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南西諸島のお土産 [旅行]

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私はだいたい旅行のお土産はまず買わない。でも今回は違った。竹富島の海岸で拾った石。といってもこれは竹富島の海岸に打ち上げられた珊瑚礁のちいさいかたまり。こんなものが美しい島に無数に打ち上げられている。適当なものをいくつか拾って持ち帰った。綺麗に洗えば箸置きに適当なグッズになる。一つ一つが違った面白い形をしており、これ以上のお土産はない。金を払わなくてもいいお土産はいくらでも見つかる。

美しい貝を細工してペンダントにしたもの、これは妻がお土産に買った。南の島には惚れ惚れするような美しい貝殻が無数にあり、昔は貴重品で、貝殻の美しい装飾品の多くが山口県の西海岸の弥生遺跡で見つかるそうである。ゴホウウラ、イモガイなど山口県沖では採れないもので、その故郷をたどると沖縄にゆきつく。これは、山口と南西諸島や沖縄と密接な交易があったことを物語る。立派な船や飛行機もなかった時代のこと。いったいいく日かかり、どれだけ多くの人が海難事故を物ともせず往き来をしていたのだろうか。

「名も知らぬ 遠き島より流れよる ヤシの実ひとつ」


南西諸島のツアー(4) [旅行]

最終日

午前中、残りの3島、伊良部島、下地島、車間島の3島をバスでめぐる。下地島には、島全長より長いと思われる3000メートル級の滑走路があるが、今は使われていない。もったいない話だが、3000メートルといえば優に大型旅客機が発着できる長さであり、ちなみに羽田空港のA滑走路がこれに匹敵する。これができた時はまだ宮古島と橋でつながっていなかったので、連絡船が必要であったが、連絡船だと宮古島の中心部まで30分くらいはかかりそうな距離。宮古島に立派な空港が出来たため文字通りの無用の長物となった。なぜ国はこんな金の無駄遣いをするのか気が知れない。

そういえば、現在辺野古移転で問題になっている米軍基地をここ下地島に移転させたら、というアイデアも一時出たが沙汰止みになった。なんと言っても下地島、それに隣の伊良部島を含めても基地にするにはどう見てもあまりに狭く、不向きである。今は民間航空機のパイロット養成のためのタッチアンドゴーの訓練がたまに行われる程度、という。

午後遅い便で、那覇経由で19時羽田着。
今度のツアーのメンバーはだいたいが70、80代の夫婦連れで、みな温厚ないい人たちばかり。それぞれ豊かな人生を過ごしてきた方たちなのであろう、とお見受けした。お互い余計な会話はしないが必要に応じてとる会話、物腰、それは好意が十分伝わるもので、こういうツアーなら少々値段は張るが悪くない、というのが全体通じての感想。

南西諸島のツアー(3) [旅行]

第三日

午前中、石垣島北端の川平湾の海底珊瑚を見るクルーズ。船底がガラスになっていて、海底がすべてそのまま見ることができる。南西諸島は大抵どこでもそうだが、島の周りは何十メートル沖合まで珊瑚礁なので、水深が遠浅になっていて、透明でそれはそれは美しい。サンゴといっても何百種類もあって、それぞれに風情があって見事な海底植物園を見るようだ。その間を縫って様々の熱帯魚が泳ぎ回るのを見ていると、熱帯魚を巨大な水槽に入れて家庭で飼っている人が知人にいるが、ジオラマを作って模型鉄道を走らせる趣味に似ているなあ、という感じもする。

海底は意外に複雑な地形をしていて平らなところあり、崖っぷちありだが、ほとんど水面に近いところもあるから、よく船頭さん、船がぶつからないなあ、と感心したら、「私たちはここの地形を熟知していますからね。なにも知らない人が船を動かせばそりゃすぐぶつかります」という答えが返ってきた。

午後は飛行機で宮古島に移動。わずか15分のフライトだが、立派な737-800、これも満席である。
島北端の池間島にバスで向かう。ここの周りの小島はすべて橋でつながっていて、バスで移動できる。池間島の手前にショボイ店が数件立ち並ぶところでお土産買いのために停車。しょうがないなあ、と私はバスから離れなかったが、妻は思いもかけないものを発見し、早速買い込み、生産者の住所電話まで聞き、意気揚々と帰ってきた。ゲットしたのは島に自生するヤエヤマアオイから抽出する「ノニ」。ノニ、とはハワイの言葉らしいが、これで難病を治したという人の話をこれまでに聞いていた。

「ノニ」はネットでも買えるが、一びん6000円もする。ここで買えば半額の3000円。早速試してみたら、三日間の旅行で疲れ気味になっていた体が急にシャンとしたという。(私はその種のものはあまり信じないのでフーンと聞き流していたが)。夜は宮古島東急ホテル&リゾーツに投宿。

南西諸島のツアー(2) [旅行]

こういうものはすぐに忘れてしまうから、以下は自分のための島巡りの簡単な忘備録。

第一日

全日空機で石垣島に直行。今日の予定はそれだけ。すぐ全日空インターコンチネンタルホテルにバスで10分ほど。石垣島なんてせいぜいB-737くらいだろうと思っていたら、最近滑走路が延長されて、今日の搭乗機は最新鋭B-787、例のバッテリの不具合で当初物議を醸した機材で平日だが満席。空港もマルタ島やクレタ島のように地面にタラップで降ろされるのではなく、7つもの搭乗口のある近代的なもの。今はどんな地方空港でも空港ビルから直接飛行機に乗れるから、タラップで乗降するのは国賓級のクラスの人だけになった。

第二日

西表島まで高速船で約40分。仲間川クルーズの小型船に乗り換える。川があまり深くないので普通の形の船は無理らしい。これは船というよりはトロッコ列車の「トラ」の車輪を外したような形にエンジンをつけたようなものに近い(Wie der alte Aussichtswagen bei der Rh.B)。膨大な量と種類の多いマングローブを見物する。「マングローブ」とは植物の名前かと思っていたが、実は海水の潮水と真水が交わるところに生息する植物一般を指す。片道25分くらい川を遡ってもまだまだマングローブは先まであるところを見ると、こんな上流まで潮の満ち引きがあるのだろうか。ジャングル、というのは生まれて初めて今回あちこちで間近で見ることができたが、植物の生え方の密度は本州の比ではない(unglaublich dicht)。太平洋戦争ではこんな歩行もできないところを過酷な死の行進は行われたのだ。

よくツアー広告の写真にあるおなじみの水牛車に揺られて海峡を渡る、という由布島観光もあった。軽自動車も平気で渡っているところをみると海底もサンゴ礁なのでタイヤが沈み込まないのである。海深もせいぜい10センチくらい。大した距離でもないので当然歩いても渡れるが歩いて渡る人は見かけなかった。ここの水牛は農耕用に多く使われていたが、今は牛口(?)が減っている。その再就職先がこの観光業なのだ。水牛の家系図が掲げられていて、「裕次郎」とか「小百合」とか一頭一頭に名前がつけられている。牛車の運賃はいくらか?に興味があったが、ツアー料金にコミコミだからわからなかった。発車時刻はきちんと表示されているが、到着時刻が不明なのは、相手が水牛機嫌次第だからであろう。

竹富島。ここがとても気に入って住み着いている作家もいるそうだが、わかる気もしないでもない。建築に厳しい制限があるので昔からの村の雰囲気がそのまま保たれている、小さい島全体が見事な統一体をなしている。島全体が国の文化財に登録されたのも当然といえば当然。竹富島もそうだが南西諸島の多くが標高せいぜい50メーターくらいの全く平たい島が多いので、地球温暖化が進めば真っ先に沈没するのではないか、という危機感はここへ来ると身近に感じる。こういう平たい地形では保水する山岳地帯がない。この竹富島は 石垣島からパイプで供給されており 島によっては地下水を汲み上げる。このあたりの小島はサンゴ礁が隆起してできた島なので、雨は多い地方だがサンゴ礁はスカスカで水を貯めてくれない。そこでコンクリートの壁で囲った「地下ダム」に水を貯めている。なにしろ、名だたる「台風銀座」であるのだから水には不自由しない。問題はその保存法である。

南西諸島のツアー(1) [旅行]

作家の邱永漢が書いていた。「世界を旅行してその土地の新聞広告を見ると、そこの国の国民がなにに一番興味をもっているかが伺われて興味深い」。なるほどと思う。そういう目で日本の新聞広告を見ると、ツアーの募集広告が最大手の一角を占める。これは日本人がいかに旅行に興味があるかを示している。食うや食わずの生活では旅行どころではないから、なんとか言ってもやはり全体として見ると日本に限らず、先進国は一般的に旅行に時間と金を使う層がいかに厚いかがわかる。現在中国がそれに追随しているわけだ。でもこの日本の南の端の旅行では外国人を見かけるのはまだ極めて稀である。しかしこの素晴らしい亜熱帯地方、本土以上にはるかに自然環境がよく守られ、しかも旅行環境が十分整っている島々が彼らに席巻されるのも時間の問題であろう。

ツアーの旅行、と言ってもピンからキリまであるから一概に言えないが、私たちは今回「体に優しい」余裕のあるツアーを選んだのである。ツアー旅行で私はよくやるのだが、いつも旗を持っていく添乗員におとなしくついて歩くわけではなく、興味のない部分はずらかってパスし、必要な部分だけ合流する。その分金は無駄になるが、興味のないところまで無理に歩かされるストレスはなくなる。今回もそうしようと思ったが、案外と要領良く、楽なスケジュールが組まれていたので、どうやらツアー会社のスケジュール通りとなりそうである。朝は遅く出発、夕刻は4時~5時にはホテルに着くので、あれもこれもなんでも見る、というわけではないがどうせ物見遊山だからそれでいいのである。

今朝は早く目が覚めてしまったので、今これを宮古島の東急ホテルで書いている。今日が最終日となるので、多分これから先何事も起きなければ、那覇経由で東京に戻ることになる。

桜島の噴火 [旅行]

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鹿児島に立つ前夜、桜島の噴火が報じられて気になっていた。鹿児島空港へのルートは飛行機は大抵宮崎あたりから九州上空に達し、一旦内陸から鹿児島湾(錦江湾)に出て、ごく近くに桜島を見ながら大きく右旋回しながら着陸体制に入る。ネットでは運行に支障はないことになっていたが、なにせ自然相手だから、いつまた噴火しないとも限らない。このルートは退屈な飛行機旅行の中でも抜群に美しく、いつも見入ってしまうのだが、TVの映像を見ると流石に怖い。飛行機のエンジンが火山灰を吸い込んで墜落したこともある。

この映像はホテルの窓から見たものだが、飛行機から見るのとほぼ逆方向から見ることになるが、どちらから見ても噴煙はおろか、雲ひとつない何時もの美しい桜島である。ただ違うのは、ホテルのフロントで外出用にどうぞ、とマスクを渡されたくらいなものでみたところ何も変わっていない。地元の人にとっては東京でTVを見るほどのインパクトはなく、日常茶飯事に見える。

来週は南西諸島に旅行の予定だが、これも北朝鮮のミサイルがちょうど上空を通るのと同じ日程に当たっているので、これも怖いといえば怖い。

追記 先ほど沖縄方面に向けてミサイルを発射した、というニュースが入ったから多分私の先島諸島旅行には影響はなさそう。

金澤 [旅行]

金澤はいま街中の木々が色づいて紅葉真っ盛り、誠に美しい。

東京ー金沢新幹線のダイヤを見ると平均一時間に「かがやき」と「はくたか」が一本づつ、それに長野どまりの「あさま」があり、これは東海道新幹線東京ー新大阪間開業時の「ひかり」「こだま」の頻度にほぼ匹敵するから、ダイヤで見る限りまあまあいい線いっている。日中は速達型の「かがやき」は運転されない。このダイヤは今後どうなるかは様子を見ないとわからない。私の乗ったのは日曜の夕刻とあって「かがやき514」はほぼ満員。

金沢市内は外人客で賑わい、私の泊まった日航ホテルも満杯で2泊3日の旅程が1泊2日でこなさなければならなくなったので、多少きつい。昨年やった金沢中心の小鉄道のりあるきも今年は諦めざるを得ない。金沢だけをみていると大賑わいで北陸新幹線は大成功のように一見見えるが、実態うるおっているのは金澤とその周辺だけで、タクシーの運転手に言わせると「金澤の一人勝ち」のようである。金澤の地方紙「北国新聞」は連日金澤の業界のウハウハ ぶりを伝えている。

私は「それはたいへん結構なことだが、このブームが一過性に終わらないといいね」と釘をさしたが「ええ、じつはそこなんですよ」と認めている。一方でかつて私が心配してブログにも書いた越後湯沢経由の3セク「ほくほく線」、在来線特急「はくたか」が今回の北陸新幹線開通で全廃になったのは大変な痛手であろう。「全国で数少ない黒字3セク」と地元の人が威張っていたのがついこの間のようだ。

金澤は今後とも日本海側の一大中心都市としてその地位を保ってゆけるのであろうか。

さくら [旅行]

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九州新幹線の主力は700系だが東海道新幹線に比べてほんの少し車体幅が狭い。そういう事情もあるのだろうが普通車指定席もご覧のようにグリーン車とさほど変わらない。座席の形態の基本はどちらも同じで革張りか、布張りか、の差とシートピッチがいくらか違う、という程度の差しかない。それでも普通車でさえ1115ミリ(メジャー持参で実測して見た)の広さだから、どちらでゆくか随分迷ったが、結局普通車にした。これがJR東海の「のぞみ」と同じアコモであれば、私はグリーン車を選んでいたと思う。客の心理は微妙なもの。

自由席車は2+3でだいぶん差がある。しかし、今回乗車した「さくら」は満席だったから、新大阪まで4時間の旅は同じ普通車でも疲れ方が随分違いそうである。この差はJALでいえば普通席とクラスJくらいの差は実感としてある。普通指定席車とグリーン車とどのくらい差があるか興味を持つ人はいるらしくて、新大阪に到着して車内が空になった時を見計らって私のように写真を撮る人は他にもいた。中には外国人の姿もあり、うん、この人も「鉄」だな、私と目があってニヤリとした。

「のぞみ」とのアコモの差は大きいから新大阪ー博多間の旅行者は迷わず「さくら」か「みずほ」を選ぶであろう。後発組のJR九州はそうやって先発組の客を取り込もうという作戦のようである。九州新幹線の開通前には新大阪ー博多間の「ウエストひかり」というのがあってこれも2+2の座席配列であったが、これの進化したものと言える。そうすると「のぞみ」の取り柄は東京から乗り換えなしで博多まで行ける、ということしかなくなる。

北陸新幹線(2) [旅行]

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さすがに夏休み、日曜の午後とあってどの列車もホテルも超満員で東京に戻る「かがやき528」以下、最終まで普通車もグリーンも指定は全部売り切れ。やはりこの時期、旅行はするものではない。一年ぶりの富山だが、駅付近は随分変化があり、市電が駅建物の中まで乗り入れ、雨に濡れずに乗り換えができるようになった。

本稿は車内で書いているのだが、実際に乗ってみると速さを実感する。富山を出てしばらくうとうとしたと思ったらもう長野に到着である。この調子で行くと夕食はゆっくり自宅でとれることになろう。来年も富山テレビ放送局主催のコンクールの審査を約束させられたので、また来ることになろうが、今度こそは関西や名古屋方面から富山入りしたくない。もうこりごりである。と書いていて、そろそろ軽井沢あたりか、と思ったとたんアナウンスがあり「まもなく大宮に到着です」。早いねえ !

それにしても北陸新幹線の最速の看板列車「かがやき」のネーミングである。私はあまり感心しない。なにかイベント列車の親戚みたいで安っぽいのだ。種切れになったと見えて、この頃感心するネーミングに滅多にお目にかからない。金沢まで行くのだから以前からある「白山」「北陸」に加えて「加賀」「兼六」などいくらでもありそうなものだが。最速の列車を「金沢00号」、準急型の列車を「白山00号」とでもすればふつうの利用者にはわかりやすい。

東北新幹線も「はやて」「はやぶさ」どちらが早い列車か私にもいまだにわかりにくい上、音が似ていて紛らわしい。以前「あさひ」という名前があったがこれも「あさま」と紛らわしいと苦情が多くてオクラとなった。

北陸新幹線 [旅行]

鹿児島中央から新幹線と在来線を乗り継いで富山まで来た。乗り継ぎ時間も含めて約8時間。結構な大旅行である。天気はいいし、快適な旅行を楽しんだ。と言いたいところだが、以前のブログで危惧したことが、やっぱりというべきか、北陸新幹線の乗り継ぎで一悶着起きた。

金沢駅での新幹線への乗り継ぎ時間は7分だが「サンダーバード」が2分延着したので実質5分しか時間がない。おまけに私の乗っていたのは1号車、つまり先頭車だから長いホームの一番端に止まる。エスカレーターに乗ってる悠長な時間はないから、重い荷物を抱えて階段をかけおり、混雑している新幹線改札口を無理やり人を押しのけてとおり、長い地下道を早足でやっとギリギリ出発間際の「つるぎ」に駆け込んだ。もう疲労困憊である。

私がたまたま乗ったのは7号車、指定席車であるが、私以外乗客はいない。乗り換えさせられるだけでも腹立たしいのにこの有様。私の息切れはまだ収まらないうちに発車し、早速若い車掌が検札に来た。自由席で十分と思ったから指定はとっていない。

「指定席券をお持ちでなければ4号車の自由席に移動して下さい」
彼としては当然のことを言っただけであろう。しかしまだ息切れも収まらないうちに、重い荷物を持って延々移動しなければならないし、そもそも移動している間に富山についてしまうほどの距離なのだ。
「もういくらもないのだから、私も疲労困憊の老人だから、もうここで勘弁して下さい」
「それでは指定料金を払っていただきます」
私はブチ切れた。
「理屈はあなたの言うとおりだし、指定料金も大した額ではないが私は払いません」
「それでは自由席に移動して下さい」
「いや、この体の状態ではまだ動けません、動けるようになるまで一休みさせて下さい」

まあ理はもとより車掌の側にあることは承知している。そうこうしていると車掌長とおぼしき年配の車掌が現れた。

私はこのダイヤの組み方に無理があること、やっとこ重い荷物を抱えて滑り込んだ老人に、これから、この重い荷物とともに4号車まで移動せよという のは、規則はそうだとしても、乗客の目線を無視した対応ではないか。措定席車も満席と言うならともかく、誰も乗っていないガラ空きの車内である。そもそも従来通りサンダーバードで富山までいければ何事も起こらないのに、こういうダイヤを組むから、乗客はひどい目に会わされるうえ、新幹線料金は仕方ないとしても指定料金まで払え、というのはあまりにも乗客のことを考えてくれていないではないか。と珍しく本気で怒ったのである。車掌長は流石に気の毒と思ったか、
「いや、そのままで結構です、お客様のご意見として書面で上司に伝えます。実は時折そういう話は聞いております」と車掌長。やっぱりそうなんだ。

かくて超短距離新幹線車内で、不愉快なやりとりをしているうちに列車はもう「終着駅」富山に到着した。

幸い私はいざとなれば、いまだに若者並みの速度でつっぱしれはするが、通常の高齢者、さらに身障者あるいは何かの怪我で早く歩けない人もいることをJRは想定して乗り継ぎ時間を決めているのだろうか。新幹線ー在来線の乗り継ぎ時間は 車掌によれば7分と計算されてダイヤを組んでいるそうだが、車椅子での乗り継ぎは7分では不可能と思われる。

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