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Dispolok [メルクリン]

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形式番号から察するに(1116-902ー6)オーストリアではなかろうか。Taurusがデビューしたてで、まだいろいろなヴァリアンテが出回らない頃、面白いなあ、と思って買いおいたものである。車体に書かれているのは、Siemensの製造であること、www.dispolok.comとあるだけでHeimatbahnhofも書かれていなければ、国籍、鉄道名もいっさい書かれていない。多分Siemensが開発した新型機をアピールするための文字通りの売り込み用のdispolok社宣伝用機関車であろう。


買っては見たものの、どんな列車を引かせるのかわからないのでお蔵入りになっていた。車体中央にシルバーの無地の部分があり、このスペースをアドヴァタイジングにどうぞ、ということなのかもしれない。nissyさんのブログを見て、ここにHbfの広告を貼り付けて走らせるのもまた一興、と思った次第。こういうものをHbf例会で走らせてみたい。メルクリンをやっているうちに、実在しないような車両や列車、実在しないがいかにもありそう、あってもおかしくない、というイカモノにもこのところ興味が出てきている。

あとでわかったこと: やはりこれはオーストリアのリンツで最終組み立てが行われたようである。それぞれの部品はミュンヘン、グラーツ、クニッテルフェルト等からコンポーネントが送られ、リンツで最終組み立てが行われて、各地、各国に配属された。ただ、この広告用機関車がその後どうなったかはわからない。


ドネーションの貨車 [メルクリン]

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ドレースデン、といえば音楽家にとって忘れられない都市であるが、長年、東ドイツ領にあったため、復興は西ドイツに比べ、遅々として進んでいなかった。特にドレースデンのシンボルとも言える聖母マリア教会(Frauenkirche)は第二次大戦で連合軍により徹底的に破壊された。バッハも何度も訪れた由緒ある教会でもある。

破壊されて瓦礫になった石を徹底的に拾い集め、使えないものは新しい石を加えて、ようやく1994年に再建を果たした。これに要した費用1800億ユーロのうち、民間の寄付でまかなったのが1000億ユーロというからドイツ人がこの教会に寄せる思いはなみなみならぬものがある。

これに一役買ったのがメルクリン。このような特別モデルを出し、通常より高い値段で販売し、それで得た利益をそっくり教会再建事業に寄付する、という方法で寄付を募ったのである。メルクリンを買う顧客はそれなりに経済的余裕もある人たちだから、聖母教会に使われる鐘楼の鐘を運搬する貨車のモデルであり、それを購入することでいくばくかの教会再建にでも役立つなら、喜んで割高の貨車を買ったにちがいない。我が家にあるものも多分1990年代に手に入れたもの。このような貨車が実際あったかどうかはもうどうでも良いのである。私もまことにささやかながら聖母教会復興に寄与したという自己満足もある。鐘は上質の鋳物で作られており、三軸ボギーの無蓋車に鎮座している。おそらく今後絶対出ないモデルかもしれないが、もしかすると教会再建何十周年とかのイベントでもあれば再登板する可能性もなきにしもあらず。

鉄道模型の歴史 [メルクリン]

先日Hbfの運転会のとき、荒谷正雄さんの撮影になる戦前のメルクリンレイアウトの珍しい動画をご紹介した。その日は私の準備不足や、時間が少し足りなかったこともあって十分に意を尽くせなかったところもあった。メルクリン・マガジンの6/7月号をご覧になった方は、覚えていられると思うが、今だにドイツではこのように初代メルクリンの3線式レイアウトを楽しんでいる人もおられるようである。

これはドイツのメルクリン社が始めて鉄道模型をOゲージのシステマティックに開発して発売し、1895年から1954年まで約60年間に亘って築きあげたもので、世界初の量産鉄道模型である。話は少し飛ぶが、私の属していた1950年前後に発足した四日市レールファンクラブも同じOゲージ交流3線式であったが、このクラブではレールを3本使う、というのは我慢がならず、各自、木の厚板をいくつかに分割したオーバルに大工さんに切りだしてもらい、レールを犬釘どめし、その中間に第三軌条として、釘を等間隔に打ち、釘の頭に細い銅線を半田付けして、機関車は銅製のシューから集電していた。基本的に今のメルクリンと似ている。

鉄道模型の歴史上のエポックメーキングな最大の一つは、現在では鉄道模型の主流でもあり、誰もがごく当たり前だと思っている、2線式のレールから集電するために、絶縁車輪が発明、製造されたことだと思っている。これで第三軌条が不要となり、実物の線路に大きく近づいた。1955年前後のことである。それ以来YRFCではOゲージで急速に直流2線化が進んだ。一方HOゲージは1935年ごろには発足したが、1955年当時、まだ実際にOゲージに取って代わられるほどの精密さは期待すべくもなかったのは拙ブログの「ヴィンテージメルクリン」のところでご紹介したとおり。

1960年にドイツではじめて見たTRIXのHOはまだ3線式であった。その時代のメルクリンの交流、コンタクト方式は画期的であったが、フライシュマンの台頭で直流2線式が 注目を集め、メルクリン方式はもはや時代遅れ、と見られがちであった。1960年代は技術革新もあって、急速に「実物に可能な限り近く」が進んだ年代でもある。ただし、一方では鉄道模型は基本的に「すべて自作」が普通だったのが「完成品をただ買うだけ」に取って代わり、半年も一年もかけて自分で一両の制作に精魂込める模型作りの楽しみはなくなった。
(多分この項まだつづく)

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ヴィンテージ・メルクリン [メルクリン]

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おそらく我が家に存在する最古のメルクリン製品であろう。グリーンのケースに収まっている「Donnerbuechse」(雷の箱、とでも訳すべきか)いつ頃のものか、ケースにある文字 「69 450 AN 01 64 sh 」が読み解く鍵となるかもしれない。製品番号は 「4000」。AN 01 64 ANはヨーロッパ人がよく使うラテン語のANNO(年)の略,64年01月、と読めないだろうか。でもこの頃はすでにプラ製の精巧なモデルが出回っており、メルクリン製品も客車は24センチ金属製だが窓枠は入り、窓ガラスは現代とさほど変わらない薄く、精巧なものが当たり前であったことを考えるとどうしても時代が合わない。

材料は主要部分はブリキ製。部品の数として、スライドではめ込み式の屋根。一体折り曲げ式のボディ。台車、台枠、床、ステップがすべて一枚の切り落とし材を折り曲げただけのものだが、そのアイデアと技術はすごい。あとは両端の手すり。合計5枚のブリキ板だけである。ほかに車輪、連結器、緩衝器などの小物がやはり三種類だけという最小限だが、立派にDonnerbuechseと認識できる。おそらくは、メルクリン製品がOゲージからHOに移行したごく初期の製品と思われる。窓は枠もなければガラスもない。プリントはまだごくプリミティブで両端のRaucher Nichtraucher 表示は・・・・・・としか見えない。

それにもかかわらず、改造しなくともそのまま最新の製品と連結しても、立派に同調して「走る」という模型鉄道の原点が変わらないところ、伝統をまもりつつも進化するメルクリンの真骨頂がうかがえる。(南相木)

Weihenstephanのビール貨車 [メルクリン]

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私は下戸ではあるが、ミュンヘンとは縁が深い関係上、ミュンヘン近郊の大手ビール貨車はこれまでに大体は買い集めている。が、ミュンヘンのビール会社でも最古参のメーカーであるヴァイエンステファンのビール貨車だけがなかった。だいぶんまえの情報だからどこまで確かか保証の限りではないが、ミュンヘンとその近郊だけでも80以上の大中小のビールメーカーがあって、日本で一番有名なのはレーヴェンブロイであろうが、Weihenstephanの方が歴史は古いらしい。

それにしてもこの貨車 、デザインはなかなかいいが屋根が金色に塗られて燦然と輝いているのは本当だろうか。まるでイスラムのモスクのようだが、実車としてはちょっと考えにくい塗装ではある。他のビール貨車の屋根は大体がグレーとかシルバーとか無難な塗色が多い中、これは異色といえる。本当にそうかどうかはともかく、模型、もしくは遊びとしてみるとこれはなかなか楽しい。

改造手荷物車 [メルクリン]

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このモデルの実車は1970年ごろの想定らしいが、戦後の極度の手荷物車不足を補うため、いろいろな材料をかき集めて作られたものだが、1970年当時でさえまだ現役で使われていたとは驚きである。1960年ごろでも、時折操車場の片隅に薄汚れた姿を見たことはあるが、現役の姿を見たことはない。車体の強度不足を補うために、いたるところに、見栄えも何もあらばこそ、筋交いを入れ、フレームの強度の補強のために床下に何本もの補強材が組まれている。貨車か何かを改造したものらしい。MDyge、全長23.10と読める。

このモデルは是非欲しい、とかねがね思っていたのが入手できたのは嬉しい。ただ、単品としてでなく、UIC-Xのグリーン塗装、黒い裾の塗装が少しくたびれた感じの区分室客車の2等車+1、2等合造車と抱き合わせ、3両単位で室内灯付き、特殊な通電カプラーで連結することができる。これにはもうひとセット、Umbauwagen、シルバリンゲなど3両のセットがあり、これはこれでやはり室内灯付きなのだがなんとも形容できないごたまぜ編成で計6両でAugsburg-Nuernberg行きのサボのついたEilzugである。

ごたまぜのEilzug(今ふうに言えばさしずめREか)だからこそ、この種の列車にはボロい手荷物車が実に似合う。見方によってはなかなか味のあるセットなのだが、短所は編成順序が決められていて、違う順序に編成された場合、室内灯がつかないことを承知してください、と説明書きにある。ボロい編成だからこそ、自分で色々違った編成を楽しみたいのだが、それができないのは残念である。室内灯がつかなくていいならどのようにつなげるのも自由なのだが。。。。ボロい割に窓枠が部分的にHゴム、あるいはアルミ枠に付け替えられている、なんとも不似合いさがご愛嬌。この列車にはE44がいい、とあるがそれに限ることもあるまい。V200でも50型の蒸機でも当時の機関車ならなんでもいける気がする。

この通電カプラーは特殊で、普通のリレックスカプラーと連結不可能ではないがやや苦しい。若い世代には魅力のある製品、とは言い難く、室内灯がついた分、価格も高く、売れ行きはあまり期待できないであろう。

少し進化したmy world [メルクリン]

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Hbfの方々もやはり結構はまってる。例会でも随分たくさんのものを見せてもらった。私ももうこれはいいか,と思ってやめるつもりでいたがついまた手が出てしまった,というほどDBのREの雰囲気がよく出ている。所詮子供のおもちゃ、というには大人をもはまらせる魔力のようなものがある。最初に出た二等客車もどきに比べれば、これは誰が見ても218もしくは216牽引のダブルデッカー客車のREひと編成である。附属のレールセットはいつの間にか全部プラ製になっていて、もうメルクリン独特の集電用のコンタクトはいらないはずだが、なぜか形だけ残してある。レール自体も断面は長方形でレールの形にはなっていないが、それでも全体としてみればレールにみえる。

以前試みられたアルファはポシャったが、やはりあれには私もまったく魅力を感じなかった。しかし転んでもただでは起きないのがメルクリンで、そこで培われた技術はmy worldにも生かされている。Cレールももとはといえば、アルファに端を発する。どんなに簡素化されても実物の「雰囲気」がなにより重要で、子供ばかりでなく、いい年をしたオヤジまでがハマるものでなくてはいいおもちゃとはいえない。

何やら、ピアノの世界で言うと、本当に初歩の子供のために書いたシューマンの「子供のためのアルバム」をよく弾きこなすには、第一級のピアニストの腕前がないとその魅力は発揮できないのに似ている。このmy worldシリーズの更なる発展を願う。

レールクリーニングカー [メルクリン]

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巨大な包装の宅急便が届いた。いろいろ注文してあったのが、いっぺんにどかっと入荷したらしい。サイフには少し痛いがいつの間にかたまったものだから仕方がない。中身を見ると本当に欲しいと思っていたものは含まれていず、ちょっとがっかり。例えば珍しいポーランド仕様のディーゼル機関車「リュドミラ」とグリーン塗装のホッパー車セットなどもそうだが、こういうものは二度と出ないであろうから、どうやらこれは期待外れに終わったようだ。もっともこの場合、貨車だけ来られても困るのだが。

レールクリーニングカーを注文したのは覚えているが、6両もある。一両だけではトンネルや架線下ではたいして効き目がないのに業を煮やしてこれだけ注文してしまったようである。車体からぶら下げられた金属塊の先にフェルトが付いていて、これでゴミを取る。車体が小さい割に重量に加えてフェルトの接触抵抗があるので合計7両でも入れ替え機関車程度では牽引力が足りない。このような使われ方は想定されていなかったと見えて、複雑にポイントを渡るSカーブの連続では重量に引っ張られるせいか、もしくはフェルトがポイントの先端軌条にひっかかるせいか、どう入れ替えて見ても先頭車が脱線してしまう。3両くらいが安全に通過できる限度のようである。

いっぽう、ほとんどポイントのない単純なオーバルでは7両は難なく通過するものの、もともとこういう単純なものをクリーニングするのにこんなものは必要としない。なかなか思惑通りにことは運ばないものである。

追記: 脱線を防ぐには、牽引ではなく、推進運転、それも最徐行で運転すればいいことがわかってきた。一種の保線列車だから、速く走る必要はないが少しかったるい。

追記 その2 いろいろ試みた結果、フェルトに消毒用エタノールを含ませて推進運転するのが一番確実のようである。これだとかなりのスピードにも耐えられる。

ICE/V 410型 [メルクリン]

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ICE/V または ICExperimental 「V」はVersuch(テストの意) 形式は410型

ICEの愛好家は多いけれど、これを所有する方は案外そう多くはないかしれない。実車は1983年から1985年にかけて製造された。幾多の試験運転を重ね、2000年にはこのICEの基礎を築いた歴史的な列車はすでに廃車になっているからその生涯はまことに短い。そしてメルクリンのこのモデルがいつ発売されたかを知る手がかりが今のところ私のところには見当たらない。なぜかわからないがいつの間にか私の手元に存在していた。

基本セットは両端の機関車と2両の客車。当時の写真ではこの基本編成に試験車を加えた5両編成のものが多く、試験車を除いた4両の映像も多い。従ってメルクリンから発売された4両セットはこれなりに完結しているといえる。ただ、増結用の客車が、もう2両ばかりあったはずだが どうしても見当たらない。デジタル化が進んで間もない頃の製品であるが、何十年も眠ったままだったが実にしっかり走る。連結方法が実に簡単で車両同士をぶつけるだけであり、解結も、ただ引っ張るだけ。プラ製の一見ひ弱そうに見えるカプラーだが、編成が短い上に両端が動力車だからこれで十分なのだ。まだサウンドはない時代であるが室内灯はしっかり付いている。

ナンバーは410 002 0 と410 001 2でたった4両なのに両端の機関車に動力が付く。あきらかにオーバースペックだがやはりメルクリンとしてはあえて実車通りにして、この列車にかける意気込みが伝わってくるようである。工場出しのアドレスも41。今となっては貴重なモデルかもしれない。

メルクリンはサボるな(3) [メルクリン]

不思議なことにあれほど不調でどうしようもなかった40型、アナログとデジタルを交互にだましだまし走らせているうちに、100%とまで行かないが、ほぼ満足な走行状態まで来た。これといった手は加えていないにもかかわらず、である。やはり人間も模型機関車もいつも動いていないとダメなようである。

不調でサジを投げていた古い103もいまは全く快調に走り続けて居る。

それでは、ともう一つ不調をかこっていた、232型のロシア名「リュドミラ」ドイツ名「テレーゼ」Brawaのもの。プラ製ではあるものの、Brawaのものは細部まで手がこんでいてよくできているが走りが先天的に悪い。そこで212を補機につけ、232より少しはや目のスピードに設定して、少しづつ補機のスピードを上げて行った。

あまり補機に無理をかけすぎても、と適当なところで外し、単独で走らせたら、これも少しづつ調子が戻り、後はいかに時間をかけて走らせつづけるか、の根比べとなる。


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