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困難な日本語 [プライベート]

 厚生労働省年金局から「国民年金・厚生年金保険の支払額のお知らせ」というものが送られてきた。私は基本的に年金生活者だから、このたぐいの文書には当然敏感でよく読もうと思ったのだが、この文書、私にはほとんど理解出来ない。

 年金の制度はこれまで何度か変更されているので、私の場合、これまでに払いすぎたから、戻せ、といっているのか、払い足りてないからこれから支払ってやる、といっているのか、など基本的なことすら十分理解出来たとは言い難い。ただ今度の振込予定額を見るかぎり、これまでよりすこし高い金額が示されているから、本来もらえるべき金額より少ししか支払われていなかった、だから今回その差額を支払ってあげる、というふうには読める。人間は自分に都合の良い方に解釈したがる傾向にあるから、多分後者なのではないかと期待したい。

 私は音楽学校出だから、平均的な日本人よりは日本語の理解能力は低いであろうことは常日頃自覚はしている。それにしても難解な文章である。そもそもこれ、日本語なのだろうか、とさえ思う。年金受け取り者にはさまざまなケースがあるから、それをどのケースにも当てはめられるよう、さまざまな事例をもらさず全部書き込んでいくとこうならざるを得ないのであろう。
それもわかる。それにしても、もう少しわかりやすい書き方にならないものだろうか。小一時間もかけて読んだが、結局、まあもらえるだけのものしかもらえない、と投げ出してしまった。

 自分のもらってる年金額はおかしいから厚生労働省にクレームをつけよう、というほどの日本人の語学能力、計算能力の高さには、ことの当否は別にしてもただただ感嘆せざるを得ない。

最後の(?)同窓会 [プライベート]

四日市中部中学校最後の同窓会になるかもしれません、という通知があった。滅多に出たことのない同窓会だが、最後かも、と言われたら出ないでいるわけにもいくまいと思い、出かけた。

私たちの学年は6つクラスがあった。受付で渡された名簿を見てまずショックを受けた。ひとクラス分の名簿かと思ったらこれで6学級分全部だという。残りは、亡くなっているか、病気で出られないか、もちろんほかの様々な理由で出られない人もいようが、それにしてもこの人数である。この年にもなると元気な人とそうでない人の落差は実に大きい。当たり前だが、元気であってもほとんどの人は退職しているし、自営業でもやめている人も多い。大きな声では言えなかったが、何十年も会わない人が多いので、こちらはもうほとんど「浦島太郎」である。特に女性は「誰ちゃんだねえ」とわかる人はほんの少数。

それでも私がわざわざ東京からきてくれた、ということには皆素直に喜んでくれたが、現役代表としてスピーチを、と急に言われて、人前でしゃべり慣れている私もこれには困った。様々な事情の人がいるであろうから、うかつなことはしゃべれない。自分の近況報告を、と思っても、そのこと自体自慢たらしく聞こえてしまうのが怖かった。結局のところ「やはりふるさとはいいねえ」かなにか、当たり障りのない話でお茶を濁さざるをえない。しゃべりながら、これもハッと思ったのは標準語のアクセントが抜けず、四日市弁で、と思ってもえらくぎこちない、しゃべるとこそれ自体皆に不快感を味わわせるのでは、などなど思うと、だらしないがもう冷や汗ものでほうほうの体で引き下がった。

昔、体格もでっかく、大きな顔でクラスを取り仕切っていた、近づくのさえ怖いくらいだったガキ大将はほとんどいなくなり、まあ普通だった子は今も普通でいるみたい、というのが総体的印象であった。今となってはガキ大将がいないのは寂しい。ガキ大将は、今もガキ大将のイメージのままであって欲しいが、年と共に私に丁重に接してくれるのもこれまた気持ちの悪いものである。向こうも気持ち悪かろう。

3・11大震災あれから5年 [プライベート]

5年前のブログの記事を読み返してみたが当時のことについてあんまり大したことは書いていない。あまりにもことが大きすぎたのと、とりあえず自分は何をすべきかで頭がいっぱいでブログどころではなかったのかも知れない。震災が発生した当時、私は札幌大谷大学の学部長室におり、その夜行われるはずの卒業演奏会を実施するか中止するかの決断を迫られていた。助手から「奥様は無事であるという連絡が届いております」と報告があったので、東京の家のことは心配がなくなった。結局卒演は予定通り行われることになった。

今日はこれまで滅多にしないことだが、新聞に掲載された天皇陛下のお言葉と安倍総理の追悼演説に目を通して両者の内容を比較してみた。もちろん限られた時間内のコメントであるからどちらもいいたいことをすべていいつくしているわけではないが、やはり文は人柄をあらわす。

立場の違いもあるから単純に比較はできないかも知れない。とちらの追悼文にも必要なことはすべて触れられている。そこまでは全国民に聞かれ、読まれるのであるから一字一句考え尽くされたものに違いない。ただ違いは私の感想として、天皇陛下のほうがより具体的であるのに対し、安倍総理のほうは、どこかひとごとのような醒めたところがある。例えば、陛下のお言葉の中にあるような、漁船を守るために人々は勇敢に沖へ船をすすめた、というような具体性というか、より血が通っている雰囲気が伝わってくるのである。

どちらかというと型にはまりやすい形式的な追悼文にさえ、これほどの違いが出てくるところを見ると文章を書く、というのは怖いものだという実感がわく。

facebookデビュー [プライベート]

齢80にしてのfacebookデビュー。まだ何もかもがよくわかっていないので、とりあえずお友達作り、なのであるが、もう私の年代の人たちは、滅多にこういうものはやっていない。当然私の息子、孫くらいの人たちが対象となる。でもこの年でなにか新しいことを始めるだけでもよしとしてください。

でもまとまった文章を書くのはやはりブログに限るので、これは引き続き継続のつもりです。ただ更新の回数は減るかもわかりませんが、しばらくするうちに、落ち着くところへ落ち着くでしょう。

ブログのトラブル(2) [プライベート]

専門用語がわからないから、急にURLを変更してください、と言われてあたふたしたようである。やっとURLなるものがどういうものかわかった気がするが、これは何の言葉の略号でどういう意味かが充分わからないとそこで私は挫折してしまう。昔からそうだった。数学の代数でxとかyとかaとかbとか、なぜその文字でなければならないか、dとかeではなぜダメなのか、先生はちゃんと説明してくれないものだから、そこで数学は挫折してしまい、一生数学、化学嫌いになったのだ。

反面教師として学んだことは、専門分野に関して「基礎的なことを、分かり切ってると思っても、時間をかけて徹底的に教え込むこと」。自分が教える立場になってよく考えて見ると、自分でも実はよくわかっていない、ということは結構多い。ピアノ音楽に関して言えば、なぜこの音にアクセントが来なければならないか、という説明も、ただ楽譜にそう書いてあるから、では説明したことにならない。この場合、生徒は数学と違ってそこで挫折はしないが、音楽とは実に面白いもの、という認識をもたないで通り過ぎてしまう。ピアノ弾きのピアノ嫌いを生み出すもとは、私の数学嫌いになった過程と変わらない。深い問題がアクセント一つにも含まれていることを教師自身も深く知っていなければ生徒には伝わらない。

ともあれ、息子と妻の協力でブログ再開にこぎつけることはできた。ただURL(何の略語でどう意味なんでしょうか)の変更があったことをklaviermusik koba時代にきちんと書き置くことができなかったので多くの方にご不便をおかけした。ブログは私の性にあっているみたいで、誰かに読まれようが、読まれなかろうが、自分の思いを綴る、というのは長年の習性となった。ツイッターのように短くてはいいたいことは言えないから、見開き1ページ、という長さがちょうどいい。

ネットによれば URL: Uniform Resource Locationの略語( 統一資源位置指定子:日本語の方がもっとわからん なんのこっちゃ?)

ブログのトラブル [プライベート]

どういうわけか、URLが変わってしまって、外からアクセスできない状態になりました。修復に少々時間がかかりそうです。申しわけありません。

どうやら知らないうちにURLが変わってしまったみたいです。

http://rheingold.blog.so-net.ne.jp

これでアクセスできると思うのですが。。。ご覧いただいた方、何らかのレスお願いできるでしょうか。

救急医療、自分でどう対処できるか [プライベート]

心筋梗塞や脳梗塞など、急な病人が出たら救急車が来るまで自分でなにができるか、という講習会が、近くの区役所の出張所で開かれたので妻共々参加してきた。まあこの年だから、自分になにができるか、よりも人にやってもらう可能性の方がはるかに高い。それでもなお、行ってみる気になったのは、最近、身内でも心筋梗塞で倒れた、心臓の具合が少し、という例が起こるようになったので,人ごとでなくなって来たのである。

内容は人が突然倒れた時の、観察のポイント、素人でもとっさの対処の仕方によっては、助かる確率がかなり高い。どうすればいいか、なにも知らないとただうろたえるだけだが、どういう手順で、救急車を呼び、その間に心肺蘇生に素人でもある程度、かかわれることがわかったのは収穫であった。人工呼吸の仕方、心肺蘇生術、最近どこにでも設置されるようになったAED(心臓に電気ショックを与えて元の機能に戻す装置、1500Vの電圧を瞬間的に人体に流す、これは電車並の電圧をかけることだから考え方によってはずいぶん怖い)の使い方はまず、一般の人はほとんど誰も知らないのではないか。これでは宝の持ち腐れである。ただこの機械が万能でないことも確かで、人間の手による心肺の蘇生術とあいまって、その役割の一端を果たすに過ぎない。

目からウロコだったのは、一般によくTVなどでも見る、心臓を押してマッサージするのは、心臓のためもあるが、瞬時を争うのは脳死にならないためらしい。心臓はしばらく動かなくても蘇生するが、脳に血流がいかなくなると、その瞬間から脳死がはじまる。それを防ぐため人工的に血流を脳に送り込むのがその第一義的作業であるのだ。

4時間にわたる講習と訓練の後にテストがあり、これに合格すると2級の証明書がもらえる。だいぶんわかった気になったのだが、問題はうちで実習、つまりさらって見ることができない、という点にある。健康な人には絶対にやって見ないでください、ときつく言い渡された。これでは一週間もすれば忘れてしまうではないか。それでもなおかつ、全くなにも知らないよりはマシかもね、と疲れたので終わってから近くの店でコーヒーを飲みながら語り合った次第。


東宮御所2016 [プライベート]

しばらく皇太子殿下のお誕生日の日に拝謁に所用が重なって伺えない年が続いた。東宮御所,何年ぶりかである。東京の街はしばらく行かないとすっかり様変わりしてしまうが,ここだけは50年以上,私の知る限り変わっていない。殿下も56才になられた。浩宮様の時代,つまり中学生の時代からであるから,ずいぶん年月が経ってしまったのを実感する。殿下はいつもとお変わりないご様子である。学習院関係の方々が大部分を占めるみたいで、旧知の音楽関係者は年とともに亡くなられたりしてすっかり寂しくなった。

来賓出席者の人数は数えたことはないが、いつも関係者は7,80人くらいであろうか。会見の時間は40分くらいなので全員がゆっくり話ができる状態ではない。式次第は特に決まりはなく、通例、誰かが代表で殿下にお祝いの言葉を述べ、そのあと乾杯、時間の許す限り歓談される、というごく簡素なもの。私はとりあえず、アリバイ作り(?)だけで自分からしゃしゃりでることもしないので、直接ご挨拶をする時間を逃してしまうこともあるし、まあそれでもいいと思っている。今日は殿下にビオラをご進講しているUさん、彼も鉄道マニアなのであるが、模型鉄道の話につい夢中になっているうち、会見時間終了となった。殿下が退席される際、ちょうど私のそばを通られるのをうっかりしていたら、「ーー先生、今日はありがとうございます」と逆に後ろから声をかけられ、慌てて「あ、殿下、お誕生日おめでとうございます」と申し上げるのがやっとであった。なんともサマにならない一幕。

こんな場面ではやはり鉄道談義などにうつつを抜かしていてはいけないのだ。わたしはいつもこういう改まった席でなにかヘマをやらかしてしまう悪いくせがある。

80年の歳月 [プライベート]

多くの方々からお祝いのメールやらチョコやらお花やらいただいたことをまず御礼を申し上げます。80年という長きにわたって生を享けたことを感謝とともに、長く生きたわりには大したことは何もしなかったなあ、という感慨で誕生日を迎えた。といって今日も特別何かしたわけではない。いつものようにピアノを弾き、メルクリンを走らせ、本を読み、春一番の中を散歩に出かけて、成城で行きつけのコーヒー店でコーヒーを飲み、というごく平凡な一日。

関係している大学は目下入試中で私は関係なし。関係団体の会議やイベントも今はなし。素晴らしきニッパチである。妻の誕生日と近いので、今年は合体してのイベント。明日から八重山諸島にツアーで行ってきまーす。これで日本は尖閣諸島を除けば、一番北から、南の端までとりあえずざっとではあるが見たことにはなる。

旅行は大好きで、鉄道のあるところはツアーなどは使わないが、鉄道のない、とくに離れ島のようなところは原則ツアーがいい。五島列島、マルタ島、それに今度の南西諸島のように島の数が多く、鉄道もなく、船便も不便、現地でいちいちレンタカーを借りるのも少し能率が悪いような場所は、いいツアーを選べばその方が楽チンで何も考えずに済む。ツアーもそう捨てたものでもないのだ。以前、利尻島に行った時,レンタカーを運転して回ったところが不勉強で肝心のところは見逃してしまった、という苦い経験もある。自分で車を運転して行くと、ただ走るばかりで何も見せてくれなかった、という妻の苦情も聞かなくて済む。


キャッスルのおじちゃん急逝! [プライベート]

ゆたかちゃん急逝の第一報が入った。学生であれ先生であれ、事務局員であれ、この人の世話にならなかった人は、少なくとも芸大音楽学部に関係した人には一人もいない。芸大の学食の主人であるが、なぜか昔からこの学食は伝統的に「キャッスル」と呼ばれていた。この立派な名称の由来は誰も正確には知らない。名称のイメージから程遠いボロい木造の学生食堂で、このマスターであるおじさん、私の世代は親しみを込めて「ゆたかちゃん」と呼んでいた。

たしか、彼は3人きょうだいで末っ子だがただ一人の男の子だったために、この仕事を継ぐことになったのであろう。上の二人の姉妹もその両親も知っているのは、私の世代が最後である。現在の奏楽堂のあたりに、昔は木造の平屋建ての建物があって、その一角が「キャッスル」として、学食でもあり、学生や先生の溜まり場でもあった。芸大の学長の顔は知らなくとも、この「キャッスル」一家とは皆顔なじみだったのは、単に学生食堂のマスターという以上に、いろいろマメに学生の悩み事の相談にものり、住宅難だった戦後は学生に下宿の斡旋をしてくれたり、と供食の本業以上に学内の先生の人事の移動から、卒業した学生の動向まですべて知り尽くしていたので、音楽学部の情報源でもあった。あのかき揚げソバうまかったなあ。

定年後、芸大に出向くのも、半分はゆたかちゃんの顔を見るのが楽しみで、デザートなど大サービスをしてくれるここのハンバークステーキをパクついたものだ。じつに残念である。まだ引退するほどの年ではない筈だが続報が待たれる。

続報 : 急性虚血性心不全(疑) サウナに入っている最中とか。。。先だって正月のキャッスルでの賀詞交換会で元気な顔を見たばっかりなのに。私と同い年だそうである。言葉もない。


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