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我が家の新年会 [プライベート]

いろいろの事情で私の系列の家族の新年会はなにもやっていなかった。十年近くも前、ある日行きつけの床屋でマスターとの雑談の中で「そういうものは長男が旗振らないと誰もやるなんて言わないよ」と言われてはっとした。私は四人兄弟の長男でありながら そういうことをなにもしてこなかった。不覚と言えば不覚。そういうことがあって毎年、私が呼びかけて、どこか適当なレストランを決めて兄弟と妹その連れ合いなど集まって、ここ6、7年やってきた。幸い、この年までだれ一人も欠けることなく、推移してきたのはよかった。皆が元気なうちにやっておかないとあとで後悔することになるかもしれない。こうやって昔話に興じると、私の持っていた父親像、など同じ兄弟でありながら、受け取り方も随分違っていたのは面白い。

それまでやらなかったのは、あながち私の怠慢のせいばかりではなく、それぞれ兄弟の家庭事情が影響したこともあったし、私も、連れ合いも、両方の家系がもともと新年会のような世間一般に行われる一族郎党新年には集まって酒を飲む、というようなことに全く無頓着であったせいもあって、なかなか踏み切れなかった。しかしみんな年をとってきたので、私も床屋のマスターがいうのももっともだと思うようになった。時間の余裕もでき、性格もみんなそれなりに丸くなり、客観情勢としてもやって喜ばれる雰囲気にはなってきた。というわけで、今年も同様にささやかな会を持った。たまたま、私が傘寿を迎えることと、昨年秋瑞宝中綬章を受けたのでその内祝いも兼ねた。こういうものはホテルなど借りて大々的に吹聴する人、もしくは多少へそ曲がりの人は勲章など辞退する、など反応は人さまざまだが、まあ内祝い程度が分相応、ということであろう。


めでたさも「中」くらいなりおらが春




万年筆 [プライベート]

「万年筆」ももう死語になっていると思われた。世の中、物を書くにもだいたいパソコンか、鉛筆か、ボールペンであって、万年筆を使っている、というのはごく少数派に過ぎない。しかし、伊東屋あたりの店頭で見る限り、まだまだ立派な万年筆を売られているところをみると、それなりの根強い需要はあるのかもしれない。

ふと思い立ってずいぶん昔から眠っていたパーカーの万年筆を探しだし、少し手入れをしてインクを入れ直し書いてみると、これが実に楽しく、字をかいているうちに心が休まるのである。ボールペンは確かに便利だがどこか味気なく、「字を書く楽しみ」を与えてくれない。万年筆は自分の筆圧が微妙に紙に伝わり、アナログの良さを満喫できる。ピアノに例えると電子ピアノとグランドピアノほどの違いがある。電子ピアノからはタッチの絶妙のコントロールは期待すべくもないが、アナログピアノは、たとえアップライトピアノであっても心の表現ができるという点では全く別物である。ボールペンはとりあえず楽に字がかけるが、万年筆はそれに表情が加わる、という点で全く別物である。「字が生きる」とでもいおうか。

年末になると、職業柄、いろいろお歳暮が届くが、これまでお礼状書きは妻のパソコンにまかせきりになっていた。少し時間も余裕ができたので今年は、せめて宛名くらいは自筆で書こう、と思い立ったのである。やってみると、同じ自筆でもボールペンではどこか味気ない。万年筆の方が下手な字なりに味が出るのである。これももっと凝り始めると、墨をすって毛筆で書けばもっと「字を書く」という事の大切さに心が及ぶ気がする。 万年筆のインクは昔はスポイトで吸い上げる方式だったが、流石に今はカートリッジになっていて楽になり、インク瓶は置かなくてすむ。万年筆は大事なことを久々に思い出させてくれた気がした。

マイナンバー(2) [プライベート]

やはりカードは取らないとダメなようだ。仕方がないので面倒だけど写真を撮り、書類を郵送した、というのは、早速関係する大学から書類が届き、マイナンバーカードのコピーを来月のいく日かまでに提出のこと、というお達しがあったからである。なるほど、こういうところにもマイナンバーのビジネスは及んでいるか、と感心したのは写真店、自動撮影機など。至る所にマイナンバー写真対応中、とある。その規模はパスポートなどの比ではないはずだからバカにならないであろう。基本的には、パスポートと同じサイズでいいのだが、3年くらい前に撮った写真があるはず、と思ったが、六ヶ月以内のもの、とあるからそれも使えない。

そこでふと思ったのはマイナンバーカードは車の免許証のように、何年おきかに書き換えの必要がある、という話は聞いていないし、送られてきた書類にも書かれていない。ということはナンバーも写真も生涯変わらないということか。でもゼロ歳の赤ちゃんもマイナンバーに登録されるはずだから、ゼロ歳児など、5年もたてば本人かどうか確認できなくなってしまう。まして高齢者になればゼロ歳児の時に撮った写真など記念撮影以外の意味はなくなる。どうするのでしょうねえ。

老人と車の運転 [プライベート]

実は昨日の南相木日帰り往復、妻に猛反対されて諦めかけたのである。でも、天気はいいし、格好のドライブ日和だから、矢も盾もたまらず反対を振り切って出かけた。「あなた、この年で途中でなにかあったらどうするの。血圧上がるわよ」。わからないでもない。老人の事故は多いと聞く。アクセルとブレーキを間違えてコンビニに突っ込んだ、高速道路を逆行した、 など何か起こらない日はない。ただ私は老人であることを自覚し、それなりに注意深く運転しているから、若い時に比べ、事故は格段に減った。ここ30年以上、全くなにも起こっていない。むしろ若い時の方が自信過剰で無茶をするから小さな接触事故などははるかに多かった。一番血気盛んな20代30代はよくいろんなことを起こしたのは覚えている。

初めて蓼科に山荘を持ったのが45年前。あの頃の道路状況は、と言えば、高速道路は東京ー大月間が対面交通一車線のただ一つの高速道路。あとは混雑する国道20号線でダラダラ5、6時間はかかっていたが、それに比べれば高速道路網が充実した今は天国である。80歳くらいになると衰えを感じて運転に自信がなくなり免許証を返納する、という人は周りに多いが私は今のところそんな気は全くない。逆にドライブのたのしみを奪われたらボケてしまうのではないかと、そちらの方が怖い。あのデザインの悪い枯れ葉マークもつけたくない。

年をとったら年相応に、と思っていたが、もうそれは考えないことにした。やればできるのである。ドライブの前日はある大学で2時間休憩なしの講義をした。私はもう年だから、一時間半で勘弁して、と言っておいたのだが、結局話に身が入り、結果的に2時間を超えてしまった。昨日は車にすわりつづけたから、今日は多摩川堤防を一時間半ばかり歩く予定。

デッキ工事完了 [プライベート]

予想外に迅速に工事は終わった。今年は天気に恵まれたので、まだ根雪にはにはならず、仕事がはかどったようである。今日は雲ひとつない快晴で、南相木まで一人ドライブをして現地で仕上げを確認した。数年前に新しくした手すりはほぼそのまま活用し、腐蝕の進んだデッキ部分を全て新しい木材に取り替えた。

地元産のカラマツを使うと、価格も安いし、北欧の木材より長持ちするという。カラマツはヤニを多く含んでいるので腐食には強いのだそうだが、一方でヤニのために柱や内装材としては好まれないという。でもあまり持たないと言われた北欧のものでさえ25年も持ったから、私の生きている間はもちろん、次世代の人たちにも十分長く使ってもらえよう。

家本体の土台で雨漏りのため腐食の進んだ部分もついでに取り替えてもらった。これでこの家も少なくともこの先、1/4世紀は安泰のはずである。

広いベランダだから取り壊したデッキのかなりな量の廃材が出るわけだが、使える部分は適度の長さに切ってもらい、マキストーブの燃料として再利用するから、無駄にはならない。

往復の距離はちょうど400キロ。わがVWは快調に走り、これで燃費はリッターあたり16キロ。以前よりはだいぶんよくはなったが、日本車に比べるとまだイマイチの感はある。私は夏タイヤしか持たないので、出発前に雪があるかどうか確認しないといけない。通常ならもう雪は積っていてもおかしくない時期なのだが今年は暖かでまだ雪の気配すらない。
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南相木山荘改装中 [プライベート]

南相木の家も25年以上が経過して、特にベランダなど外回りの劣化が目立つようになったので、改装することにして 管理人を通じて地元の工務店に依頼していた。特に工期は指定しなかったが、場所が場所だけに、雪が積もってしまうと工事ができない。なんとかそれまでに基本工事だけやって、残りの仕上げは雪解けを待って、という工務店の方針のようである。

私が元気な間に具合の悪いところは修理しておこうと、これまでガス回り、ボイラー、などちょくちょく手をかけて来たが今回はベランダの全面取り替えである。冬は雪に埋れ、梅雨時は雨にさらされ、夏には直射日光を浴びる過酷な自然にさらされるベランダだが25年の長きにわたって持ちこたえてくれた。吹きさらしの木造ベランダが25年も持つとは予想していなかった。当初、よく持って10年、と思っていたからかなりもうけものをした気がする。工務店の提案では今度は屋根をかけてもっと長持ちさせる方法を考えましょうか、という提案があったが、あの開放感はなにものにも代え難いので、現状通りの復帰をお願いします、と言っておいた。

工事はまだ先だろうと思っていたが、現地からのメールではもう解体工事が始まっているらしい。来年もしまたHbfの会があるとすれば、家も多少マシになった姿でみなさんをお迎えできよう。

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結婚は同姓か別姓か [プライベート]

あまり深く考えなかったけれど、女性にとっては大問題であろう。いま特に民法の改正を、という声が上がっているのは女性が結婚する年齢が高齢化しているのと深い関係があると思われる。昔、女性が16歳とか18歳で「お嫁にゆく」のが当たり前だった時代は、まだ世の中のこともよくわからず、ただ慣習に従って「ねえやは15で嫁に行」くだけであるから、その年齢と人生経験では特別な場合以外、嫁入り先の姓になることに抵抗を感じている余裕すらなかったであろう。

しかし女性がこの世に生を享け、30歳を超えても独身が当たり前の時代になってくると、その間、女性は仕事や自分の研究分野など男性と同じ生活を続ければ続けるほど、自分のアイデンティティーが生まれ育った「姓」と別れ難く結びついて、相手の姓に変えられる、ということにものすごく抵抗を感じる、というのはわからないでもない。仕方なく通称として旧姓を名乗っていると、実生活上戸籍との齟齬が生じ、様々な、時に深刻な問題が生まれる。

ここはもう「夫婦別姓もあり」という風に民法を改正すべき時であろうと私は単純に思う。ただこれに反対する国会議員の言い分もわからないでもない。夫婦別姓だとお互い「他人」という意識はついてまわるかもしれないから、昔のように一生添い遂げる、という努力は希薄になるかもそれない。嫌になったら別れればいい、という欧米流のやり方が一般的になると、その間に生まれた子供達の運命はどうなる、という深刻な問題も多くなる。そういう外国流の世の中がいいのかどうか、という議論をかさねることも必要であろう。

妻に、結婚に際して自分が別の姓になることに抵抗を感じなかったかどうか、最近きいてみた。「そりゃものすごくあったわよ」「じゃあ民法が変わったらもとの姓に戻る気ある?」「う~~~ん、銀行のハンコを変えるとか、面倒なこといっぱい起こるねえ」

というわけで50年以上も連れ添った夫婦はさすがにそういう気にもなれないらしい。世間一般の老夫婦の方々、どういう感想をお持ちだろうか。こういう夫婦間の議論をしてみて 結婚する時の妻の心中を思いやれなかったのは悔やまれる、という私には新たな悩みが加わった。でも妻は結婚以来「相手は他人」という思想をずっと持ち続けていたようで、私の「夫婦は一体」という古い考えとは大きな差があったことに愕然とした。愕然とはしたが、日々の生活はこれまで通り特に変わることなく、多少の波風はあってもとりあえず続いている。「夫婦は一体」という都合の良い考えは男の側で勝手に生み出されたものではないだろうか、と反省しきりである。

老人ホーム [プライベート]

ミュンヘン時代以来の知人のドイツ人女性(日本人と結婚してずっと日本で暮らしてきたから正確には日本人と言うべきだろうが)Kさんが都内の老人ホームに入居し、だいぶん容体も芳しくない、と聞いていた。かなりご無沙汰でもあるし、娘さんの代筆ながらぜひ会いたいという旨のハガキももらっていたので、娘さんと連絡を取り、都内某所のホームを訪問した。

人の噂ではかなり容体が悪く、行ってももう誰だか分からない状態、と聞いていた。そこで私は普段はめったに着ない、なるべく目立ちそうな赤、青、白のダンダラ模様のド派手なシャツをきて出かけた。実際あってみるとそれほどのことはなく、私が訪問したことをとても喜んでくれている風であった。ただ、彼女とは日本であまりあっていないので、お互い日本語でしゃべる、ということがなかったから、コミュニケーションがうまくとれないといけないと思って娘さんにも立ち会ってもらった。実際なにか話したがっている風でいろいろ言葉は出るのだが、日本語だか、ドイツ語だかの判別も困難なほどで、内容も定かでない。ただ音楽、特にヴォルフの話になると急に目が生き生きとし、私が「コフタの歌」のゲーテの詩がよくわからない というと「あれはドイツ人にもなかなかわからない」というのが唯一通じた会話であった。あと、フリーメイソンがどうたら、という面白い話になりかけたがこういう込み入った話になるともう通じない。少し遅れてご主人も来られ、久方ぶりの邂逅で話題には事欠くことはなく、2時間あまり楽しい時を過ごすことはできたし、行ってよかった、と思う。

老人介護ホーム、というのは実は私も行くのは初めてで勝手がわからなかったが、大手の経営するこのホーム、設備も充実していてなかなか快適のように見えた。人ごとではない、自分もKさんとは二つしか違わないのだからいずれ世話になることもあろう、と考えて資料を山ほどもらって日の傾きかけたころ、ホームを後にした。

南相木日記2015-1 [プライベート]

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ここに一週間単位で休みが取れるのは何年ぶりだろうか。昔はもっと余裕があったように思う。昨日、一昨日とYRFC(四日市鉄道ファンクラブVOB(very old boy)の人たちとの交流を楽しんだ。昨日は麦草峠を越えて松本まで一緒にドライブをした。あいにく霧ヶ峰、美ヶ原は濃い霧に立ち込め眺望は楽しめなかったが、いい二日間だった。Hbfでは私は最長老だが、VOBでは最年少である。東京、四日市、宝塚等に住むメンバーが私を含め、7名健在でこうしてここに集まれるのは奇跡的ではなかろうか。中には足元のかなりおぼつかない人もいる。もういくらなんでも遠出は無理だろうなあ、と思われたのでお誘いしなかったSさんからは、今年はどうなったのですか、と電話があったそうで、来られたのは嬉しい限りであった。この人も元気なメンバーがレクサスで連れてくる。

彼らと松本駅で別れ、今日は妻と二人きり、何時もの散歩道を歩く。距離はさほどでもないがアップダウンが多く、かなり息は切れる。足腰を鍛えるには理想的なロケーションにある。今年は珍しく花を咲かせた草が道端に生い茂っており、それを目当てに集まる蝶々の種類もまた多い。

徴兵制度について [プライベート]

これまで私が現在の自衛隊について考え、戦争になることは今のところまずなさそう、という状態を前提に自衛隊の音楽隊になるのは悪くない仕事だよという趣旨のブログを書いたことがある。しかしいま私は前言を全面的に撤回しなければならない昨今の情勢になってきた。子弟にそう語りかけるのがこれまで教育してきた私の義務である、とさえ考えるようになった。

安倍さんは絶対徴兵制になることはあり得ない、と断言する。これがどれほど現実を反映していないか、危惧せざるを得ないことが起きている。確かにいまは自衛隊員になるのは強制されていない。しかし、このところ二士、一士、という下級の自衛隊員は常に定員割れの状態にある(70%程度)という新聞記事を見て考えを変えたのである。

私がかつて大いに恩恵を受けた学生時代の貸与制の奨学金制度。確かにかなりの額を貸与してもらったが、条件として、将来10年間教員になればこの借りはすべてチャラにしてもらえた。当時は教員が足りなかったからこういう優遇制度があったのだろう。しかし、先生のなり手は十分ある現在、これを自衛隊員になればチャラにする、というふうに法律を変えるのは難しいことではなかろう。つまり貧乏人の子弟は自衛隊員になれ、というようなものだ。いやもう私はあえて軍隊、と言おう。第二次大戦中の徴兵制度は確かにひどいが、この場合は貧富に関係なく、赤紙一つで戦争に駆り出された。これは制度としてひどいが少なくとも平等である。

だが、安部さんの言とは裏腹に、実際にドイツのように憲法を集団的自衛権を認めるように憲法を改定した国でアフガンなどで戦死者が何十人も出て、問題が深刻になっている。日本の政権与党はこの事実を知らないはずはあるまい。もし日本でもそうなれば、本人が自主的に、もしくは親が強制的に除隊させるだろうから隊員の不足はますます深刻になる。世界の情勢としてアメリカもドイツもフランスも若い時期の何年間か若者に軍隊に入るのを義務としてきたが、次第に志願制に変わってきているようである。義務にはしないが実質お金に困っている人が志願せざるを得ない貧富の差による不平等が生じている。

話は少し飛躍するが、少子化がいま大きな問題になっている。これまで述べた現状にてらして考えると、お金のないカップルが結婚して、自分たちが裕福でない中、必死に子供を教育しても、将来、奨学金と引き換えに我が子が軍隊入隊を義務付けられるかもしれない、となったら、ますます、子供を産んで育てよう、という意欲は減退する、どころか子供を作るのはもうやめよう、となりはすまいか。少なくとも私が現在その立場なら子供の将来を考えてもう結婚はしないと思う。

マーラーの歌曲集「子供の不思議な角笛」の中の一曲、「少年鼓笛隊兵」はおとぎ話、と思ってこれまで楽しんできたがいまや現実味を帯びてきた。
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