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BRAWA(札幌日記) [BRAWA]

もしこの一文を読まれて私の思い過ごしであるなら、コメントをお寄せください。即刻記事を削除します。思い過ごしでなく、正しければ・・・あえてこの貨車を発注するつもりである。
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2009年のBRAWAのカタログを何気なくぺらぺらめくっていたら、ひとつの貨車の説明文に私の目が釘付けになった。そして、手が震えだし、興奮して寝付けなくなった。なに、見たところごくありふれたブレーキマン・キャブ付きの2軸のドイツ戦前型小型貨車、説明文を読むまでもない、とうっかり飛ばしそうになったのだが・・・。まずは原文のドイツ語を必要なところを一言も省略しないで日本語に訳してみる。

 この貨車は手動、空気圧ブレーキをもっていたに違いなく、人を輸送する設備があり、国際列車には組み入れてはならなかった。第2次大戦のあいだに多くの車両は行方知れずとなり、もしくは、ほかの国々に残留することになった。

 たったこれだけである。しかしこの短い文章自体に矛盾がある。「国際列車には組み入れてはならなかった」にも関わらず、「戦争中、行方がわからなくなったり、ほかの国々に残された」のである。それに、「貨車なのに人を乗せる設備がある」。ドイツ国内に残ったものであればその消息もある程度つかめたはずである。ぼんやり読めばなんということはなくよみ飛ばしそうだが、ここまで読んで私にははっとひらめいた。「これはもしかしたらナチスドイツがユダヤ人を収容所まで運搬するために使った貨車そのものではないか」。もとより、説明文にはこれに関することは一言もふれてないが読む人が読めば、ピンとくるはずである。

 私はアウシュビッツ(現在ポーランド領、オシヴェンチムとよばれる)やダッハウのユダヤ人収容所を訪れていて、ナチスドイツのもと、いかにユダヤ人の凄惨な虐殺が行われたかをつぶさに知っている。そして収容所まではユダヤ人たちは貨車で運ばれ、アウシュビッツの引き込み線で貨車から降ろされて移送されるユダヤ人の写真も展示品の中で見た。ここでは私の鉄道マニアとしての頭は働かず、どんなタイプのどんな形式の貨車かを観察する精神的余裕はなかった。でも小型の汚い2軸貨車だったのは記憶にある。ユダヤ人たちは、ドイツ国内にとどまらず、遠くはギリシャや、スペインなど、ほぼヨーロッパ全域からオシヴェンチムに運ばれたのである。もとより、彼らが1等車で拉致されてこられたはずはない。

 ドイツ人なら思い出したくもないこの悪夢をあえて当のドイツ人が模型鉄道の世界で再現しようとしたのではないか。そう思うと、わたしの頭は混乱するばかりである。これを見た外国人がいったいどう受け取るだろうか、と当然考えただろう。だからあえて説明を付けて寝た子を起こすことはしなかったのであろう。この貨車を汚くウエザリングしてなん10両も蒸気機関車に牽かせ、ナチ収容所行きのユダヤ人を乗せた貨物列車を再現する? 考えただけでもぞっとする。模型鉄道は趣味だが、悪趣味、ここに極まれり、の観がある。

追記:ドイツ敗戦の可能性が色濃くなったとき、ナチスドイツは連合軍に証拠を残さないため、虐殺に関するあらゆる証拠隠滅をはかった。しかし膨大な数の証拠を短期間にすべて消し去るのは不可能で、その証拠の一つとして残ったのが施設としてはオシヴェンチムであり、この貨車も小といえども証拠の一つではないか。

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(アウシュヴィッツーヴィルケナウの列車引き込み線,見学者にとってもここが正門となる。現在はもちろんここまで列車が来ることはない)

E95 DRG [BRAWA]

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 BRAWAというメーカーはメルクリンではまず発売しそうにないモデルで、しかも時折めっぽう面白いものがある。いつの頃からか、交流用として拙宅に存在するものの、滅多に走らせたことはない。1929年頃から6両だけ製造された1−C−C−1の2両永久連結のGelenklolomotiv(関節機関車)で、製造当時のままの状態をモデル化したもの。車輪配列はクロコダイルと同じだが、中央で完全に車体がふたつに分かれたちょっとめずらしい仕様で、いわばクロコの一変種、といってもいいのかもしれない。6両しかつくられなかったところをみると、あまり成功した機関車ではなかったのかも知れない。何しろ最高速度が65キロの貨物専用で、旅客用にもときおり使われた、とあるが、いくら戦前といえどもこのスピードではいかんともしがたかったのであろう。

 機関車自体はいかにもごつく、重量感十分だが、モデルは樹脂製、ということもあって、メルクリンより、精巧には出来ているがどこか華奢な感じは否めない。走行モーター音もやや軽い、という感じがする。ハレの工場で修復工事が行われていた当時のモデルらしく、「DM10-が価格に上乗せされていますが、この復元工事の資金援助のためのものです」、と但し書きがついている。

 

w232.01「テレーゼ」 [BRAWA]

なかなかメルクリンから発売してくれそうにないが、私はこのいかにもさえないスタイルになぜか愛着があって、このソ連製のディーゼル機関車、ROCOとBRAWAのをもう3両ももっている。その中でも面白いのがこれ。

 私がこの機関車の実物とはじめて出会ったのはベルリンの壁が崩壊して旧東独に自由に旅行できるようになってまもなくのこと。バッハの生地、アイゼナッハという町をおとずれた。もちろんバッハのゆかりのものを見るためだが、鉄道マニアのこと、当然それだけでは終わらない。町はずれで鉄道がよく見える場所で陣取っていたら、ものすごい轟音とともにアイゼナッハの駅に向かって列車が入ってきた。ソ連製のごついやつ。IC「Johann Sebastian Bach」号である。DRからDBAGに引き継いだこのソ連製の機関車はさらにAdtranzですっかり模様替えして、建築材料運搬会社、SCHAUFFLEに引き渡された。この会社のベルリンの支社の女性支社長の名前からとって「テレーゼ」と名付けられた。ちなみに巡航速度100キロ、最高速度120キロといかにも時代遅れだが、こんな性能でDBの本線上を走れるのでしょうか。

 いかついこのご面相で、名前が「テレーゼ」とは恐れ入るしかないが、このスタイルと名前とのちぐはぐさも慣れればどうということない。ベートーヴェンのソナタ「テレーゼ」の好きな人はこの機関車を見ると幻滅するから見ないほうがいい。でもこの「テレーゼ」のSchwesterlokomotive(姉妹機)はいまドイツの至るところで見ることができる。


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