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ショパン全書簡・パネルディスカッション [日本ショパン協会]

ずいぶん以前に当ブログでご紹介したものの、私はまだろくに読まないでいた。なにしろ分厚い本だから読むのにかなり覚悟がいる。関口時正先生とそのグループが訳された、ショパンワルシャワ時代の書簡集。読んでいくとこれまで私の知らない、もしくは多くの人の知らない若い頃のショパン像が生き生きと再現されていて興味深い。たとえば:

ショパンがいくつもの友人宛の書簡の中で僕の第一コンチェルト、と述べているのはすべて2番のヘ短調のコンチェルトのことを指す。当然であろう。ホ短調のコンチェルトの作曲過程で友人に書いているのだから、ショパンにとって一番、とは先に作曲されたヘ短調コンチェルトのことであり、ホ短調のコンチェルトは自分の子供に例えれば妹に当たる、と考えていたとしても不思議はない。面白いのはショパン自身、ヘ短調コンチェルトの第二楽章には非常な思い入れがあったのに対して、ホ短調の第二楽章については、それほど好評を博すことはないでしょう、といささか素っ気ない。

もう一つ。コンチェルトが始めて出版された時のこと。二つのセットで同時に出版された。一つは独奏譜+オケのパート譜セット。もう一つは独奏譜+弦楽五重奏パート譜セット。つまり両方のヴァージョンが同時に出された、ということは、室内楽版も管弦楽譜と同じようにショパン自身が認めた、いわばオーソライズされたもの、と受け取ってよかろう。室内楽版は散逸して後世に残らなかっただけのようである。注意したいのは昨今日本その他でよくで行われている四重奏版は、どれもがのちに別人の手によってダウンサイジングされたものである、ということ。ショパンははじめからコントラバスを必要と考えていた、ということでもある。

少し専門的になりますが、こういった面白いお話が訳者の関口先生から直接聞くことができる稀な機会です。日本ショパン協会主催のショパンフェスティバルin表参道でのパネルディスカッション。私もパネラーとして加わりますがもっぱら話の引っ張り出し役、聞き役に回るでしょう。ずるいけどこうして私の雑学の知識も増え、私が講演をする時に何かと役に立つのです。お越しいただければ幸いです。6月5日19時から、カワイ表参道コンサートサロン「パウゼ」。

日本ショパン協会ピアノコンクール2015課題曲 [日本ショパン協会]

2015年の日本ショパン協会のコンクール課題曲がほぼ決定しました。大筋は変わりませんが細部の多少の変更はあるかもしれません。ワルシャワ2015年の課題曲にほぼ準じています。印刷物になるまで、本ブログの内容の変更にご注意ください。
その他の情報に関して、その都度このブログを巻末に更新しますのでそれも参考にしてください。

[課題曲一覧]
第一次予選

(1)以下のエチュードをa,b,グループよりそれぞれ1曲づつ、計2曲

(a)

ハ長調 作品10-1
嬰ハ短調 作品10ー4
変ト長調 作品10-5
へ長調 作品10-8
ハ短調 作品10ー12
イ短調 作品25ー11
(b)
イ短調 作品10-2
ハ長調 作品10ー7
変イ長調 作品10ー10
変ホ長調 作品10ー11
イ短調 作品 25ー4
ホ短調 作品25ー5
嬰ト短調 作品25ー6
ロ短調 作品25ー10

(2)以下の楽曲より一曲

バラード ト短調 作品23
バラード ヘ長調 作品38
バラード 変イ長調 作品47
バラード ヘ短調
舟唄 嬰ヘ長調 作品60
幻想曲 ヘ短調 作品49
スケルツォ ロ短調 作品20
スケルツォ 変ロ短調 作品 31
スケルツォ 嬰ハ短調 作品39
スケルツォ ホ長調 作品54

出場者は曲の順序を任意に決めても良い。ただしエチュードは連続して演奏すること。
(合計15分を超えないこと)


第二次予選

合計30-40分のプロフラムを演奏する。

(1)以下の楽曲より1曲

ノクターン ロ長調 作品9ー3
ノクターン 嬰ハ短調 作品27ー1
ノクターン 変ニ長調 作品27ー2
ノクターン ト長調 作品37ー2
ノクターン ハ短調 作品48ー1
ノクターン 嬰ヘ短調 作品48ー2
ノクターン 変ホ長調 作品55ー2
ノクターン ロ長調 作品62ー1
ノクターン ホ長調 作品62ー2
エチュード ホ長調 作品10ー3
エチュード 変ホ短調 作品10ー6
エチュード 嬰ハ短調 作品25ー7

(2)以下のワルツより一曲

ワルツ 変ホ長調 作品18
ワルツ 変イ長調 作品34ー1
ワルツ ヘ長調 作品34ー3
ワルツ 変イ長調 作品42
ワルツ 変イ長調 作品64ー3

(3)以下のポロネーズより一曲

アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22
ポロネーズ 作品26(2曲とも演奏すること)
ポロネーズ 嬰ヘ短調 作品44
ポロネーズ 変ホ長調 作品53
幻想ポロネーズ 変イ長調 作品61

(4)任意の曲(他のプログラムと重複しないこと)

本選

(1)以下の楽曲より一曲

ソナタ 変ロ短調 作品35
ソナタ ロ短調 作品58
(ソナタの繰り返しについては印刷物で配布される指示に従ってください)
プレリュード 作品28(全曲)

(2)次の作品番号のマズルカの中から1シリーズ全曲

作品17,24, 30、33、41、50、56、59
各マズルカは番号順に演奏すること。
マズルカ作品33および41は以下の番号順で演奏すること。

作品33
第1番 嬰ト短調
第2番 ハ長調
第3番 ニ長調
第4番 ロ短調

作品41
第1番 ホ短調
第2番 ロ長調
第3番 変イ長調
第4番 嬰ハ短調

課題1、2のいずれから演奏を始めても良いが、マズルカについては上記に従うこと。

すでに詳細はパンフレットができていますので詳細は日本ショパン協会事務局宛お問い合わせください。

なお、演奏制限時間について、パンフレットにある数字は、「おおよそのもの」とお考えください。制限時間を超えたら、演奏を途中で打ち切る場合もありますが、成績には関係しません。ましてそれで失格になる、ということもありません。(日本ショパン協会会長見解)







日本ショパン協会賞・ショパン・コンクール2015 [日本ショパン協会]

今年度の日本ショパン協会賞の受賞者を決める理事会が開かれ、審議の結果今年の受賞者はなし、ということに決まりました。この結果には会長といえども従う、というルールになっていますから、私個人としては残念な気がしますがやむを得ません。若手で前年一年間で一番優れたショパンを演奏した、と判断された演奏(ライブに限る)に授与されるもので、これまで50年間の受賞者の顔ぶれをみると、その後の受賞者の活動は、それぞれ納得できる成果を残しているピアニストが圧倒的に多いので、その判断には大筋で間違いがなかったことがわかります。こうなってくると毎年の審査には慎重にならざるを得ません。

一人最有力候補に挙がった人の演奏は、私も録音を聞いて確かに感動的で素晴らしく、充分受賞の価値がある、と思ったのですが、2番のソナタの第2楽章で20小節も飛ばして弾いていたミスが問題となりました。これについて審査に当たった人の意見は完全に二つに別れました。ほとんど誰にも気づかれないようなミスなので(私も何回も演奏しているのに気がつかなかったくらい)音楽が素晴らしいから問題にすべきではない、という意見と、いや、やはりコンサートを聞いた人の中にはミスに気づいた人もいたはずで、それが受賞の対象になったのはなぜか、とクレームがつきかねないからやめた方がいい、という意見です。どちらの側にも一理はあります。私はミスなどあってもコンクールとは違うのだから、どれだけ人に感動を与えたかが音楽として最重要だ、と意見は述べましたが、結局最後は今年度の受賞対象者はなし、という無難な結果に落ち着きました。このように演奏の評価はとても難しいものですが、ヨーロッパであればこの種のミスはあまり問題にならなかったにちがいない。これも国民性の問題で日本人は基本的に真面目なのですね。それがいいことか、どうかも判断に苦しむところです。

日本ショパン協会は1960年に当時の著名な音楽家、野村光一、遠山一行、井口基成、永井進、安川加寿子といった錚々たるメンバーで設立され、以来50年の伝統と歴史を持っています。といっても当初は、ショパンの好きな人たちが集まって酒を飲み、飯を食って議論を戦わす、といった程度の同好会的な集まりであったようです。それが年と共に活動が公共性を帯びてくるようになり、そのショパンの音楽普及活動は、いまではワルシャワのフレデリク・ショパン協会本部や、世界各地にあるショパン協会からも一目置かれる存在にまでなっています。来年はショパンイヤーに当たりますので、日本ショパン協会主催の第3回ショパンコンクールが来年の3月16、17、19、20の4日間、洗足学園前田ホールで開催されます。審査には日本ショパン協会の理事があたります。2015年にワルシャワで行われるコンクールのプログラムとほぼ同じなので、かなりハードなものですが、ワルシャワのショパンコンクールを受けたい、と思っている才能ある若いピアニストには絶好のチャンスになります。振るってご応募ください。

また、日本ショパン協会は多くの有名なピアニスト、ショパン愛好家が会員となっており、会員の中から選ばれた理事によって運営されています。会員はショパンの音楽を愛好される方であれば、理事会の議を経てどなたでも会員になれます。詳細は日本ショパン協会事務局までお問い合わせください。

2015年ショパンイヤーに向けて [日本ショパン協会]

少々気が早いが、再来年、2015年はワルシャワのショパンコンクールの年にあたる。もうある程度、規則や曲目も決まっているようである、といってもそう大きく代わり映えのするものでもなかろうと思う。

それに向けて、日本ショパン協会でも5年ごとにワルシャワに合わせて、これまで独自に何らかの形でショパンコンクールを開催してきた。特に2005年、2010年には洗足学園音楽大学の全面的な援助のもと、オーケストラ付きのコンチェルトまでレパートリーに加えて開催することができた。指揮者の秋山和慶さん、当時の学部長の岡田さんが全面的に後押ししてくれたのも大きい。私としてはもうこれと同じ援助を学園に期待するのはいくらなんでもあつかましい、かといってコンクール自体やるかどうかは、秋の臨時理事会でもみんなの意見で「やる」と決めた手前、私としてはなんとかしなくてはならない。

とりあえず、どうなるか、もう当たってくだけろ、という感じで、洗足学園の学長とアポをとり、「こういう状態なのですが、とりあえず規模を縮小してもなんとか続けたいと思うのですが、学園としていかがでしょうか」とおそるおそるお伺いを立てたのである。

学長はじっと私の説明を黙って聞いておられたが、「前田ホールでやるか、シルバーマウンテンにするか、詳細、内容はこれから考えるとして、ぜひおやりください。可能な限りご協力します」と前向きな返答を得られた。ほんとうにありがたいことである。

これまで2度にわたって絶大なご援助をいただいたから、たとえここで、もう無理、と断られても感謝こそすれ、恨みに思う筋合いのものではない。まともなコンサートホール、オーケストラと指揮者を普通にマネージャーを通してやれば1000万単位の金がかかるプロジェクトである。2005年の時は私も腹をくくり、最悪、うまくいかない時のことも考えて、妻には場合によっては自分の貯金をはたいてもやるが覚悟はしてくれ、といったくらいだった(さいわいそれはなくてすんだが)。正直言えば、もう2015年までは私は生きていないだろうからあとは誰か考えるだろう、私が責任を持つのは2010年まで、と思っていたが、いまだに幸か不幸か生きているからこういう羽目にもなる。

とりあえず、2015年もなんとかメドが立ちそうになってきた。さあ、どのようにやるか、である。(札幌)

マズルカのコンサート [日本ショパン協会]

日本ショパン協会の「ショパンフェス」第一日のレクチャーコンサート無事終了。24曲ほどのマズルカを多少の解説をしながらのコンサート。小品とはいうものの24曲となると結構な分量になり、定刻をオーバーしてしまった。場所は表参道のカワイホール。いろいろと懐かしい方々にいらしていただきありがとうございました。出来の方は聞かれた方の評価に任せるしかないが、自分ではだいぶん肩の力は抜けてきたとは思う。もう人前では弾かない、と宣言したものの、まあたまには、気楽なコンサートなら悪くはない、という感想は持った。

ショパンフェスティバル2012in表参道 [日本ショパン協会]

日本ショパン協会主催のショパンフェスティバルin表参道2012が昨日からオープンした。昼食時と夕方の毎日2回のショパンのコンサートが一週間連日行われる。2010年、ショパン生誕200年を記念して始まったこのイベント、今年で三度目になります。今年はドビュッシーの生誕150周年にもあたるので、ドビュッシーとショパンとの音楽的つながりを中心にプログラムが組まれている。

昨夜は、これもショパン・フェスティバルの一つの柱である、「マズルカ」のトークと演奏ではじまった。楠原祥子さんのピアノ、私のトークで、とりあえず順調に滑り出した。今週一週間、ショパン漬けになります。表参道はいま新緑美しい季節です。ぜひお出かけください。

ショパンの書簡 [日本ショパン協会]

 始めて本格的なショパンの書簡の日本訳が完成し、そのお披露目の会が関係者を集めて、日本プレスセンターで行われた。1955年に発行されたショパンの書簡集はポーランド語のオリジナル本体に不備が多く、邦訳もその時代はポーランド語を日本語に正確に翻訳出来る人が少なかったこと、などがあって、半世紀以上もたって新しい知見も取り入れながら刊行されたもの。壮大なプロジェクトである。これ以上のものは今後1世紀くらいは望めないのではないか、という力の入れようである。

第1巻 1816−1831(少年時代からパリ到着まで)
第2巻 1831−1841
第3巻 1841−1849

 現在、第1巻が10年の時間をかけて完成、日本語訳が東京外国語大学教授、関口時正氏とそのグループで2年を費やして日本語刊行の運びとなったことは喜ばしい。それ以後の予定はどうなっているか、という私の質問に対して、第2巻はショパン研究者イーゲルディンゲル氏(スイス在住)を中心にフランス語で刊行される予定なので、ポーランド語訳を待たずに直接翻訳が可能。すでにかなりなところまで進行しているので、翻訳も同時進行で始まっているらしい。全巻が完成するのは2020年の予定、という。ショパンの手紙の日本語訳は困難を極めたようである。そもそも1800年代のポーランド語が現在の言葉とちがっている上、親しい人に宛てた手紙だから、当事者同士でしかわからない文言やスラングが多い。さらにポーランドは2度の大戦や外国の侵略をうけて、相当の部分の書簡が爆撃などで消失してしまっている、など。ただし、ショパンに関する資料は、それを所有していたアメリカ在住の人などから、かなりのものがこれまで見つかっていて、ワルシャワのショパン博物館に寄贈されたりしているから、今後も新しい資料が世界各地で見つかる可能性もないわけではない。(なにしろ、バッハのカンタータの知られていなかった資料が日本で見つかって話題になったこともあるくらいだから)

 第2巻がフランス語で出される、というのはショパンがパリに移ってからなのでフランス語の手紙が多い、という事情にもよるのだが、ショパンの父のニコラ(ポーランド流にいえばミコワイ)はフランス人であるにもかかわらず、フレデリクもフランス語を母国語と同じように話せたわけではないらしく、日常会話でも手紙でも文法上、もしくは発音のミスが多かったらしい。これも困難な作業になろう。


 著者のズビグニェフ・スコヴロン氏が来日して翻訳者の関口氏とともに、刊行までのいきさつを聴けたのは有意義な会であった。ちなみに外国語で翻訳出版されるのは、日本が最初の国となる。

岩波書店、800ページ、18.000円

訂正: 私の聞き取りの不確実なせいで、コメントの通り、第2巻以降もポーランド語で出版されるが、当然フランス時代はフランス語の手紙はふえるので、フランス語の部分は先に日本語訳ができるであろう、とのことのようです。訂正してお詫びします。

The Chopin Year 2010 [日本ショパン協会]

 「The Chopin Year 2010」という2冊の分厚い英文の報告書がワルシャワから送られてきた。報告書、といっても豊富な写真入り、ハードカバーの立派な製本で、合わせると35ミリの厚さがある。2010年のショパンコンクールに関する記事、入賞者や審査員などのインタービュ記事は当然として、2010年のショパンイヤーに世界中でどのようなイベントがあったかを、克明に記したものである。

 私が2010年のショパン・イヤーの名誉委員に名前を連ねていたこともあって、このようなものが送られてきたのであろう。委員の依頼を受けたとき、私はどういう人が名誉委員になるのか、何をするのか、全く知らなかったので多少不安に思ったが、これを見ると日本では約30名近くの人がリストアップされている。ピアニストは多分私だけで(これもすこし変だが)小泉純一郎、芸大の学長、雑誌「ショパン」編集長の内藤さん、など、いろいろな名の知れた団体の長がほとんどである。

 世界でこの年にどのようなイベントがあったか、の内容であるが、ポーランドという国が、世界中の国に対して、大きなショパン・キャンペーンを行ったことが一覧出来る。日本に関していえば、芸大にショパンの胸像が贈られたこと、ラ・フォルジュルネや表参道の2週間にわたるショパン・ウイーク、世界のショパンの音楽に貢献した人に贈られた文化勲章や、ショパン・パスポート(どういう目的でどんな人に贈られたかは、名簿を見ても少し首をひねるが、日本人では横山幸雄さんなどが入っている)といった記録に1ページがさかれている。そういえば、2008年頃、2010年の記念すべき年に日本としてどのような計画があるのか、とポーランド大使からきかれて、「いや、まだ考えているところです」と答えざるを得なかったが、でもこれは私の立場としてはかなり大きなプレッシャーになったことは否めない。

 私たちにとって2010年はまだ記憶に新しいから、これといった感慨は持たないけれど、ショパン250周年、300周年、などの今後大きな節目になったとき、こういう文書は大きな意味を持ってくるにちがいない。国を挙げて、莫大な予算を2010年のために計上し、文化国家としてのキャンペーンを世界に向けて発信する国は、これ以上のものはちょっと見あたらない。かえりみるに、国家予算の0.1%にしかならない日本の文化予算はなんともお寒い限りといえる。日本とポーランドの文化に対する認識の違いをこれほど鮮明に感じさせられるのは、なんとも恥ずかしい、と思うばかりである。

日本ショパン協会賞授与式 [日本ショパン協会]

2010年に国内で演奏された中で一番すぐれた演奏をしたと認められる若手のピアニストに贈られる「日本ショパン協会賞」は大崎結真さんに前回の理事会で決定した。その表彰式が表参道の「パウゼ」で行われた。

昨年はショパン生誕200周年とあって、把握出来ただけでもショパンに関する1400件近いコンサートがあったので、これを絞り込む作業が大変であったが、理事会でいろいろな議論を経てこのように決まった。大崎さんはスケールが大きく、繊細な表現にもすぐれていて、将来有望なピアニスト、という理事の評価となった。

ショパンの胸像のメダル、賞状、賞金20万円が贈られる。

最良の原典版とは [日本ショパン協会]

 ある会合の席で武田幸子さんからショパンフォーラム2010年の研究発表の記録をいただいたので,目を通してみた。ピアニストでは河合優子さん、加藤一郎さん、研究者では武田幸子さん,といった人たちがそれぞれショパンの原典について,自説を披露し、演奏家として、研究者として、「ショパンを弾くのにどの楽譜を使ったらいいのですか」という素朴な疑問に答えようとしている。

 それぞれ、最新の研究に基づくショパン像を披露されていて興味深く読んだ。ショパンの楽譜の選び方はなかなか一筋縄ではいかないところがあって、最新の「ナショナルエディション」が多分一番推奨される、というのが基本的な意見だと思う。私もそれに異論を唱えるつもりもない。

 一方ショパンは即興演奏の大家でもあり、自作を弾く場合でもいつも同じには弾かなかったようである。当然場合によっては即興でパッセージやらトリルやら、はたまた、少々羽目を外したこともあったであろう。これはショパンに限らず,当時のヴィルティオーゾの間にごく一般的に行われていた慣習である。「原典通りに弾く」などということはは当時の演奏家の頭の片隅にもなかったに相違ない。そもそも原典などという概念すらなかった。ただ,楽譜を出版する段になると、作曲家は作品を最上の形で残したい、と当然考えるからいろいろと最後まで手を加えているが,それでもさんざん推敲を加えた最終的なものが決定版,ということを意味しない。

 ナショナルエディションは実際なかなか興味深い資料を提供してくれているが,その通りに弾けばそれで完璧、というものでもない。あくまで,それも現在考えられる限り最良の「資料のひとつ」ととらえるべきである。従来の楽譜になじんだ人たちが「なんか変だ」と思ってもまずそれに耳を慣らすみる必要はある。たとえばいまだにほとんどの人が慣れられない例のひとつに「幻想即興曲」がある。

 あるコンクールでこれが課題曲となった時、参加者の誰もが例外なくなんの疑いもなく昔のフォンタナ版のままで演奏していた。これも日本の一般のピアノの先生の不勉強を物語る以外のなにものでもないが、もっと勘ぐれば他人と違う演奏をすると審査員に違和感を持たれてコンクールには不利に働くから知ってはいるけれどもこの際はまあやめておこう、と判断する先生もあるかもしれない。ナショナルエディションに慣れてみると、フォンタナ版はいかにも凡作にみえて来るから不思議である。それも熟知した上で,なおかつ自分は「フォンタナ版」を弾くのだ,というならこれはこれで一つの見識とはいえる。

 まだ研究が十分とはいえない1850年前後のピアノの演奏習慣がもっと一般に知られ,普及して来ると今度は,原典版をもとにしながらももっと即興的な自由さも加えてショパンを演奏することが当たり前になる時代が来るかもしれない。バッハやモーツアルトはすでにそうなりつつある。多分当時の例外はベートーヴェンでたとえ1音でも勝手に替えられると断固として怒った,というのは直弟子のチェルニーが証言している通りである。

 しかしそうはいっても時代の人の好み,演奏に期待するものがすでに19世紀とはまったく違ってきている。それも考えればショパンの演奏もまだまだ変わり続ける余地は残されているともいえる。
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