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領土問題 [政治]

石原都知事が尖閣を都として買い上げる、と言った時、私はよく中国が黙っていたものだ、とハラハラしたものだ。それが「国有化する」ということになって、我慢していた中国(胡錦濤)もここでブチきれた、というのが今の状況である。 結果がどうなるか、ということを都知事も、買い上げを宣言した国も、中国国内の事情も熟慮した上でそうしたのだろうか。私にはそうは見えない。いくらこちらが正しい、と思っても相手はそうは思わないかもしれないことまで考えが及ばないとしたら子供の喧嘩と同じである。その時相手がここまでの行動に出るか考えもしなかった、驚いた、というコメントに私は驚いたのである。こういう事態もありうる、ということも充分想定した上での国有化であるなら話は別であるが。

どちらが正しいかはともかく、これで日中間に領土問題が存在することは誰の目にも明らかになった。日本のいう「領土問題は存在しない」という主張は、韓国のいう「領土問題は存在しない」というのと同じ矛盾を抱えることになった。中国は今後その矛盾をついてくるであろう。私が恐れるのは日本の指導者がナショナリズム化し、日本人がそれを支持しやすくなる、という「いつかきた道」をたどるのではないか、ということである。タカ派の阿倍さんが自民党総裁選に選ばれたことも不安の種である。たかがちっぽけな島だが、第一次世界大戦の原因がプロシャが領土問題を武力で解決しようとしたことが発端になったことを忘れてはいけない。「断固として」という勇ましい言葉は私にはいつもいかがわしい、と映る。

あれ以来人間はちっとも利口になっていないようである。この紛争が長期化すれば、世界中が損害を被るのだ。歴史が繰り返されないことをせつに望む。ここで日本の取るべき態度は、とりあえず国有化はともかく見送るということで諒とされたい、という線の水面下の交渉しかないのではないか。

領土問題 [政治]

昔なら、これで戦争になって勝った方が分捕る、というのが普通のなりゆきだったが、現代、これで戦争になることはないだろう。領土問題では私なりに考えるところはあるが、ここでそれについては触れない。ただこのいざこざは、どの国にとっても、どのような成り行きになっても、だれも得をしない、という特徴がある。資源問題が絡むにせよ、たかが広大な海中にある小さな岩である。大勢の人が住んでいるところに攻め込んだ、という話ではない。

これは外交で解決するしかないのだが、日本、韓国、中国、どの国の外交も上手にやっている、という風には見えない。以前の中国の船舶の拿捕問題でも、日本が折れて、中国が強引に勝った、と日本では屈辱的に見られているが、結局中国も国際的な観点でみると、これで得をしていない。相手をおどかして無理やり自分の言いなりにさせる強権国家、というイメージを世界にばらまいてしまった。今回の尖閣問題では、多少前回の対応を反省したようで今のところ抑制的である。歴史的に見ても最大の失敗のもとはナショナリズムであることが多く、日本も過去にこれで失敗をした。これをいかにうまくコントロールするかが政府の最大の課題であろう。ただ政権基盤が弱いとどうしてもポピュリズムに傾きやすい。韓国大統領の言動はその最たるものであろう。

今回の騒動もどの国も得にならず、三方全損なのである。なぜこういうバカなことになるか。東西冷戦時代、日本とソ連は最悪の関係にあったが、その時代でも、私も何人かのロシア人と交流を持ったが、個人のレベルでは、みんな本当にいい人たちなのに、国が絡み、思想が絡み、歴史が絡み、ナショナリズムが絡むと話はややこしくなる。これだけはグローバル時代にあっても昔と変わらない。これからどうなるかはわからないが、第二次世界大戦の原因ももとはといえば、資源問題だから、ここは日本も冷静に対処しないとのっぴきならないところまで行ってからでは遅い。岩一つで人間の命をかけるほど馬鹿げたことはないのだから。

がれきの処理 [政治]

 東北大震災から1年がたとうとしているが、がれきの処理がいっこうに進んでいないようである。各自治体は早々と受け入れを表明したが、住民から猛反発があって頓挫しているという。

 多分私もふくめ「多くのふつうの人たち」は災害の痛みをみんなで分かち合うことが必要だとは誰しも考えていると思う。自分のところさえよければいい、とは考えていないであろう。受け入れ反対運動にかかわる人の中にも、放射能の検出されないものなら受け入れてもいいと思っている人もいるに違いない。

 本当に放射能が混じっていないと、誰も信用していないからこそ、こういうことにもなるのだ。「お上」はこれまでウソの情報を一杯垂れ流してきた(よほど好意的に見ても「お上」の立場からすれば、うそを言ったつもりはなかったが結果的にウソになった)、誰もお上のいうことを信じなくなっているからこうなるのだ。いわく、「原発は安全だから絶対事故は起きない」、事故が起きてからでも「水素爆発は起きない」「メルトダウンにはいたらない」、そしていまでも「冷却安定した状態にある」。

 これだけ「ウソ」の情報をまのあたりにした人たちに「このがれきには放射能は検出されていません」ということを信用させるのは容易ではないであろう。そしていったん運び込まれた汚染物質は容易に移動させられない。

再び原発について [政治]

 このところ東京の寒さは身にこたえる。ヤフーのインターネットに震災以来ずっと掲載されていた「現在の電力供給状況」がいつの間にか画面から消えた。一般に「この冬場が厳しい」ともいわれていたが、いっこうに「もっと節電をしましょう」という声はあまり聞こえてこない。今後の見通しは日本中の原発がすべて稼動しなくなる時が必ず来る。その時の試算が今朝の新聞に出ていた。

 それによればかなり綱渡り的で、きびしいはきびしい。しかし、現在のところ、一番電力を必要とする関東地区でさえ、いくらか余裕があるようなのである。一番寒い時期で節電しかければならないはずだが、あまり切迫感はない。「原発がないと電力はまかないない」とさんざん聞かされたが「結局どうにかなったじゃないの」というのが一般の感想であろう。

 コストについても私たちが吹き込まれていたように、原発はほかのエネルギーに比べて、安価どころか、ものすごく高いものにつき、いったんことが起これば(おこらなくても)その被害は末代にまで及ぶことを思い知らされた。それでもなおかつ原発をあきらめようとしない人たちの神経は私には理解しがたい。菅前総理はさんざんたたかれて総理の座を降りたが、私はいまでも彼を評価している。(1)脱原発を表明したこと(2)浜岡原発を停止させたこと この二つだけをとっても彼が総理をやった意味は大きい。反原発を唱えたために、原発推進派がよってたかって彼をひきずりおろした、と私は確信している。もとより、震災の処理には彼もいくつかミスもおかした。しかしあの前代未聞の緊急事態、混乱の中で、いつも正しい判断をし、全くミスを犯さないひとなどいるわけがないのだ。

 ドイツはいち早く脱原発を表明したが、その時点で、原発なしにはたして必要なエネルギーがまかなえるか、確実な自信があったわけではない。それでも国が脱原発をまず国民に対して表明し、国民全体がその方向に力を合わせれば実現出来るといまでは思えるようになってきた。これを見るにつけ、日本は一体何をやっているのだ、と私はいいたい。

ギリシャ問題 [政治]

 ムリだろうなあ、と思う。当面何とか切り抜けているものの、今後どうなるかわからないが、そもそもギリシャがEUに入ったことを知ったときから私はあまりいい予感がしていなかったのだが、案の定ヤバくなってきた。

 難しい議論を持ち出さなくても、ドイツ、北欧、ギリシャ、南イタリア、などを旅行してみればこれら、全く気質や価値観の違う国々が統合して国境をなくし、共通通貨を持つことのムリさ加減は肌で感じるものである。 ギリシャをつぶさないために、日本としてギリシャに何が支援できるか、となると、税務署の精鋭マルサを送り込んでギリシャ人の脱税を徹底的に洗い出せば経済問題などすぐに解決する、といった人がいるが、冗談にしても現代ギリシャ人の特質を言い当てている。

 ギリシャ旅行をして、そこそこのレストランに入って食事をしても、よほど気をつけていないと、定価の3倍くらいはぼったくられる、もしくは、シェフが上機嫌で一番高いメニューをすすめる、断っても引き下がらない、などなど油断もすきもならない国だから、国民は脱税など何とも思っていないし、国がつぶれても案外人民は平気なのだ。

 だいぶん前にアルゼンチンが債務不履行になって、日本人でアルゼンチン債を買った個人や団体は大変な目にあった。それで国家が破産したはずのアルゼンチンはいまどうなっているか。隣国のブラジルの好景気もあってすっかり息を吹き返している。つまり借金はチャラにして、その上での繁栄なのだ。ギリシャも多分その二の舞いになると私は見ている。

調査捕鯨について(代用食の文化) [政治]

 結論から言うと、なにも外国から嫌われてまで、無理に鯨を食う必要はない、というのが私の考えである。戦争中に育った私はまとものものをあまり食べられないで育った。ビフテキなどを食べるのは夢のまた夢。やむを得ず、さほどうまいとは思わなかったが、代わりに鯨のステーキを食った。落語ではないがかまぼこが食えないから、たくあんをかまぼこに見立てて酒の肴にする、とか抹茶が買えないから青きなこを代わりにつかって腹をこわし、一晩中トイレに通う、とか「代用食」の文化とでもいうべきものが戦中戦後にはあって、鯨肉、というのは私にとってイメージの悪い負の文化となっている。

 そもそも鯨がこんなに減ってしまったのは日本が乱獲したからではなく、19世紀末、欧米でランプの灯油としてやたらと乱獲したのが今までたたっているのだ。「鯨を捕ることは悪い」とは、彼らにだけはいわれたくない、という思いはある。いっぽう鯨を食うのは国民の文化、という捕鯨派の論説にもおおいに違和感はある。日本の一部の地域にそのような食習慣は今でもあることは承知しているが、日本全体として、鯨を日常的に食べている人が一体どれだけいるだろうか。税金を使い、外国から目の敵にされてまで鯨を食う必要などない。調査捕鯨とはいいながら、実質、市場に「商品」として出回っているのだから「調査」を名目にかかげる捕鯨も反対派の外国にはあまり説得力は持たない。

尖閣諸島問題(3) [政治]

 5つの「あ」という要諦があるのだそうである。

1、当てにせず 2、あきれず 3、あわてず 4、あせらず 5、あきらめず

古くからから中国人と深い付き合いのある商社の人の、中国人とつきあう上での心すべきこと、ということらしい。なるほど、と感心した。今回の騒動で民主党の対応はどうだったか。これら5つの項目のうち、きちんと押さえて行動したことがいくつあったか。私は甘く点を付けても一つくらいしか実行していないのではないかと思う。そして、とくに今回の場合大切だと思ったのは「2」の「あきれず」である。奇想天外な発想をする、ということに日本人は苦手であり、前例に従う、のをよしとする文明には中国の発想をなかなか理解することができない。
 
 古くからつきあっている日本商社は勿論、ヨーロッパの商社でもこういう中国人の特性を充分理解した上でうまく仕事を運んでいるようなのだが、日本の政治家、なかでもM外務大臣などは、今回、日本のやり方に従って粛々と、あるいは国際上の「常識」にしたがって、やった結果がこの有様なのである。前のブログで私が不用意に「巨竜の尾を踏んだ」と評したのもこのことなのだが、政治家、とくに外務大臣という人が中国に対して日本の商社がとっくに実行していることも知らず、正攻法で中国と対したことが何もかも台無しにした。政治家はもっと老獪でなければならないのだが、あまりに若すぎる。民主党は政権党としてまだ若いのだから仕方がない、といっていられる場合ではないのだ。

考えれば何も相手が中国人でなくとも、ふだん何事にたいしても必要な心構えなのかもしれない。

尖閣諸島ビデオ問題 [政治]

 私には誰が垂れ流したかはどうでもいいのだが、そして、こういう形がいいか悪いかはどうかはともかく、また石原都知事の味方をするわけでもないが、すでに世界中のネットに流れてしまったのはいいことだと思っている。もう誰もどうしようもないのだ。中国はあくまで「偽物」としらを切るだろうが偽物かどうかは世界が判断する。それにしても日本はこれを武器に交渉に使えたはずだが、相変わらず外交下手だと思う。もうこうなったらこの件で日本の内閣の一つや二つ、倒れたっていいと私は思っている。多分、こういう時代だから犯人はわからずじまいになる。それでいいのだ。日本は一生懸命犯人探しをしました、というフリをするだけでいい。この一件で一番深刻に困っているのは中国ではないか。これからどうなるかわからないけれど、ネット社会の怖さ、より今回は面白さを見た気がする。中国がこわもてに出た結果、まさかこういうことが起こることまでは日本も中国も予想していなかったのではないか。

尖閣諸島問題(2) [政治]

 もとより私は政治・経済には素人だからたまに政治経済のコメントなど書いてもほとんど注目されないのは当たり前だと思っているが、先般の尖閣諸島問題については、これまでのすべての記事の中で群を抜いてアクセスが多かったのはやはりこの問題の関心の高さが伺われる。

 ところで一昨日以来一般新聞やTVのニュースでは私の知る限り報じられなかったが、昨日インターネットのニュースを見ていて仰天した。米軍と自衛隊が協力して、大分県沖のある島を尖閣諸島に見立てて、中国軍が尖閣諸島を占領したことを想定した、中国軍の追い出し、奪還作戦の訓練を実施する、というのだ。

 尖閣諸島は日本の領土、ということはアメリカも認め、安全保障の中に属する、と言っていたものの、私は単なるリップサービスにすぎない、実際はアメリカは何もしない、と思っていた。が、もしこのニュースが本当だとするとアメリカは相当な危機感を持っていることになる。問題はこれに対し、中国がどう反応するかだが今のところ何もきいていない。当然国内でも重大ニュースになるはずだがこれもなにもおきていない。もしかすると意識的に報道管制をしいているのだろうか。私なりの意見はあるが事の重大さにかんがみてとりあえずは控えておく。(札幌)



尖閣諸島問題 [政治]

 まあこの程度のことでよかった、と思っている一人である。物事を逆に考えてみよう。もし私が中国政府の内部の人間だったらどう考えるか。領有権でどちらが正しいか、はさておき、彼らは尖閣諸島が自分の領土だ、と思っているのである。自分の領海内で漁船が拿捕されたのだから、主権を侵された、と当然見る。中国の世論など国内事情もあろうが、彼らなりのこれまでの行動にはそれなりの筋がある。

 最悪の場合、紛争領海内で日本の巡視艇が攻撃され、多くの犠牲者が出る、ということも起こりえた。これまで中国は領土問題でロシア、インド、などすべて武力で対抗してきた。だから場合によっては日本と武力で争うなど、何とも思っていない国である。一方日本は武力を放棄した国である。仮に戦争となっても、たかが小さい島ごときで自分の息子や孫が死んでもいい、と思う人はいまい。中国は戦争で自国民が死ぬことなど国家の利益(共産政権の利益)の前にはどうでもいい国なのだ。この点を絶対に忘れてはいけない。今回のことを通じて日本の政治家はこんな初歩的なことも分かっていないことが露呈された。日本は虎の尾ならぬ巨竜のシッポを踏んだのだ。

 韓国も戦争の無惨さをいやというほど体験した国だから、北朝鮮に軍艦を攻撃され、多数の死者が出て、日本やアメリカの支持を受けてさえ、報復はせず結局泣き寝入りの状態にある。ある私の知人の中国ピアニストと某外国の列車内で話をしていたときのこと。音楽の話は和気あいあいとした雰囲気だった。が、私が政治の話に少し向けると、とたんに彼の顔色が変わった。そしてこういったものだ。「政治の話は出来ない。中国の政府が私に国内に閉じ込めたり、場合によっては消してしまうことなどなんでもないのだ」。中国人民もまた抑圧されているのである。中国は共産党政権の利益を脅かされるいっさいのことは内外ともにすべて受け入れない。

 これから先、まだまだ日本は中国に煮え湯を飲まされ続けるだろう。しかし日本なりの方策はない訳ではない。以前の毒餃子事件のことを見てみよう。例によって最初は中国は高飛車な態度だった。しかし、これに対して日本の主婦たちが不買運動をしたり、中国の国旗を焼き払ったりとか、過激な運動をした訳ではないが、ヤバい、と中国製の食品を自然に買わなくなったのである。これがボディブローのようにじわじわ効いてきて、中国側も幕を引かざるを得なくなったのだ。

 今回の事件も表面、中国が勝ったように見えるが、私は必ずしもそうばかりとは思わない。日本人には中国は少なからぬ屈辱感をもたらした。これからは中国に進出する日本の企業も個人もこれにこりて中国リスクを真剣に考えて行動するだろう。私はことさら奨励したり、煽動したりするつもりもないが、今回のことを不愉快に思った日本人は中国製品を買うのに躊躇する傾向は当然おこりうる。それらが逆に中国経済にどういう影響を及ぼすか。それすら考えないほど中国政府は馬鹿ではけっしてない。とりあえず、私は中国製のレーマン製品や中国製と思われる模型製品など不要不急のものは当面買わないことにした。中国製品を分別して、チョットだけ、バイバイ。いまフツーの日本人として出来ることはせいぜいこの程度だ、と認識した方がいい。

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