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レイアウトの掃除 [模型鉄道]


大掃除は普通年末にやるものだが、正月の休みを利用してレイアウトの掃除を始めた。本当なら、脱脂綿を使い、アルコールにひたして丁寧に汚れを拭き取るのが一番だが3線式のメルクリンで、しかも架線がはりめぐらされ、トンネルや構造物がいっぱいある我が家のレイアウトはそれも不可能に近い。そこで機械に頼らざるを得ないのだが、これがまた、靴の上からかゆいところを掻くようなものなのだ。

LUX-ModellbauというドイツのメーカーのものでGLEISSTAUBSAUGER(レールのホコリを電気掃除機と同じ原理で吸い取る装置)というものがある。これとメルクリンの通常のごみ取り装置付きの貨車を連結して運転を始めた。さいわいデジタルなので、スピードとは関係なく全出力でゴミを吸い取ることができる。レールを何週かすると、結構ゴミがたまっているからそれなりの効果はあるのだろう。

その後で先日のブログで紹介した液体「LOCO」で仕上げをするのだが、欲張って少し沢山レールに塗布したら牽引機の120型がスリップを初めて動かなくなった。あせりは禁物のようである。「やり過ぎると機関車スリップするよ」とRさんからは注意を受けていた筈のことなのだが・・・。


阪急電車(前のブログの続き) [模型鉄道]


デイ100のの次に作ったもので、多分私が17才頃のもの。阪急900型ではあるが、車体横に書かれたはずの936というレタリングは消え、当時の阪急電車の丸いマークだけがかろうじて見える。ちなみにこれが作られた頃はまだAC3線式で線路中央に張られた銅線からコレクターシューで集電していたが、クラブの方針でDC2線式化することになったので、その方式に改造された。電気方式に関しては前のデイ100も同じ。
のちの2両1編成に関しては、私が少し作りかけ、残りをクラブの友人が完成させてくれて、また私の手元に戻ることになった。なぜそうだったかはいまとなっては理由不明だが、多分私が東京の大学にはいることになって、完成させる時間的余裕がなくなったからだと思う。


最古の自作模型電車 [模型鉄道]


 私の最古の作品で現存しているもの。京阪神急行(現在の阪急京都線)のデイ100型。3両編成のうちの1両。16才高校生時代。Oゲージで当時は鉄道模型を作るのに、手に入る部品といえば、モーターと台車と車輪、パンタグラフくらいのもので、それ以外は、電気屋、小間物店、模型飛行機用部品、など使えそうなものは何でも活用し、すべて自作によるしかない時代だった。実物の図面などは手に入らないから、写真と、後はひたすら実物を出来るだけよく観察するしかなかった。それも当時四日市から大阪まで出かけるのは決して簡単ではなかったのである。ピアノのレッスンの帰りを利用して阪急の十三駅にじっとたたずんで半日も電車を観察し、写真とメモをとっていたものだ。

 去年南西ドイツ放送の取材を受けたとき、彼らの目的は当然拙宅のメルクリンのレイアウトだったのだが、私の昔の作品にとても興味を持ったようだ。「金も物もない時代にこれだけのものがつくれたのか」というわけである。先日の四日市のレールファンクラブの会合で、昔の作品を保存している人は本当に少ないことがわかり、あえてブログにのせてみる気になった次第。このデイ100の3両編成以外に阪急900+950、2編成計4両だけが、当時のままなんとか原形を保っている。車体やウインドウシールのリベットの感じをだすために、母親の裁縫道具の中から歯車付きの道具を借りて、厚紙の裏から押し当てて作ったが、おかげでこの道具は台無しになり、大目玉を食らった記憶がある。


四日市レールファンクラブ [模型鉄道]

 四日市レールファンクラブ(YRFC)という鉄道趣味クラブがある。ながらくここの会長で四日市の鉄道模型の草分的存在だった医師のSさんが80才を機に開業医をリタイアされることになったのをお祝いして、当時の初代の中心的会員が顔をそろえた。そのうちの何人かはいまもたびたびお会いしている人もいるし、半世紀ぶり(!)という人も数名いた。全国に散っている当時の顔ぶれがほぼ全員そろったのも、ひとえにSさんの人徳によるものだろう。
 
 医師、鉄道ファンのほかに郷土歴史家として自他共に認めるSさんにお会いするのは久し振りだが、さすがに年を召されたとはいえ、話をはじめれば半世紀前にあっという間にさかのぼる。実にまめな人で、今回のために、誰がいつYRFCの会員になったかが月単位で記録されたものを持参された。それによると私の入会は1948年とあるから、何と私が12才、まだ小学生だったことになる。当然顔ぶれはほとんどが今は70歳以上ということになる。このYRFCは後輩たちによって現在もなお存続し、毎月例会の運転会を開いているそうである。

 私の鉄道の経歴はピアノのつきあいよりはるかに長い、とつねづね豪語しているが、はからずもこれが証明されたことになる。この会が発足したのは、終戦の翌年、全くもののない時代だったのだが、それでも手にはいる材料の範囲で何とかやりくりして模型づくりをしてきた仲間である。話題は当然鉄道が中心だが、この仲間たちは私のコンサートが四日市であるたびに駆けつけてくれる人たちでもあり、趣味は鉄道を中心として、音楽、オーディオ、カメラや映像、山登り、旅行、果ては麻雀まで、多くの趣味を共有している。こんなグループも珍しいのではないか。

 話題は近鉄2200に始まりあらゆる鉄道、模型、当然LGBやメルクリンにも及ぶ。自慢するわけではないがその中で現在もなお鉄道模型を続けているのは私と後2,3人に過ぎない。歓談は遅くまで続き、私は最終の特急南紀6号で四日市を後にした。山ほどの資料を手にして。幹事の労をとってくださった、Yさん、Kさん、ありがとう。楽しかったよ。


新しいオランダの機関車が入線 [模型鉄道]

私の所の現在の模型鉄道の概略をご紹介します。

私の模型鉄道の歴史はピアノよりはるかに長い。その間いろいろの変遷を経て、現在我が家に定着しているのは、2種類のメルクリン(いずれもHO) 東京の本宅にあるのはデジタル方式、いわば近代的なメルクリン。動力車はRokoなどほかのメーカーもはいっているものの動力車が50両あまり。いっぽう留学生時代から(1960年頃)集めたアナログもかなりの数があります。これはいまではほとんどがデジタルが主流なので、レトロな1960年代のメリクリンを知るには格好のものとして、滅多に走らせないものの貴重な財産と思っています。いずれも固定レイアウトを持ち、常に運転できる状態にあります。とくにデジタルは精密機械なので、なるべく1日に1回は通電して列車を走らせるようにしています。

もう一つはレーマン。通称LGB。車両は場所柄、小型の機関車が似合います。これは南相木村の山荘に野外に敷きっぱなしになっている1番ゲージで、これもほぼいつも運転できる状態にあります。総車両数は勘定したことはありませんが、これもかなりな数になります。但し夏はまず雑草刈りからはじめて、ゴミをとり、通電状態をチェックして実際走るまでに多少時間がかかります。これは保線状況を考えて完全なアナログ。中にはデジタル対応の動力車もあって宝の持ち腐れ的な所もあります。

そのほかには高校生の時に自作した阪急電車の900形4(当時神戸線の花形として特急に使われていた。編成など。これはもちろん博物館的価値しかないものの、子供時代に作った当時としてはいちばんの力作だけを静態保存してあります。

今日は1年以上も前に発注しておいたオランダ国鉄の1200型のC-C型電機がようやく入線、現在ならし運転中です。


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