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南相木日記Hbf例会 [メルクリン、そのほかなんでも]

皆さんありがとう

今年も素晴らしい天気にめぐまれ、私にとっては天国の二日間でした。遠方から重い荷物を積んでのご来訪ありがとうございました。今年は、昨年より規模内容とも拡大され、LGBだけでも3線、そして何よりTさんのディジタル運転も可能になったことも大きな収穫でした。昨年は基本的に1線、一列車運転しかできなかったのが、LGB4列車同時運転を見ることができたのは、壮観としか言いようがなく、ここまでの可能性を実現できたのはただただ皆さんのご協力の賜物、感謝にたえません。

ラック区間も今年は完璧、最徐行のいい運転が楽しめました。当日の立役者、E03の牽引するラインゴルト脱線転覆、その他大小いろいろと事故も起こったものの、全体として大過なく皆さんにも楽しんでいただけたようで何よりでした。
HOは縁側に出して3分割のMレールレイアウト、今年は様々なレトロ・アナログ車両の展開で、複雑なレイアウトの様々な運行が可能となりました。夜は立岩荘で再び、メルクリンのCレール、Z、と私がBemoを持ち込んで夜10時近くまでミニ運転会。

来年もまた画策したいと思います。あらためてお世話いただいたよしゆきさん、みなさん、厚くお礼申し上げます。


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機関車トーマス、のエミリーでまずは露払い
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このクラブはアルコール好きの人が多く、缶ビール、ベートーヴェン印のワイン瓶などのせて走るブルー塗装のV220(?)。うしろの貨車にはバウムクーヘンなども乗っている

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一段落したラック区間、この急勾配(220‰程度)でも小型動力車なら単行であればラックなしでも運行可能
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ドイツクロコ、スイスクロコの重連による長大貨物列車(HO、Mレールアナログ)

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千両役者、E03牽引のラインゴルトが秋の太陽光を浴びて快走

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トラムが到着した停車駅の前をスイスクロコの列車が横切る。このクロコ、今年はサウンドも加わり、回転するロッドの音、警笛などは一番だけあってかなり遠くからでも迫力十分聞きごたえあり、場所柄、どんなに大きくても近隣に迷惑はかからない

鉄道模型の歴史(2) [メルクリン、そのほかなんでも]

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前ブログでメルクリン鉄道模型発祥は1895年、と書いたが、この頃はまだ模型鉄道に必須のモーターの動力はなかったはずである。実際に電動モーターが小型化され、模型鉄道に導入されるには1926年まで待たなければならなかった。これまでご覧頂いたメルクリン初代の電気動力車は1926年以降のもので交流20Vでこれはそのとき以来あまり変わらない。

この映像は現存している私の自作の一番古いもの。3両編成の京阪神急行電鉄(現在の阪急電車京都線)デイ100型のOゲージ1/45の模型。当時、実車も急行は3両編成で運行されていた。制作は3両一度に作ったわけではなく、2年くらいはかかっているであろう。高校2年生ごろなので1952年ごろということになる。60年以上経過している割にはラッカー塗装はさほど劣化していない。窓ガラスはまだプラスティックという素材のない時代、本物のガラスを貼り付けてあるだけ。それでもまだ接着剤がかろうじて持ちこたえ、慎重に動かせば剥がれないのはすごい。

買えた部品は、台車、車輪、モーター、パンタグラフ。それ以外はあらゆる店、模型飛行機店、電気店、小間物屋のボタン売り場、大工道具屋など渡り歩いて少しでも使えそうなものは、なんでも改造して利用した。図面は全長20メートル、という以外何もわからず、古ぼけた写真を頼りに、それと実車をよく観察して(自分のカメラを持つなど不可能な時代)その特徴を捉えて設計図を引いた。当時の模型仲間の価値観として、「いかに実感を表現するか」が最重点とされていたので、詳細なところはあまり問題にならなかったし、当時の材料、工作力では限界もあった。完成したときは交流3線式であったが、のちに直流2線式に改造した。

写真でも確認できる窓周りのリベットはごく薄いボール紙の裏から、一つ一つ、釘を押し付けて凹凸を作る、という気の遠くなる作業も「鉄道好き」には障害とはならなかった。
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