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作曲法を教える(3) [昭和音楽大学]

作曲もピアノも全くの初歩、というので、一年生の学年末のピアノの試験はクレメンティの一番やさしい曲を全楽章クリアするのがやっとで、それでも彼はなんとか合格点はもらったらしい。例の作曲科の男の子である。

2年の学年末試験が近づいた。今回の課題はまことにハードルが高い。ドビュッシー、ラヴェル、フォーレ、プーランクなどの作品を弾かなくてはならないのだが、どの曲をとってもこれはもう彼にとっては絶望的と思われた。私はひそかに未発表作品と称して、やさしいそれらしいフランス近代風の曲(つまり偽作)を彼のために作ってやろうか、とも考えた。しかしバレたら佐村河内ではないが当然ただでは済まないからこの案もボツ。

とつ、おいつ、考えているうち、一般のピアニストはこの曲を特にやさしいとは考えていないが、彼にはできそうと思われる作品を思いついた。何しろ彼はダラダラと続くパッセージがダメで次の音を弾くまで考える時間を要するのだ。その条件に該当する作品、というと、ドビュッシーの前奏曲集から第一集の「雪の上の足跡」それと第二集の「カノープ」などが考えられる。とりあえず「雪の上の足跡」をやらせてみたらこれが案外いけるのだ。とりあえず弾ける、と言うだけならもう9割がたできている。「今度の試験は楽勝だな」と私はつぶやいたが彼はその意味を理解したかどうか。

作曲の課題は弦楽器で弦楽四重奏をソナタ形式で書く、という。一年の間に随分勉強はしたらしく、いろいろの専門用語が通じるようになったのは大きな進歩。結構生意気なところはあって、調性のはっきりした曲は書かない、という。でもソナタ形式に調性は欠かせないから、そのギリギリの線としてベルクのピアノソナタを持ち出し(もちろん彼はベルクなどという名前は知らない)弾いて聞かせながら、ほとんど調性がないにもかかわらず、しっかりロ短調を基本としている、この曲はその一つの典型といえるよ、と解説。

次に、各弦楽器の調弦の仕方を質問してみたが、ヴァイオリン以外は知らない、と言うレベルにある。ピチカート、は流石に知っているが、ダブルストッピンク、ハーモニックス、コル・レーニョはご存知ないらしい。それらを説明し、弦楽四重奏のスコアの書き方も一通り説明した。こんなことは本来作曲の先生の仕事だと思うのだが、私もやれるだけのことはサポートする。

新年度の予定 [昭和音楽大学]

学期はじめの初日に大学に行って一年間の予定の打ち合わせをした。札幌の仕事はほぼなくなったのでだいぶん時間はできる、と期待していた。が今日の様子では必ずしもそうならないような雲行きになってきた。時間は楽になるから昭和の仕事は多少増えてもいい、と告げておいたのは事実だが、今日時間割を見せられたら、そう楽でもなさそうだなあ、という実感である。

まあしかし、音楽に関わる話であるし、なんと言っても自宅から電車乗り換えなしで20分しかかからない、というのは魅力で、老体には助かる。治そう、と心に決めたがやはり私の働き中毒はなおりそうにない。それと今日感じたのは、私は音楽家として先輩であり、私の業績に対してそれなりに一目おいてくれる、という大学全体の空気である。ちやほやしてほしい、という気持ちは全くないが、音楽家として話が通じる、ということは何にも増してストレスなしに過ごせそう、という予感が持てる。不毛の会議などと無関係となるだけでも気分的に違う。もういっとき年は忘れて働いてみよう。

作曲法を教える(2) [昭和音楽大学]

ピアノを教えているよりこの方が面白いのではないか、と思う。先週に続いてクレメンティの一番やさしいハ長調のソナチネ。今日は第二楽章である。宿題としておいた、ピアノで曲をひかせるのは2回だけ。あとは作曲法のお勉強となる。これはどういう形式をしているか、質問して見た。「3部形式です」彼は苦もなく答える。「よろしい」と私。「もっと他の見方はないか」再び質問をする。

曲は3つの部分からなり、第一テーマがもう一度再現しているから彼の答えは間違いではない。しかし、小節数を見ると第1部、12小節、第2部、6小節、第3部 8小節、単純な3部形式として考えるとずいぶんアンバランスである。「単なる3部形式ではない、こんなやさしい曲だがクレメンティもただものではないのだ」。

そこで私は調性の流れからみるとミニソナタ形式のようにも見える、とも説明した。ただし第2テーマが独立したものとは見えないほどだから、ソナタ形式とみるには少々無理があるが、「調性」という観点からみればソナタとしての最小限の要素はみたしている。「どう?これソナタ形式にはなり損なったがもうなん小節か書き足せば、完全なソナタ形式になるではないか」。彼も考え込んだ。

3部形式と、ソナタ形式の2重構造を持っていると見ることもできるのではないか。生徒も私も一緒に考える。クレメンティのやさしいソナタ、見方を変えれば決してやさしくない。

作曲法を教える [昭和音楽大学]

私のクラスに作曲家志望の男の子が入ってきた。この子を私にわざわざ副科ピアノを割り振った主任の先生には思惑があったにちがいない。この子は作曲の初歩もほとんど知らないし,ピアノもほとんど弾けない。私のクラスに放り込んでおけば作曲もピアノも一緒に教えてくれるに違いない、と踏んだのであろう。

クレメンティの一番易しいハ長調のソナチネの第1楽章をとにもかくにも10日ばかりさらって入試で弾いた、という。ピアノについては教えるパターンがあるから初心者でも私は苦労はしないが、問題は作曲である。当然この大学でも彼の専門の作曲の先生はちゃんといて、そこではまず,3部形式の曲を作ることから始めているらしい。まだ,和声学の知識も対位法の知識もない子なので、何から手をつけるか、ということで、とりあえず作曲の先生は「音楽の形式」から教える,という道を選んだのであろう。私がこの子にピアノの初歩を多少教え込んだってあまり意味はない。

そこでわたしは、現在彼が弾ける曲を使って,曲とはどのようにつくられているか、という基礎を教えることにしたのである。彼に云った。「君は何も考えないでこの曲を弾いているみたいだが、このソナチネには作曲法のお手本がぎっしり詰まっている」。バッハがインヴェンションの冒頭で書き記しているように、「まずいいモティーフを思いつくこと」「そしてそれをどう展開するかを学ぶこと」からバッハのひそみにならって作曲法に取り組ませることにしたのである。

曲の「組み立て方」を知るためにこの曲の4段目、展開部の左手、「ファーミb」このたった二つの音のモティーフから、わずか8小節の展開部が変奏形式でできていることを説明してみせたが、音楽にこんなことがあるか,と彼はびっくりした様子だった。

でも作曲ってどうやって教えるのだろう。「作り方」を教えているうちに,自分のアイデアがどんどん湧いてくるようになるのだろうか。ともあれ、私の作曲の生徒第1号である。そしてこの大学は私が作曲の先生としての能力もあることを認めてくれた最初の大学でもある。この年まで世の中は私をピアノの先生としての能力は認めてくれたけれど、作曲の先生としての能力は認めてくれなかった。人間いくつになっても新しいことを始めるにはばかる事なかれ、だ。

ギネスブックものではないか [昭和音楽大学]

前代未聞、ということでもなかろうが、この年で新任の客員教授、ということで大学説明会に出席をし、紹介を受けた。新百合ケ丘のキャンパスは初体験である。テキパキと取り仕切り、手際良く説明をする教授たちは私の芸大教授時代の学生であったひとが大半なので、なにか、故郷がえり、という懐かしい気もしないでもない。始めて行く大学だから何もかにもお任せで、数人がかりでいろいろ説明をしてくれるのだけれど、とても一回では覚えられそうにない。さぞかし、彼も年とったからだいぶん頭が悪くなった、と思われたことであろう。

この大学の理事長は日本演奏連盟の私と同じ常任理事でもあり、ほぼ毎月常任理事会で顔を合わせて議論を戦わせている間柄なのでその意味では同格なのだが、今日は私は大学理事長の訓話をかしこまって聞く、という立場にある。 つまり、社長と新入社員くらいの差があるのだ。新任の先生方の中ではもちろん私が最年長だが、新入社員(?)で77歳という年齢はギネスブックものではなかろうか。私が受け持つ学生は全部新入一年生だからどちらもなにもわかっていない、という点では同じことで、一抹の心細さを併せ持つことにあまり変わりはないのである。ただ、私はいくつになっても新しいことには挑戦して見る、という好奇心は衰えていないのでまあなんとかなるだろう、と楽観している。昭和音大のみなさん、どうかよろしくお願いいたします。
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