンやベートーヴェンで言う意味でのソナタ形式とはちょっと違う。私のソナタ形式説に賛成しない人でも、ある種の統一的構成力が存在することは否定できまい。

即興的に書かれたようでも、ヨーロッパ人の書く作品には無意識のうちに構成力が働いている。作品はどう書いてもいいが、形式を無視して書いても、このような統一体としての構造物であるべき、ということを彼に説明をしたかったのだ。でも、これも私は「ピアノのレッスン」をしたつもりであって、作曲を教えたつもりはない。



3・11大震災あれから5年 [プライベート]

5年前のブログの記事を読み返してみたが当時のことについてあんまり大したことは書いていない。あまりにもことが大きすぎたのと、とりあえず自分は何をすべきかで頭がいっぱいでブログどころではなかったのかも知れない。震災が発生した当時、私は札幌大谷大学の学部長室におり、その夜行われるはずの卒業演奏会を実施するか中止するかの決断を迫られていた。助手から「奥様は無事であるという連絡が届いております」と報告があったので、東京の家のことは心配がなくなった。結局卒演は予定通り行われることになった。

今日はこれまで滅多にしないことだが、新聞に掲載された天皇陛下のお言葉と安倍総理の追悼演説に目を通して両者の内容を比較してみた。もちろん限られた時間内のコメントであるからどちらもいいたいことをすべていいつくしているわけではないが、やはり文は人柄をあらわす。

立場の違いもあるから単純に比較はできないかも知れない。とちらの追悼文にも必要なことはすべて触れられている。そこまでは全国民に聞かれ、読まれるのであるから一字一句考え尽くされたものに違いない。ただ違いは私の感想として、天皇陛下のほうがより具体的であるのに対し、安倍総理のほうは、どこかひとごとのような醒めたところがある。例えば、陛下のお言葉の中にあるような、漁船を守るために人々は勇敢に沖へ船をすすめた、というような具体性というか、より血が通っている雰囲気が伝わってくるのである。

どちらかというと型にはまりやすい形式的な追悼文にさえ、これほどの違いが出てくるところを見ると文章を書く、というのは怖いものだという実感がわく。

熊本地震(2) [一般向け]

以下は未確認情報もあって、そうでなければいい、と願いつつ、控えめに書くつもりでいる。

そういわれれば、であるが、NHKテレビも熊本を中心とした地震情報が震度いくつ、と九州全般にわたって報道されているが、なぜか鹿児島県だけが報道域外にある、しかも熊本県と隣接し活断層が繋がっているにもかかわらず、である。日本で唯一稼働している川内原発があるから、余計な情報を出して「原発を停止させろ」と心配する向きの疑念をかきたてないため、寝た子を起こさないためではないかと私は勘ぐっている。

もし、原発が大丈夫であるなら、なおのこと鹿児島県の地震情報も出すべきであろう。実際は鹿児島県内でも震度4とか3とかが観測されているのだから。川内原発の非常事態の避難方法として新幹線と高速道路があるから避難は万全、と報道されているが、現実は新幹線も高速道路も地震でマヒしてしまったではないか。こういう時は大丈夫 と思っても住民の安心と安全を考えるなら、原発は一度停止させるべきではないか。停止させても復旧に必要な電力は十分まかなえる、と聞いている。原発を一度停止させると再稼働がまた大変だから、と思っているなら何をかいわんや、である。

今の時点では大丈夫です、といくら官房長官にいわれても、全く嘘だったことは福島でつい先日、イヤというほど体験したばかりだから、一体誰が「大本営発表」を信じるだろうか。そう勘ぐられないためにも一旦は原発は止めるべきだと考える。

熊本地震 [一般向け]

いつ起きてもおかしくない、といわれている南海トラフ、東京直下型地震、ではなく熊本、という予想もしなかったところで災害は起きるようである。ともあれ、被害に遭われた方々に対し心よりお見舞い申し上げる次第です。

私自身は子供の頃、三重県にいて二度大きな地震を体験している。いずれも終戦前後で報道管制が敷かれていたから、どこで何が起こったのやら、現代のように逐一報道されないから何もわからないでいた。ずっと後で分かったことは、そのうちの一つは南海大震災であった。それもどこが一番被害が大きかったか、震源地はどこか、など何もわからずじまいである。自宅が潰れることはなかったが、びっくりして家の前の道路に飛びたし、しばらく震えがとまらなかったことと、近所の商店が倒壊したことなどは覚えている。情報がラジオ、それも報道管制下のもの以外何もない状態だったから、怖かったねえ、で終わりである。

3・11の時は家族の誰も東京にいなかったからどのくらい怖かったか、は分からなかったが、知人からの経験談を聞くだけであった。子供の時と比べて全く違うのは情報量の圧倒的な差である。TVでほぼ同時進行で事態の悲惨さがわかるのだから。感受性の強い子供の頃に見ることができたら自分の性格は変わったのではないかと思うほどの信じ難いことを目の前に突きつけられる。長らくコンクリート造りの住まいにいたせいか、現在の住まいを作るに当たって、近所を見渡してみて、よくみんなこんな密集した木造住宅に怖くもなく平気ですんでいられるもの、と慄然としたものだ。何が何でも鉄筋コンクリート作りにしなければ、という思いが強く、借金を重ねてとりあえず借金コンクリートではあるが目的は達した。達したものの、さきほど述べたように、自宅がいくらしっかりしていても、いざという時、自分も家族も家にいるとは限らず、家族全員が別の場所にいたら連絡さえままならない。

けっきょく「なるようにしかならない」という諦めにも似た気持ちでいる。これまでの人生、何事も運良く来たから、これからもこの運が死ぬまで続いてくれるか、あるいは、いっぺんにこれまでのツケをどかっと払わされる時が来るのか、誰にも分からない。



バスタ新宿 [一般向け]

バスターミナルを集約させた「バスタ新宿」日曜の午後、見物に出かけた。新宿駅南口、いつも工事中で渋滞に悩まされたところだが、スッキリした。バスターミナルといっても遠距離、せいぜい羽田空港までがその対象で、路線バスは対象になっていない。見学したのは16時前後でバスの数はちらほらだが、これが夜になれば、さまざまの路線の夜行バスで埋め尽くされる。路線数の多さに圧倒されるが、これだけの夜行バス路線が充実すれば、残念だが寝台列車がなくなるのも無理はない。時代の趨勢であろう。

JR新宿駅の線路上に巨大な構築物ができたわけだが、新幹線が集中したのが東京、遠距離バスの集中したのが新宿、とはっきり役割分担ができたことになる。行き先別の時間と乗車位置など、わかりやすくなり使いやすくなったのはいいのだが、バスを待ち合わせるための場所に置かれたベンチが少し、というよりひどくアンバランスな貧弱さ。田舎のバス停に置かれたものと変わらない。あれだけの設備を作るなら、待合客のためのベンチ、もう少しなんとかならないものか。
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宗次イエローエンジェル奨学生 [音楽全般]

若い音楽家を目指す音楽学生を対象とした、宗次イエローエンジェル奨学制度が誕生して三回目になるが、昨日その授与式が、イエローエンジェル理事長の宗次徳二氏を迎えて、霞が関ビルの35階で授与式が行われた。宗次徳二氏は恵まれない環境に育ち、一代でカレー店の成功を収め、若くして、このような音楽の道を志す若い人たちに奨学制度を立ち上げていただいている。

実質、奨学生の選考に当たるのは、日本演奏連盟の事務局と理事の音楽家に任されていて、私も選考委員の一人として関わっている。素晴らしいのは、お金を出してくださることももちろんであるが、奨学生に選ばれた学生と授与式で席をともにし、学生たちに応援の言葉を述べられ、直接奨学生と話す機会を持たれることである。これにより、奨学生たちは、援助して下さる方の人柄、雰囲気に触れて人間的なつながりができることになる。宗次氏の挨拶の中で特に印象に残った言葉は「自分の今の生活の中で幸せに感じることが三つあるが、そのうちの一つがこうして人のお役に立てるイエローエンジェルの奨学生度である」つまり、人の役に立てることを無上の幸せと感じる、という心意気である。

結果論であるが、奨学生に選ばれた学生たちはどの音大に特に偏ることなく、いろいろな大学の学生が恩恵にあずかっている。私も苦学をしたからよくわかるのであるが、金がないために必要な学費も払えず、欲しい楽譜も買えないのはほんとうに辛いものである。その大変さが少しでも軽減されるなら、どんなにか励みになるであろう。

帰途、車を運転しながらふと思った。音楽がただ無上に好きだ、というだけで、これだけのことを人にして上げられる、というのは、いくら財産があると言ってもそうそうできることではない、ということ。いっぽう振り返って我々音楽家として、恵まれた生涯を送れた人間が、人任せにしすぎていないか、という反省しきりである。あと何年生きるかわからないが、自分としてもなにかまとまったことができるのではないか、考えてみよう、と思い至った。まだいますぐどうする、という具体策があるわけではないが、一つの宿題をもらった気持ちでいっぱいになった。

ついでであるが、他にも演奏連盟の会員で若い音楽家がコンサートを開くのに、金銭的援助をする、という制度もある。これは会員でもある方の篤志によるもので、こういう若い音楽家を応援できる窓口になれるのが日本演奏連盟の使命の一つでもある。少し心配なのは、若い会員が少し減って高齢化していること。「人の役に立てる」ことに喜びを感じ、そしていくらかの会費を払う余裕のある若い音楽家にぜひとも会員になっていただきたい、と切に願う次第である。

facebookデビュー [プライベート]

齢80にしてのfacebookデビュー。まだ何もかもがよくわかっていないので、とりあえずお友達作り、なのであるが、もう私の年代の人たちは、滅多にこういうものはやっていない。当然私の息子、孫くらいの人たちが対象となる。でもこの年でなにか新しいことを始めるだけでもよしとしてください。

でもまとまった文章を書くのはやはりブログに限るので、これは引き続き継続のつもりです。ただ更新の回数は減るかもわかりませんが、しばらくするうちに、落ち着くところへ落ち着くでしょう。
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