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ショパンのコンチェルト弦楽4重奏版(1) [ショパン]

 昨今、日本で流行しているショパンのコンチェルト弦楽4重奏版の演奏について、注意を喚起しておきたいことがいくつかある。

 バルトゥオメイ・コミネックの弦楽四重奏版が現在手元にあり、あるところで演奏するためにこれにコントラバスのパートを書き加えて欲しい、という依頼をうけた。まずその作業の前に、編曲全体を見渡してみた。ショパンがコンチェルトを弦楽四重奏の伴奏で演奏したことがあるのは多分事実であろう。演奏会場の可能性としては多分パリのサル・プレイエルがいちばん高い。しかしサル・プレイエルの収容人数はせいぜい3〜400人前後であったようで、この数が正しくないとしても、少なくとも現代のフルオーケストラに対抗出来る大音量のスタインウエイのフルコンサートと2000人以上の大ホールを前提として考えてはならない。しかも伝えられるようにショパンの弾くピアノの音量はごく限られたものだったようである。

 大ホールで聞いたこの種のコンサートで弦楽のパートが貧弱でとても聴くに堪えない、という苦情を多くの人から聴かされる。もっともだと思う。もし仮にこの形態で演奏するなら、現代でもせいぜい400人くらいのホールが限度で、しかもピアニストは全体の音量のバランスを考えながら弾くべきで、フル・オーケストラと同じように弾いたのでは効果は全く限定されたものとならざるを得ないのは容易に察しがつく。弦楽四重奏は弦楽四重奏であってオーケストラの代用品にはなれない。ピアノをスタインウエイでかっこよく大音量で弾きたいのならこの企画は考え直した方が無難であろう。コミネックの編曲自体にも問題なしとしない。これについては後述する。

作品番号のないマズルカ [ショパン]

  旧ナショナル・エディション(いわゆるパデレフスキ版)に掲載されている作品番号のないマズルカに目を向ける人はそう多くはないであろう。52番から58番までの番号が作曲年代順に振られている。一度は出版されたものの、確かにショパンが作品番号を与えなかっただけの理由はあって、音楽的にも必ずしも成功したものとはいえないかもしれない。ただ、これを一通りあたっておくことはショパンのマズルカの和声法、とくに教会旋法の使われ方についての予備知識を得るには格好の作品といえる。

 ショパンがポーランド民謡で多く使われる旋法、なかでもリディア旋法やフリギア旋法とヨーロッパ伝統の和声法をどううまく同居させるか、それによって、普通の曲を書いてもショパンの音楽がポーランド的、いわれる独特の和声法の一端がわかる。ある曲の中では、たとえばF-dur音階の第4音の「Bフラット」とリディア旋法の第4音「H」とを同時に鳴らす、というかなり極端なことを試みている。これらを一通り勉強しておくと、一見普通の調性、と思われるところが旋法であることが意外に多いのに気づく。だからといって演奏上、何が違う、というほどのものではないかもしれないが、ショパンの和声法を見直すきっかけにはなる。(札幌)

晩年のショパンの様式 [ショパン]

 K先生から来年のピアノ教育連盟のテーマである「ショパン」の研究大会で「バッハとショパン」という内容で講演を、という依頼があった。

 これまで私はいろいろなところで晩年のショパンの様式は対位法を抜きにしては語れない、和声と対位法が理想的に融合した形としての音楽のあり方が晩年のショパンだ、ということはしばしば語ってきた。自分の演奏の内容もその方向に行っていると思う。講演のタイトルをどうするかはまだ決めてないものの、バッハにおける対位法のあり方とショパンにおける対位法のあり方を比べてみるのも面白いかもしれない、と考えて依頼をお受けすることにした。

 ノクターンでいえば作品55の2以降の作品、マズルカでいうと作品56の3などがその典型的な例にあたるだろう。こういう作品でもショパンは美しいメロディと和声を放棄したわけではない。いや、むしろそれらをさらに深化させ、音楽に奥行きをもたせるための手法としての対位法が自然な形で入り込んでいる。それがあまりに自然なために人はほとんどそれに気づかないし、気づかなくてもそれらの作品がより深い味わいをもっていることは誰しも認めるであろう。晩年の作品群でそれらの手法をいったん認識した上で、もう一度初期の作品に立ち返ってみると、その萌芽、というべきものが若い頃の作品にもいたるところに見えることに気がつく。こういう「気づき」がひいては自分の演奏を深化させるのにつながるのではないかと思う。

 日本人は対位法、といっただけで小難しいもの、という先入観念で敬遠する傾向があるように思われる。それをどういう形で自然に自分の音楽の中に取り入れていくかは大事な問題で、対位法は作曲家に任せておけばいい、というものでもないのである。(札幌)

17人編成、ショパンのコンチェルト総括 [ショパン]

最初、2400人の大ホールで17人の小編成のオケではパワー不足はやむを得ない、と思っていた。が、実際にやってみると案外そうでもないのだ。一応必要なパワーは得られる。逆にフル編成のオケは音楽の輪郭を曖昧にし、必ずしもいい効果を生まない、ということもわかったのは収穫だった。欲を言えば弦楽器にあと数人の楽員を使えればもっと理想的なバランスになる。

管楽器で使用したのは、本当に必要不可欠なものとして木管各楽器一人ずつ、ホルン2本、ティンパニ4つ、と考え抜いて厳選した。弦楽器は3、2、2、2、1で10人。小さいけれど筋肉質の編成だった。演奏メンバーがいずれもプロオケの、それもより抜きのベテランぞろいだったことも大きな力になった。

この編曲で私が徹底的にこだわったのは原曲のショパンのイメージを壊さないこと、につきる。
(1)ショパンのオーケストレーションでいつも不満に感じる大事なメロディーがはっきり聞こえてくれないのを、その場所で必要な音質の管楽器を優先的に使ってできる限りいいバランスで補強してやる。

(2)少ない管楽器を一個の音も無駄に、不用意に使わないように留意し、現代のペダルで音程をかえられるペダル付きティンパニの性能も最大限利用した。ティンパニストからクレームもついたが、不可能ではないでしょ、と頼んで私が書いた通り何とかやってもらった。ティンパニとピアノは発音原理が似ているから使い方次第で意外と相性がいいのである。

(3)もう一つの特徴は、管楽器のパートだけで演奏しても和声に必要な音はきちんと鳴り、それなりの独自性を保っていること。ピアノ演奏に例えると、右手だけでもきちんと音楽になり、左手だけで弾いてもバランスのとれた音になっていないと両方合わせてもきれいな音にはならない。これと同じ原理である。オーケストレーションの基礎を徹底的に勉強し直した、という意味で私には貴重な機会となった。この年になってこれまで経験したことのないこんな試みに挑戦できるのは音楽家冥利に尽きる。

ショパン・パリ最後のリサイタル [ショパン]

29日、こんなタイトルで行われた、本演奏連盟主催のショパン生誕200年祭記念コンサートは盛況、かつ、成功裡に終わった。企画に関わった人間として、ほっとしているところである。(東京文化会館大ホール)

4時間半にも及ぶ長丁場なのでお客さんは途中であきられて帰られるのでは、と心配したのも杞憂に終わった。演奏者のすばらしい演奏の数々が最後まで観客を飽きさせなかったのだろう。多くの出演者の交渉、会場整理、練習時間の設定、など事務局は複雑、煩雑な事務量で大変だったに違いないが、私の知る限り一つもミスは起きていない、日本演奏連盟の事務能力はすごい、と改めて感服した。

私の出番であるコンチェルトの17人の室内オケ編成の編曲の響きかたもだいたい想定の範囲内であったし、オケを指揮しながらピアノソロにぴったりつける、という経験もスリリングではあった。とくに第2番の第2楽章、迫さんのかなり自由なテンポ・ルバートにピンポイントでつける、というのも、自分はピアノパートを細部までよく知っているからまあ大丈夫、とは思ってはいたものの、やはりピアニストは特に本番では予想外の動きをするから、それなりの集中力は必要となる。第2ピアノで気楽に伴奏をしているのとはやはりひと味違うのだ。


クラシック・フェスティバル(日演連) [ショパン]

 2010年のショパンイヤーに関しては、日本ショパン協会の10日間にわたるイベントの企画でさすがのアイデアマンの私もアイディアは種切れになった。そこへ、今度は日本演奏連盟の事務局長からまた別なショパンイベントの相談が持ちかけられた。私はもうやけっぱちになりそうだったが、それでも雑談を交わしているうちにアイデアというものは何とかなるものだ。

 ショパンは生涯のうちピアノコンサートわずかは三十数回しか行っていない。昨今少し売れたピアニストなら三,四ヶ月くらいでこなしてしまいそうな分量でしかない。おそらく、史上、ピアニストとしては一番公開演奏会の少なかったピアニストであり、それにもかかわらず史上最も高い評価を受けたピアニストの奇蹟のような例といえる。

 ショパンの開催した当時のプログラムは、ある程度現在でも記録が残っていて知ることができる。ショパンの行ったパリ最後のコンサートのプログラムを再現したら面白かろう、という話になった。ソロあり、ピアノトリオあり、オペラのアリアの伴奏あり、コンチェルトありで、長大なプログラム、蒲柳の質のショパンにはさぞ体力的にも大変だっただろうと思われる。が、プログラムはじつに変化に富んでいてショパンの名演とあいまって聞き手は退屈しなかっただろう。

 こんなことをだべっているうちに、「相談に乗る」だけのはずが、私は事務局から「監修」ということにされてしまった。問題はコンチェルトである。一番のコンチェルトのたった第一楽章だけのために、オーケストラを雇うのはいかにも不経済。またそんな金もない。さりとてピアノ伴奏じゃつまらない。ピアノ伴奏のコンチェルトのために4000円もの入場料はとてもとれない。そこで私は考えた。

 経費の節約と演奏効果の両方を考えるなら、折衷案として、17,8人程度の室内オーケストラに編曲すればいいではないか。提案してみたら事務局も乗り気である。こういう誰もが不可能、と考えることをともかくやってみる、という冒険には私の血が騒ぐ。時間をおいて少し冷静に考えてみたが、あながち不可能ではなさそうである。指揮者の人件費節約なら、私が指揮をとればいいだけのこと、自分で編曲したものの指揮ならこれまで何度も経験している。何てことはない。そのうち時間と共にもう少し具体化してくるでしょう。ご期待を!

「室内楽版」 脱稿 [ショパン]

 かねて編曲を進めていたショパンの4曲のオケ付きピアノ曲。「ピアノ6重奏」版の最後の「アンダンテ・スピアナートとグランド・ポロネーズ」をもって全部完了した。もう一度、ここにリストを挙げる。

作品2  「ラ・チ。ダレム」の主題による変奏曲 変ロ長調
作品13 ポーランド民謡による幻想曲 イ長調
作品14 クラコヴィアク ヘ長調
作品22 アンダンテ・スピアナートとグランド・ポロネーズ 変ホ長調

編成は:

作品2と作品14がピアノ+弦楽四重奏+第2ヴィオラ、コントラバスの「ピアノ7重奏」
作品13と作品22がピアノ+弦楽四重奏とコントラバスの「ピアノ6重奏」

2つの作品にもうひとつヴィオラを追加したのは、弦楽器に重厚さを加えるためと、ショパンがオーケストラのために書いた、どの一つの音も犠牲にしないためである。ほかの二つの作品ではこれで充分、と判断した。どの曲もショパンのピアノパートの書法はすでに完璧であり、変更を加えることはゆるされない。

 この仕事を進めているうち、自分でピアノを弾いているだけでは分からなかったショパンの意図がいろいろ分かってきた。ショパン17才の作品である「ラ・チ・ダレム」ではまだ明らかにオーケストラの扱いが未熟で問題点が多く、かなりの部分に訂正を加えた。それにもかかわらず、ショパンはバス楽器には実に慎重な配慮をしている。チェロとコントラバスを古典的なオーケストレーションのように、無造作に重ねることをさけている。ショパンのピアニストとしての音量を考えた上でのことと思われる。

 作品13以降は私自身のことさらな変更はほとんどしていない。例えばショパンの音づくりの特色である、第2ヴァイオリンとヴィオラの声部が常に上下逆に配置されているので、場合によってヴィオラの音が突出して響くこともあるが、これもショパン独特の意図的な音配置、と考え、私も編曲に際し、それを尊重した。(実際にはどこまで演奏効果があるかは疑問だが)

 この編成は400人程度のキャパシティのホールを想定しているから、普通のピアノリサイタルの中に、これらの曲を弦楽奏者の協力を得て1〜2曲を加えれば、面白いプログラムも組めるだろう。この規模のコンサートであれば経験上、現代のコンサートグランドピアノと弦楽器はよくバランスがとれるはずだ、と思っているが、100パーセントの確信を持つには実際の演奏を経てみなければ分からないこともあると思う。

「ラ・チ・ダレム」の弦楽6重奏版 [ショパン]

 だいぶんさぼっていた、というより、いまひとつ気乗りがしなかったせいもあってしばらくやめていた「ラ・チ・ダレム・ラ・マノの主題による変奏曲」の弦楽6重奏版、今日完成しました。前のブログにも書いたのですが、これはショパンのオーケストレーションより、だいぶんはみだしてしまった部分もあります。面白くなったかどうかは分かりませんが基本的にはこれでいけると思います。

 「クラコヴィアク」「ラ・チ・ダレム」とくれば残るのは、イ長調の「幻想曲」作品13。毒くわば皿まで。それにも早晩とりかかります。のこる「アンダンテ・スピアナートと華麗なポロネーズ」。これはどうしましょうか。大した手間ではないからこれも一緒にやっておきましょう。何かの役には立つかも知れない。

 ショパンという希有の天才が、1曲1曲ごとに恐ろしいほどに音楽が充実、発展し、独自の世界に深くはいり込んでいく過程をまざまざとみる思いがします。ショパンの場合、ほかの天才、モーツアルトやベートーヴェンと比較すると、発展のスピードが想像を絶するほど速い。

ラ・チ・ダレムはなぜ失敗に終わったか [ショパン]

 変奏曲の傑作はおおむね、凡庸なメロディーから生まれるようである。ショパンのノクターンのような美しいメロディからは、変奏曲の傑作は書かれていない。それに反し、パガニーニのキャプリスのようなメロディとしては比較的凡庸なテーマで多くの変奏曲の傑作が書かれていることは興味深い。ショパンの「ラ・チ・ダレム」の変奏曲が失敗作に終わったのは、モーツァルトのメロディがあまりに美しすぎ、若いショパンがモーツァルトの傑作に負けたのだ。

 ショパンの変奏曲(と作曲家は言っていないが)の最大の傑作は「子守歌」であろう。これはほとんどメチャクチャなショパンの一つのカケ、といってもいい。トニカ・ドミナントというなんの変哲もないオスティナート上に4小節のメロディを書き、それに変奏とコーダをつけただけのものだが、作曲の構造物としては特にみるべき面白さがあるわけでもないのに、この信じがたい美しさに仕上がっているのはほとんど奇蹟といえる。メロディスト・ショパン以外でこのような奇蹟の行える作曲家はモーツァルトをのぞけば皆無、といっていいであろう。

 もう一つの最大のカケが傑作となっている例はラヴェルの「ボレロ」。変奏をしない変奏。ただ、オーケストレーションの巧緻さだけがその成功を決定的なものにした。メロディとオーケストレーション。それにもう一つ付け加えるなら、ベートーヴェンのソナタ、Op.109とOp,111の終楽章。これは、「人間の精神的な深さ」。これだけが決定的な要素であり、このメロディは一つ間違えば駄作に終わる危険性もあった。

 共通していえるのは、実質は変奏曲でありながら、どの作曲家も「変奏曲」と名付けていないところにある。

 本物の「変奏曲」の傑作についてはまたいづれの機会に。

ラ・チ・ダレム・ラ・マノの主題による変奏曲 [ショパン]

 モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」より「奥様お手をどうぞ」の主題による変奏曲 Op.2

という長たらしい名前の曲。曲名が知られている割にはコンサートで弾かれることは極めてまれ。それも理由のないことではない。まず、曲自体、シューマンが激賞したほどにはさほど面白い曲とは思えない。演奏技術から言えばかなり難しく、腕の立つピアニストなら喜びそうだが、このオーケストラの伴奏がいくらなんでも凡庸なのだ。それでもピアノ・ソロの部分にはを後のショパンを伺わせる美しさも たくさんある。とはいえ、この曲は、当時大変はやった「エア・ヴァリエ」(アリアによる変奏曲)という名の凡百の曲がやたらめったらつくられ、好まれた時代の産物以上のものではない。

 そんなわけで、オーケストラの伴奏部分を単に弦楽四重奏になおすだけの仕事には、すこし嫌気がさしてきた。そこで、原曲を出来る限り尊重した上で(私の編曲はいつもこの姿勢が基本である)オーケストラ伴奏部分に最小限、ピアノソロを少しは引き立てるような変更を加えてみようと思う。ピアニストが単に弾きまくるだけではなく、オーケストラにもせめて多少は楽しんでもらえるパッセージも必要なのだ。このままではいくら弦楽四重奏になおしたところで、プレーヤーはやはり嫌気がさしてしまう。以前に「演奏会用アレグロ」をピアノコンチェルトに編曲したことを思い出し、その経験をもとにもう少しは何とかなりそうな気もする。もとより、私は空前絶後の大天才、ショパンを崇敬することにおいては人後に落ちないつもりだが、ショパンなら何でもかんでも無条件にすばらしい、という態度は私はとらない。

(追記)目下編曲中だが、これはもしかすると、「アンダンテ・スピアナートとグランドポロネ−ズ」のように、ソロヴァージョンに編曲しても案外面白いかも知れない。オーケストラ伴奏はほとんど必要がないように思える。

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