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ピアニストの観たオペラ「ヴォツェック」 [オペラ ]

何ヶ月も前から切符を予約して楽しみにしていた、アルバン・ベルクが完成させた唯一のオペラ「ヴォツェック」の初日公演を新国立劇場で観た。東京は何と言ってもやはりこういうあまり上演されないものが観られるという意味では住んでいて刺激的な都市である。一時間半の比較的短い3幕のオペラだが、十分見応えがある。オペラの性格の変化は確かにワーグナーを抜きにしては考えられないであろう、と改めて感じたことである。

私はピアニストとしてこれまでベルクの数少ないピアノ曲、ピアノソナタと「ピアノ・ヴァイオリンと13管楽器の室内協奏曲」の2曲を演奏してきており、対称的なこの2曲の演奏経験から私なりの「ベルク像」は若い時から出来上がっていた。それはロマン派音楽が限界まで爛熟し、シェーンベルクで調性をもつ音楽が完全な12音技法によって冷や水を浴びせられた。が、師の音列技法を受け継ぎながらも、まだロマン派の残り火が調性の灰の中の残り火のようにふつふつとたぎるものを感じ取ることができる。それがシェーンベルクの音楽より、より多くの人に愛される理由ではないか。明らかな調性のある部分ではリヒアルト・シュトラウスを想起させる甘美な部分もあり、それが音列技法で書かれた部分との対比が実に鮮やかである。

オペラだから当然歌唱の部分もあるが、音程の定まらないSprechstimmeと呼ばれる、語りと歌唱の中間をなす独特の唱法で、聞いていてその境目は必ずしも明らかではない。これはシェーンベルクの「月につかれたピエロ」の流れをくむ、さらにいえばヨーロッパで長く受け継がれてきた「メロドラマ」、つまり「語り」と音楽を結合させた語法がここに結実したものと見ることもできる。

とはいえ、筋書きが単純である割には、決して聞きやすい音楽とはいえない。ヴェルディやプッチーニのオペラに慣れた人には拒否反応を示す人もいるのではないか。演奏技術の困難さも並ではないはずで、早めに客席に入ってオケピットをみると、通常、開演前はあまり楽員はいないものだし、たまにいても気楽に音を出しているものだが、今日は初日ということもあり同じパッセージをこのごに及んでも何十回も繰り返しさらっている楽員がたくさんいるのが印象的で、大変なんだなあ、と少し同情的になった。

ドン・ジョヴァンニ [オペラ ]

去年のコシ・ファン・トゥッテに続いての芸大オペラ、モーツアルトのドン・ジョヴァンニの公演、とても楽しみにしていた。芸大現役時代には一度も見なかった(見る暇もなかった)。立場上、毎年招待状がとどくので今年は無理を言って妻の席も確保した。(少し権限の乱用か?)切符を買っても大した入場料ではないのだが、判明した時点ではすでにソールドアウトになっていたからである。

オペラとは夢のあるものだが金のかかるものでもある。出し物にもよるが、オペラ関係者に聞いたところでは一公演あたり約一億円前後かかるそうである。単純計算すると、2000人のホールで、一億を観客席の頭数で割れば、一人5万円の入場料を取らないと採算割れになる、ということになる。外国オペラの引っ越し公演など、5万円の入場料でも絶対賄えないのはこれを見ても明らかである。欧米の場合は、国の補助でかなりの部分賄っているからなんとかなっている。日本の場合、多少文化庁の補助はあるものの、基本的に自前である。日本のオペラがここまでの発展を見せたのも、関係者の血のにじむ努力は驚異にあたいする。だが、これも日本の伝統芸能ではないから、突き放した見方をすれば、好きでやっているのになにも税金で賄うこともないでしょ、ということにもなる。

芸大オペラは、出演者は主役はオーディションで選ばれた学生だが、指揮者、オーケストラ、合唱、演出、舞台装置、衣装、歌唱やイタリア語や演技の指導などはプロ集団でもあり、教育目的で出演の学生をバックアップしている。それらはどういう名目であれ、国家予算でほぼまかなわれているから、ある意味、国立オペラ、といえないこともない。だが独立法人化した旧国立大学の予算は厳しい。そんな悪条件下、よくやっているなあ、と賛嘆の念を禁じ得ない。これが3000円程度の入場料で見られるなら、そしてその公演の出来栄えから見ても絶対お得で、すぐソールドアウトになるのもうなずける。

公演は、オペラに関しては半素人の私にも充分楽しめた。多くの時間的、金銭的、人的、空間的制約を乗り越え、大学の内情をなまじっか知っているだけに感無量であった。あとで知ったことだが、レポレロの大役を立派にこなした学生は、神戸女学院大学、札幌大谷大学でご縁のある声楽家N先生のご子息であることを知って、血筋は争えないなあ、の感を深くした。

コシ・ファン・トゥッテ [オペラ ]

 「Cosi fan Tutte」(女はみんなこうしたもの)は今回で8回目の上演であり、新奏楽堂がオープンして2回目となる。演出も前回に続いて直井研二なので、ある程度手に入ったものであろうと思われる。芸大の内情を多少知っているものとしては、限られた予算の中であれだけの実の高いオペラが上演出来るようになったのはまさに隔世の感があると感じ入った。

 何より、声楽科、オケの質の向上はめざましい。というわけで私は3時間半のモーツァルトのオペラをたっぷり楽しむことができた。「Cosi fan Tutte」の筋書き自体は馬鹿げたドタバタ喜劇であり、台本もさして感心したものとはいえないけれど、何よりこのオペラの完成度の高さと、ドラマの内容に奥行きを与えているのはモーツアルトの音楽に他ならない。

 この台本は最初サリエリに渡されて書き始められた、といわれるがどういういきさつからか、モーツアルトがオペラとして完成させることになる。台本がちゃちなのでオペラとしての真価が認められたのはつい50年ほど前からである。

 どの役も充分楽しめる高いレベルを保っていたのは素晴らしかったが、なかでもグリエルモ役の横山浩平とデスピーナ役の朝倉春菜を特筆しておきたい。デスピーナは小間使いとして、いわば脇役ではあるものの、ニセ医者に化ける、公証人に化ける、とさまざまなキャラクターを使い分けなければならない難役である。この難役のこなしかたをみて、ここまで芸大オペラの質が向上したか、との思いを持った。昔、学芸会に毛の生えたような程度の芸大オペラを知っている身としては、である。

 1幕の終わったところで兵士を乗せた船が出航するのを暗示する、布きれで作った、いかにもチャちい船のぬいぐるみが会場の通路を走り回った。チャちいのを逆手にとった演出で会場を湧かせた。
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