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宗次イエローエンジェル奨学生 [音楽全般]

若い音楽家を目指す音楽学生を対象とした、宗次イエローエンジェル奨学制度が誕生して三回目になるが、昨日その授与式が、イエローエンジェル理事長の宗次徳二氏を迎えて、霞が関ビルの35階で授与式が行われた。宗次徳二氏は恵まれない環境に育ち、一代でカレー店の成功を収め、若くして、このような音楽の道を志す若い人たちに奨学制度を立ち上げていただいている。

実質、奨学生の選考に当たるのは、日本演奏連盟の事務局と理事の音楽家に任されていて、私も選考委員の一人として関わっている。素晴らしいのは、お金を出してくださることももちろんであるが、奨学生に選ばれた学生と授与式で席をともにし、学生たちに応援の言葉を述べられ、直接奨学生と話す機会を持たれることである。これにより、奨学生たちは、援助して下さる方の人柄、雰囲気に触れて人間的なつながりができることになる。宗次氏の挨拶の中で特に印象に残った言葉は「自分の今の生活の中で幸せに感じることが三つあるが、そのうちの一つがこうして人のお役に立てるイエローエンジェルの奨学生度である」つまり、人の役に立てることを無上の幸せと感じる、という心意気である。

結果論であるが、奨学生に選ばれた学生たちはどの音大に特に偏ることなく、いろいろな大学の学生が恩恵にあずかっている。私も苦学をしたからよくわかるのであるが、金がないために必要な学費も払えず、欲しい楽譜も買えないのはほんとうに辛いものである。その大変さが少しでも軽減されるなら、どんなにか励みになるであろう。

帰途、車を運転しながらふと思った。音楽がただ無上に好きだ、というだけで、これだけのことを人にして上げられる、というのは、いくら財産があると言ってもそうそうできることではない、ということ。いっぽう振り返って我々音楽家として、恵まれた生涯を送れた人間が、人任せにしすぎていないか、という反省しきりである。あと何年生きるかわからないが、自分としてもなにかまとまったことができるのではないか、考えてみよう、と思い至った。まだいますぐどうする、という具体策があるわけではないが、一つの宿題をもらった気持ちでいっぱいになった。

ついでであるが、他にも演奏連盟の会員で若い音楽家がコンサートを開くのに、金銭的援助をする、という制度もある。これは会員でもある方の篤志によるもので、こういう若い音楽家を応援できる窓口になれるのが日本演奏連盟の使命の一つでもある。少し心配なのは、若い会員が少し減って高齢化していること。「人の役に立てる」ことに喜びを感じ、そしていくらかの会費を払う余裕のある若い音楽家にぜひとも会員になっていただきたい、と切に願う次第である。

省庁の移転だけでなく皇居も [音楽全般]

宮田東京芸術大学学長が文化庁長官に就任する、というニュースはすでに知られている。芸術に携わるものとしては大変いいことだと思っているが、意外と知られていないのが、これも政府の省庁移転の試みの一つであるということ。東京に政府の省庁すべてが集中しているのを、地方に分散し、東京一極化を軽減しようというものである。

とりあえずは消費者庁が徳島に「一部」移転が決まったようである。IT時代、なにも東京にいなくともTVで会議はできるから、なるべく省庁を分散させて地方の活性化を図ろう、ということらしい。これに続くのが、文化庁で、候補地は京都である。どこに移転するかは、是非うちに、というふうに、希望を地方の自治体が手を上げさせるという方式で、文化庁が京都に一部ではあっても移転が実現するかもしれない。これは私感であるが、宮田先生の性格からすれば結構乗るかも、という予想である。

ただ、である。この程度ではかなり及び腰の試みでいかにも思い切りが悪い 。いっそのこと、皇居も京都に移転してはどうか。もともと、京都に御所があったのを、明治政府ができたゴタゴタに紛れ、天皇を一時東京にお越しいただく、ということであったのが,(誤魔化してそうなったかどうかはともかく)いつの間にやらそのまま現代に至って定着していると聞く。もしそれが本当ならば、本来のお住まいであるはずの京都に御帰還いただく,というのはどうだろう。政府が本気で省庁移転を考えるならそのくらいにことをしないと実効はのぞめないのではないか。

ブゾーニのオペラ「アルレッキーノ」 [音楽全般]

フェルッチョ・ブゾーニといえば、ピアニストはまず幾つかのバッハのピアノ編曲をイメージするであろう。そして、次に19世紀から20世紀初頭にかけての歴史的な大ピアニスト。まあそんなところではなかろうか。そこから先、彼のピアノのオリジナル作品を知っている人は稀であろうし、さらに彼がオペラを書いた、ということはもっと知られていないであろう。

私の、かつて芸大時代の生徒であった、松川儒君が彼の勤め先である玉川学園のイベントのなかでブゾーニの「アルレッキーノ」を指揮するから見に来て欲しい、という招待を受け取った。普通のピアノリサイタルよりはこれは面白そう、と妻を誘って行くことにした。

実はブゾーニのピアノ作品は、当時として非常に演奏が難しく、かつ内容急進的で難解なのでいまもほとんど演奏されない。ことオペラ、となるとどんなものなのか興味をそそられたのである。玉川学園は演劇系が有名で、演出家も役者も揃っていて、ブゾーニの音楽もそう難解ではなく、楽しめた。ブゾーニはイタリアオペラが大嫌いで、自分でオペラを作ってしまったのだ。

私の教え子たち、特に男の子たちは卒業してからほぼ全員なにかしらモノになっている。彼もその一人で、私もオペラの指揮なら面白そうだからやって見たい、とかねがね思っていたがこの希望は果たせなかったが、生徒がそれを実現した。それも誰でもやる通常のオペラではなく、こんなほとんど知られていないものに挑戦したことがすばらしい。松川君によればこれは演奏がすごく難しいのだそうだ。まあそれは想像がつく。だが内容は女たらしのドタバタ劇でブゾーニの謹厳なイメージ、それもイタリアオペラ嫌いの人の作品とは想像しにくい。

ピアニストから、生徒にいいピアニストやピアノの教師が教育の結果生ま れるのは別に珍しくもなんともない。当たり前だからだ。私の教え方がどこまで影響したのか、しなかったのかは検証のしようがないが、ともかくこういう異色のユニークな人たちが育っているのは喜ばしいことと思っている。

白鍵だけのピアノ [音楽全般]

時折にしか顔を出さないが、昨日、日本現代音楽協会の新年会に出席した。いつも、特に面白いことがあるわけではないが、思いがけない人に会える楽しみもある。今回は会場に面白い楽器が展示されていた。

遠目には普通の電子ピアノのキーボードに見えるが、近よって見るとなんと鍵盤が全部「白鍵」のみ。黒鍵がないのである。鍵盤の幅は普通のピアノと同じだが、全部白鍵だからどこが「ド」だかわからない。さらによく見ると、鍵盤の上に赤いLEDがついている。これが「ド」の目印のようである。黒鍵がない分、オクターブの幅は普通のピアノより寸法がのびるから、普通の手ではせいぜい6度に届かせるのが限度。

試作の主はピアノメーカーのY社。これ、まだ楽器として完成したものでもなく、名前すらついてないし、試作途上のものである。この楽器のみどころは、1オクターブを平均律半音で12の音の設定も可能だが、15の音に等分も可能、1/4音に分割も可能、さらにもっと多くの音に分割することもできるし、極端にいえば88鍵を1オクターブとして88等分にすることもできる。電子楽器だからこそできる芸当である。確かに面白いが,これ,弾きこなせる人がいるのか,と心配になるがそこはそれ、「現代音楽作曲家」の集団だから、新しい楽器としての可能性があるものか、ネーミングも含めていろいろ専門家の意見を聞きたい、というのが趣旨のようである。

一オクターブを15等分しても、隣の鍵盤同士の音程は私の耳ではまだ半音、と認識できる。が、私はいろいろ考えさせられた。われわれ当然、と思っている12等分の半音が音楽の絶対基準だと思っているのはひょっとすると西洋音楽系の偏見かもしれないのではないか。ちょっとしたカルチャーショックではあった。この楽器がこれから先どうなるのかなにもわからない。それよりもピアニストで通っている私がなぜ作曲家の集まりに顔を出して乾杯の音頭まで取らされることになるのか? このいきさつを説明するととても長くなるから今日はここまで。。。。

蛇足ながら「ビンゴゲーム」で「オバマ大統領と安倍首相が乾杯した銘酒」を当てた。幸先がいい。今年はいいことがあるかも。。。

音楽家は楽譜でものを考える [音楽全般]

数学者は数字や記号でものを考える。文学者は言葉や文字でものを考える。同じように音楽家は楽譜で物事を考える。なぜなら、数字や文字が記号であるのと同様、楽譜も記号であるからだ。子供の頃、まだ文字も読めない頃から楽譜に親しんでいると、自然と音楽家は楽譜で物事を考える習慣がついてしまっている。私は理数系が苦手だが、案外アインシュタインのように、音楽と理数系は近い、と考える人は多い。

楽譜の読めない人は、あんなもの、と顔をしかめる人が多いが、そういう人には、楽譜を記号と考えるからわからないのであって、模様として、絵として眺めることから勧めている。いい音楽は楽譜も素晴らしく美しい。よくない音楽は楽譜も綺麗でない。我々音楽家のよく使う言葉に「譜面づら」という言葉がある。作曲家の池ノ内友次郎先生がその最右翼だが、譜面づらが美しくない音楽はよく響かない、とよく言われていた。この言葉は案外奥が深い。確かに、ラヴェルの「ダフニスとクローエ」のオーケストラスコアは単に抽象絵画して眺めてもほれぼれするほど美しい。

私は算数が苦手で、ぼけているかどうかのテストに100から順に7を引いて行く、という課題があるが、一回目はできるがそれ以下になるともうおぼつかなくなる。これは若い時からそうであったから、今できないからといってボケた証拠にはならない。もう時効だから言っても差し支えないと思うが、歴史の時間、何が嫌かといえば、年代、年号を覚えなければならない、という経験をお持ちの方もあろう。私は、これを音符に置き換えて読み、さらにカンニングペーパーには音符に加え、伴奏和声までつけて筆箱に忍ばせておいたものだ。そこまでせずとも、音で覚えた方が覚えやすく、忘れにくい。なにさま、あんな複雑な楽譜を覚えて一晩楽譜も見ずにピアノを弾くのが職業だから。例えばフランス革命ならド、シ、ド、レ、1789といふうに。0は休符。これを音に置き換えてみるとなかなか音楽的なパッセージになるから忘れようがない。うちの電話番号、パスワードなどは音楽的なメロディになるよう、あらかじめ選んであるから、音楽的な人には覚えやすいが、情報の流出にもつながるから痛し痒しでもある。

コントラバス [音楽全般]

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弦楽器の演奏家には釈迦に説法だが、弦楽器群のうちヴァイオリン属に分類されるのがヴァイオリン、ヴィオラ、チェロであって、大きさこそ違うが同じ先祖を持つ。ところがコントラバスだけはヴィオル属でヴィオラ・ダ・ガンバなどと同じ先祖を持つ。弦楽合奏の中でコントラバスだけが違う家系に属することになる。バロック時代にはヴィオローネと呼ばれたが、我々の知っているコンバスとどう違うのかはわたしにもよくわからない。このヴァイオリン属と同じ形の楽器は先述の高山さんが特注で作られた、チェロの形をしてはいるが、紛れもないコントラバスなのである。だから、正確にはコントラチェロとでも呼ぶべきかもしれない。ヴァイオリンと全く同じ形状だが、楽器の体積は通常のコントラバスと同じになるよう設計されているのだそうだ。

これは高山さんの発明になるものかどうかは聞きそびれたが、室内楽、もしくはソロに使うにはとてもいいのだそうだ。ご覧のように4弦である。もちろん高山さんの素晴らしい演奏技術があってのことだが、室内楽の中でも軽快に響き、しかも低音の重厚さも兼ね備えている。通常コンバスは立って弾くか、コンバス専用の高い椅子(パチンコ台の椅子の少し背の高いようなもの)を使って演奏されるが、これは通常の椅子に腰掛けて演奏されるので、見かけ上はでっかいチェロだなあ、という印象である。(少し正確にいうと、背もたれなしのピアノ用椅子をやや高めに設定する)

この楽器で先日のシューマンのピアノ六重奏が演奏されたのである。そのせいかどうか、他の楽器と音色が実によく溶け合い、私は終始聞き惚れていた。5弦のコントラバスは通常室内楽には音が重すぎて使わないそうだが、大編成のオーケストラには欠かせないものだ。



作曲のレッスンその後 [音楽全般]

例の作曲の男の子である。相変わらずチンタラやっていて、ピアノに関して言えば全く進歩はない。前期の試験には何かひかなければならないから、バルトークのミクロコスモスの易しいのをなんとか半年間かけてできるようにはなった。ただ、今年でピアノの必修(不思議なことに最初の二年間は専門扱い、以後は副科扱いである)その分課題曲も緩くなった。私が責任持つのはあと半年。後期試験曲をいまから考えてやらないと間に合わない。何をやってもいいのだけど、

「なんか君にアイデアある?」

と聞いても「いや、別に」と例のごとく気のなさそうなことを言うから、一計を案じ、

「ではこうしよう。夏休みの間に自分で弾けそうな曲を作曲してくること。休みが明けたら、私が見て必要なら手も入れる。それにプラス、私も君のために小さな曲を一曲作ってあげる。計2曲、それを最後のピアノの課題としよう」。

自作プラス先生の作品の両方を弾いて試験をクリアする。試験官の先生、どんな顔をするか想像するだけでも楽しい。自作とピアノの先生の作品を同時に試験に弾くという発想は、質はともかく、本邦初演で私にとって空前絶後となる。(実現すれば音大の試験としても空前絶後となろう。試験官の先生も盲点に気づき、直ちに次から禁止令を作るであろうから)

突拍子もないようだが、芸術を目指す人はせめてその程度の発想は必要だ、ということくらい学生に理解してもらわなくては、という私の遺言である。

一般のピアノの試験も1950年以降に作曲されたものであること、という課題があって、これには学生も先生も頭を痛めるらしい。いくらでも選択肢はあるはずなのだが。私が学生なら迷わず自分で書いたものを弾くであろう。作品として上等でなくとも、少なくとも最新の作品である。もっといたずらをして、無調でなく、モーツアルトに似せたものを書く。私は学生の頃から、課題の出し方の裏をかいて、試験官の先生の困惑する顔を見るのが何より好きだった。いっそのことその場で即興演奏をする、という選択もある。「即興演奏はダメ」ということは規則にすらないのだから。そもそも想定していない、という発想が問題といえば問題なのだが。

いや、ピアノ専門の学生にも何度もこういう提案するのだが、いつも論外、という顔をされ、結局ショパンだ、リストだという話に落ち着く。

シューマンのオーケストレーション [音楽全般]

ある人からの依頼でシューマンのピアノ五重奏曲にコントラバスを加えたヴァージョンを製作中。といっても、オリジナルのパート変更は最小限にとどめ、もっぱら低音部の充実を図る、というのが目的。

こういうことを考えつく人はまずいないであろう。しかし私は頼まれれば、そしてそれが面白いアイデアだと思えばあとさき考えずとりあえず手を出す悪いくせがある。私が思うに、シューマンのピアノ五重奏曲は基本的にイ短調のピアノコンチェルトに近い書き方がされている。逆にピアノコンチェルトは、コンチェルトというより、室内楽に近い、ということ。つまりどちらもピアノパートは基本的な書法の違いが少ない。つまり五重奏曲はピアノコンチェルトにオーケストレーションが可能だし、コンチェルトはピアノ五重奏に書き換えが可能なのである。(ショパンでやったのだからこれもやってみるか?)

どうしてこうなるのか。改めてシューマンの交響曲のスコアを取り出して検証してみた。シューマンの管弦楽法はもっぱら指揮者やオーケストラの間で評判は良くないが、その理由は弦楽器、管楽器、打楽器の音色の差を際立たせるような書き方をシューマンは好まないところにある。もとよりシューマンはオーケストラの指揮もしていたからその辺のところわからないはずはない。シューマンの交響曲は音楽として素晴らしいのだが交響曲的華やかさに欠ける。シューマンの交響曲がポピュラリティに欠け、ピアノ曲や歌曲が一般に好まれるのも故なしとはしない。

ホームカミングディ(2) [音楽全般]

トリに演奏された、ヘンデルのメサイアのいわゆる「ハレルヤ・コーラス」にはいろいろ考えさせられた。日本語訳で、しかもヘンデルの英語の内容とは全く無関係の二つの歌詞によって、同じ曲が二度演奏されたのである。演奏の出来についてはここでは触れない。二つの歌詞のおおよその内容は以下の通り。

一つは曰く: 「神武東征」。神武天皇の東征をほめたたえる内容である。
二つ目は曰く; 「 寄藤祝」。皇后陛下の行啓に際して作られた歌詞。いずれも鳥居忱による作歌。

最初のものは当時、卒業式に毎年歌われたようである。プログラムの解説には、当時は原語で歌う、という習慣がなかったから、日本語で作った歌詞を当てはめるのが普通だった、とある。なにも知らないでこの二つの歌詞を読むと噴飯もの以外の何物でもないが、当時の音楽学校の置かれた状況を考え合わせると納得は行く。音楽取り調べ掛から東京音楽学校にはなったものの、国策で何度か潰されそうになっているのである。そこでなんとか国策にそうよう、音楽の中にも国粋主義的な内容を含ませ、音楽の必要不可欠なことを国に知ってもらおう、という生き残りに必死のさまが私には読み取れる。美術学部でそういうことを聞かれないのは、美術学部は岡倉天心以来、日本絵画を基本としてスタートしたのと対照的に、音楽学部は西洋の音楽を出発点としているところに根本的な違いがある。

現在の芸大は当時も、それ以降も、決して順調な道ばかり歩んだのではない。先輩の大きな努力と犠牲の上に今が成り立っていることを忘れてはなるまい。音楽学部が二度と国策に利用されないことを切に願う。何かにつけ考えさせられることの多い、稀に見る有意義な取り組みであったと思う。

ホームカミングディ(1) [音楽全般]

ホームカミングディ、というのが大抵どこの大学にもあるのだそうである。私の出身大学でもこれをやろう、ということになったらしい。芸大卒業生の全国組織として「同声会」というものがある。まあいえばただの卒業生の親睦団体に過ぎないが、1896年、第一回の同声会が行ったコンサートの再現をやろう、という試みである。その試みの「第一回」なのであるから日本の音楽史の観点からみても意義深い。

たかが卒業生の演奏会、などというなかれ。1896年の日本の音楽界としては、画期的なものであったらしい。何しろ、東京音楽学校の卒業生以外、まともに西洋音楽を演奏できる人があまりいなかった時代だったから、反響も大きく、当時21才になったばかりの上田敏が演奏会を聴き「文学界」という雑誌に何ページにも亘って詳細な曲目、出演者、さらに一つ一つの演奏について自身の批評も含めて記録を残してくれている。この資料が今回のプロジェクトの大きな助けになったようである。批評は的確で、よくない演奏に対してはなかなか手厳しい。「日本をこれから背負って立つ音楽家がこれでは困るではないか」というわけだ。

プログラムは幸田延が大活躍である。メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトのソロをやり、ブラームスやシューベルトの歌曲を独唱もした。(ちなみにこの年はブラームスはまだ存命) 私が驚嘆したのは、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタのハ長調の長大なフーガにシューマンがピアノ伴奏をつけたものを引っ張り出し、(シューマンのピアノ伴奏付き、という珍品の存在を幸田が知っていたこと自体すごいが)当時の日本のヴァイオリニストの技術ではとても弾けないソロパートを4つのヴァイオリンとピアノのために4声の完全なフーガに編曲しているのである。こうすればヴァイオリンの演奏は格段に容易になるだけでなく、4声フーガを一人のヴァイオリニストにひかせる、という無理をしないで済む。こういう発想は現代にあっても、日本ではたぶん私以外思いつく人はそう多くはいないであろう。ピアノパートは幸田自ら受け持っている。ただし、この「幸田版」の楽譜は現在のところ見つかっていない。

滝廉太郎、山田耕筰、信時潔などまだ日本の音楽史に登場していない時代のことである。今日のプログラムは永久保存しておく価値が十分ある。


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画像はプログラムの表紙と当日のゲネプロ風景

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