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熊本地震(2) [一般向け]

以下は未確認情報もあって、そうでなければいい、と願いつつ、控えめに書くつもりでいる。

そういわれれば、であるが、NHKテレビも熊本を中心とした地震情報が震度いくつ、と九州全般にわたって報道されているが、なぜか鹿児島県だけが報道域外にある、しかも熊本県と隣接し活断層が繋がっているにもかかわらず、である。日本で唯一稼働している川内原発があるから、余計な情報を出して「原発を停止させろ」と心配する向きの疑念をかきたてないため、寝た子を起こさないためではないかと私は勘ぐっている。

もし、原発が大丈夫であるなら、なおのこと鹿児島県の地震情報も出すべきであろう。実際は鹿児島県内でも震度4とか3とかが観測されているのだから。川内原発の非常事態の避難方法として新幹線と高速道路があるから避難は万全、と報道されているが、現実は新幹線も高速道路も地震でマヒしてしまったではないか。こういう時は大丈夫 と思っても住民の安心と安全を考えるなら、原発は一度停止させるべきではないか。停止させても復旧に必要な電力は十分まかなえる、と聞いている。原発を一度停止させると再稼働がまた大変だから、と思っているなら何をかいわんや、である。

今の時点では大丈夫です、といくら官房長官にいわれても、全く嘘だったことは福島でつい先日、イヤというほど体験したばかりだから、一体誰が「大本営発表」を信じるだろうか。そう勘ぐられないためにも一旦は原発は止めるべきだと考える。

熊本地震 [一般向け]

いつ起きてもおかしくない、といわれている南海トラフ、東京直下型地震、ではなく熊本、という予想もしなかったところで災害は起きるようである。ともあれ、被害に遭われた方々に対し心よりお見舞い申し上げる次第です。

私自身は子供の頃、三重県にいて二度大きな地震を体験している。いずれも終戦前後で報道管制が敷かれていたから、どこで何が起こったのやら、現代のように逐一報道されないから何もわからないでいた。ずっと後で分かったことは、そのうちの一つは南海大震災であった。それもどこが一番被害が大きかったか、震源地はどこか、など何もわからずじまいである。自宅が潰れることはなかったが、びっくりして家の前の道路に飛びたし、しばらく震えがとまらなかったことと、近所の商店が倒壊したことなどは覚えている。情報がラジオ、それも報道管制下のもの以外何もない状態だったから、怖かったねえ、で終わりである。

3・11の時は家族の誰も東京にいなかったからどのくらい怖かったか、は分からなかったが、知人からの経験談を聞くだけであった。子供の時と比べて全く違うのは情報量の圧倒的な差である。TVでほぼ同時進行で事態の悲惨さがわかるのだから。感受性の強い子供の頃に見ることができたら自分の性格は変わったのではないかと思うほどの信じ難いことを目の前に突きつけられる。長らくコンクリート造りの住まいにいたせいか、現在の住まいを作るに当たって、近所を見渡してみて、よくみんなこんな密集した木造住宅に怖くもなく平気ですんでいられるもの、と慄然としたものだ。何が何でも鉄筋コンクリート作りにしなければ、という思いが強く、借金を重ねてとりあえず借金コンクリートではあるが目的は達した。達したものの、さきほど述べたように、自宅がいくらしっかりしていても、いざという時、自分も家族も家にいるとは限らず、家族全員が別の場所にいたら連絡さえままならない。

けっきょく「なるようにしかならない」という諦めにも似た気持ちでいる。これまでの人生、何事も運良く来たから、これからもこの運が死ぬまで続いてくれるか、あるいは、いっぺんにこれまでのツケをどかっと払わされる時が来るのか、誰にも分からない。



バスタ新宿 [一般向け]

バスターミナルを集約させた「バスタ新宿」日曜の午後、見物に出かけた。新宿駅南口、いつも工事中で渋滞に悩まされたところだが、スッキリした。バスターミナルといっても遠距離、せいぜい羽田空港までがその対象で、路線バスは対象になっていない。見学したのは16時前後でバスの数はちらほらだが、これが夜になれば、さまざまの路線の夜行バスで埋め尽くされる。路線数の多さに圧倒されるが、これだけの夜行バス路線が充実すれば、残念だが寝台列車がなくなるのも無理はない。時代の趨勢であろう。

JR新宿駅の線路上に巨大な構築物ができたわけだが、新幹線が集中したのが東京、遠距離バスの集中したのが新宿、とはっきり役割分担ができたことになる。行き先別の時間と乗車位置など、わかりやすくなり使いやすくなったのはいいのだが、バスを待ち合わせるための場所に置かれたベンチが少し、というよりひどくアンバランスな貧弱さ。田舎のバス停に置かれたものと変わらない。あれだけの設備を作るなら、待合客のためのベンチ、もう少しなんとかならないものか。
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新年おめでとう [一般向け]

あけましておめでとうございます

今年も皆様にとっていいとしでありますように

ブログの方もよろしくご愛読ください


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バッハの「フーガの技法」第5番 終結部分。1751年ライプツイヒで刊行された初版の一部。楽譜の余白に美しい装飾が施された貴重なもの。自筆稿ではなく印刷譜ですが、これ自体芸術品のよう。



結婚記念日に思う [一般向け]

全く関係のないことを一緒の項目で扱うのは問題だが、たまたま私たちの51回目の結婚記念日が10日、開戦記念日が8日なので、12月8日の開戦記念日が近づくと、私たちの結婚記念日もいやでも思い出させる仕組みになっている。ところが最近、マスコミなどで日米開戦記念日を取り上げられることはめっきり減ってきた。これは意図的に誰かがそう仕向けているのではなかろうか。敗戦記念日(世の中が言うように終戦記念日と私は呼ばない)はいつも大々的に取り上げられるのにこれはなぜだろう。日本が始めた戦争、と言うイメージを消したがっている勢力の力が働いていると私は勘ぐっているのだが。日本は止むを得ず戦争をしなければならない国際状況に追い込まれた、という論調が最近多い。しかし国際状況がどうであれ、開戦の火ぶたを切ったのはまぎれもない日本であるであることは忘れてはならない。

それはともかくとして。。。
去年結婚50周年を盛大にやったから 今年はこれといったことはなにもしなかった。ただワインで乾杯しただけである。二人の口から必ず漏れるのは、よくこの年までお互い飽きないでやって来たねえ、まあ今年もよろしくね、というセリフだけで、今は忙しいからまあ日を改めて旅行でもしよう、ということになった。これもたまたまだが、二人の誕生日が1週間しか離れていないので二回イベントをやるのは少々煩わしい。まとめてやってしまえ、ということになり勝ちなのだ。

私たちに生きて来た70年間、戦争がなかった、というのはこんな幸運な時代は歴史上滅多になかったことでもあり、この時期に日本に生まれたことをこの上なく幸運であった、と思わざるを得ない。それでも子供時代に戦争は体験しているから、その悲惨さも知っている。安保関連法案を無理やり通してしまったあと、これから日本がどういう方向に向かうか、見極める責任を負っている世代でもある。

マイナンバー [一般向け]

世田谷区は一番遅れているそうなのだが、先日拙宅にも届いた。だからといってなにも変わることは当面ないのだが、関係団体からはいずれ届け出の請求が来るのであろう。住所不明で配達のできない人もかなりの数にのぼるようだが、これは当然予想されたことで、毎年の年賀状でさえ、宛どころ不明で戻ってくるのもかなりの数にのぼるから、国全体では膨大な数となろう。例えばホームレスの人などは数さえ把握できていないだけでなく、そもそも定住していないのだから完全配達は無理なことはわかっている。

それでも、意地のわるいみかたをすれば、国にとってそう人たちはどうでも良くて、税金を取りはぐれない、というのが最大の目的であるからには、もともと税金など払えない人にはマイナンバーなど届かなくてもいいわけだ。確かに税金などできれば誰だって払いたくないのだが、国は随分無駄な金も使うが、やはりそれなりの金は社会のために使われている。その点日本は世界の多くの国々の中ではまだしもマシな部類に入る、と私は思っている。それでも教育費に使われるのは先進国ではかなり悪い方である。これについてはまた別項で書くつもりでいる。

医療費だけでも、もしこれを全部自己負担するとなれば大変なことで、我が家は3割負担の部類に入るが私もなにがしかの収入がいまだにあるから、これも止むを得ない、と受け止めている。しかしマイナンバーなどというものは、この使われ方だとおそらく一般に情報は漏れることは確実で、それが一番怖い。どう悪用される可能性があるかはまだ私も予測できない。予測できないからこそ怖いのである。悪用する人たちの頭は私たちの想像以上にいいからだ。

パリのテロ事件(2) [一般向け]

あ~あ、やっぱり、と思う。人間はちっとも利口になっていない。フランス、アメリカ、イギリスに加え、ロシアが一斉にシリアを空爆、と報じられている。これでISを壊滅できると考えるおろかさ加減。もちろんISは相当な部分、打撃はこうむるであろう。しかし同時に一般人を含めた関係のない人が空襲にさらされ、家を焼かれ、難民となる。中期的に見れば空爆によってISになるしかない人を増やし続けるようなもの。これまで、近代兵器に物を言わせてことがいい方に解決したためしがないのは古くはべトナム、最近では9・11同時多発テロ、それに続くアフガニスタンのタリバン攻撃、などなど、第二次大戦以来、どれも近代兵器に物を言わせるのは失敗に終わることの証明だが、まだ欧米は懲りていないと見える。

時間と忍耐は必要であろうが、やはり外交と交渉を通じて平和的に物事を解決するほうに少しでもシフトしないとこの悪循環はいつまでも続く。21世紀はたぶんこの連鎖の世紀、とのちの歴史家は書くであろう。中世も戦争ばかりの時代であったが、現代になってもそれは継続している。何しろ、今回の事件は元をたどれば中世の十字軍、キリスト教徒がイスラム教徒を攻撃した時点にまで遡る。十字軍の遺跡はいまも各地に残り、それらを我々は観光客として見物はするが、それが現代に至るまで形を変えて延々繰り返されている、という視点で見なければ単なる物見遊山に終わってしまう。彼らがしばしば使う「十字軍をやっつける」という言葉は私たちにはいかにも時代錯誤に響くが、彼らにとっては11世紀以来ずっと現実であり続けているという証拠でもある。

日本はさいわい地政学的に、シリアからは少し距離がある。日本でシリア難民を受け入れるのは、あえて言うが相当慎重であるべきで、外国からは日本は難民を受け入れるのに消極的、と非難されようとも、私には日本政府の立場は理解できる。ドイツの難民積極受け入れ政策もそろそろ転換を余儀無くされよう。宗教的、思想的立場の異なる人種同士は離れて住むのが良さそうだと思う。難しい、解決困難な問題である。

パリのテロ事件(1) [一般向け]

私がこれまで経験した限りでは、人間、一人一人個人として付き合うとどこの国の人も悪い人など、そういないのだ。ところが、国家が絡み、宗教が絡むと人間は不寛容になるようである。このパリ事件は根が深い。フランスやロシアやアメリカがシリアを攻撃して解決する問題でもない。キリスト教とユダヤ教、イスラム教は根っこが同じで、それぞれが他の宗教に対して基本的に不寛容。ユダヤ教のヤハウェのように「自分以外の何物をも神としてはならない」。契約の宗教である。自分だけが正しく、それ以外は間違っている。いくつも正しい回答があることを認めない宗教や国のあり方が世界を息苦しいものにしている。

この事件は第3次世界大戦になるのではないかという悪い予感もするが、この予感が外れることを望むばかりである。困難でも外交で解決する以外に良くなる方法はないであろう。武力では何事も解決しない。日本ももうテロの標的になっているみたいだから安心していられない。テロというのは大体人の集まるところを狙って起こすから、自分が巻き込まれないためには、人の集まる場所を避けるしかないが、人間社会で暮らしている以上、それにも限度がある。

絶対安全、というところが私には一箇所ある。南相木村。

スプラトリー諸島 [一般向け]

スプラトリー諸島については中国はアメリカの出方を少し読み違えたようである。最近のアメリカの情勢からみて、まさか手出しをすることはなかろう、と思ったにちがいない。

テリトリーをめぐっては、人間同士の軋轢を繰り返し、ずいぶんひどいこともやりながら、第二次大戦後はそれなりに世界共通の領土に関するルールも作ってきた。がそれを認めない、という国だって当然いる。今の中国、やりたい放題、というのがそれに当たる。だがこれも長い歴史のスパーンで見ると、いずれ落ち着くところに落ち着く、と私は見ている。

太平洋をアメリカと中国で半分づつに分けよう、というのも随分気宇壮大な、というか、荒唐無稽なアイデアだが、歴史上初めて地球を一周航海ができるようになった頃、スペインとポルトガルが宣言したテリトリー宣言に比べれば、ここ何年かの動きはまだまだスケールが小さい。何しろ、スペインとポルトガルは他の国の存在などなにも考えず、地球を半分に勝手に線引きして、ここからここまで俺のもの、ここからここまではお前のもの、と勝手に決めてしまったのだから。全盛を誇った頃のスペインとポルトガルの国力は当時世界の二大勢力であり、今でいえば,アメリカと中国どころのものではない。

このようにかつて権勢を誇った両国も,今の世界の中で見れば、その経済力と政治的影響力は、現在我々の知る通りである。人間,貧乏の間は卑屈だが少し金持ちになると傲慢になる、という傾向はどんな時代にあっても変わることのない、人間のもつ悲しい性のようなものかもしれない。いまもスペイン語が世界のいたるところの国で話されている、という事実も当時の事情の残滓を物語る。

北方領土問題 [一般向け]

安倍さんはプーチン大統領を日本に招待しようとしている。だがなぜ今なのか私にはよくわからない。北方領土4島をロシアが日本に返還するのは、平和的に考える限り「百年河清を待つ」であって、よほど世界の情勢が変わらない限り無理であろう。戦後のドサクサでソ連軍が突然参戦して侵攻し、不法に占拠したことで、本来日本固有の領土なのだから、という原則論は私にも分かる。北方領土問題はこれまで妥協のチャンスは何度かあった。でも日本はことごとく妥協案を無視して来たのである。いまの世界の動向を見るとロシアは領土問題に関して頑なな姿勢を崩すことはあり得ない。そういう客観情勢の中、なぜ「いま」なのか。

忘れてはならないことは日本は第二次世界大戦で完璧に負けたのである。戦争をして負けた方は何をされても文句の言いようがない。まして「無条件の降伏」だったのだから。3回にわたるポエニ戦争でカルタゴ帝国に勝ったローマ帝国はカルタゴ人をどのように扱ったか歴史を紐解いて見ると良い。第二次大戦後、日本が敗戦国としての取り扱われかたは、戦勝国側のさまざまのおもわくもあったが、ともかく日本本体の4つの島は残され、日本人は皆殺しにもされず、奴隷にもされず 、女性子供も売られず、曲がりなりにではあるが独立国家として扱ってもらえた。

それから70年、北方領土問題は現実問題、既成事実となっている。私に言わせれば歯舞、色丹あたりで妥協しておいてロシアと平和条約を結んでおいた方が、日露両国にとってどれほど得るものが多かったか計り知れない。特に中国の近年の振る舞いを見るにつけ、ロシアを取り込んでおいた方が日本にとってもロシアにとっても有利だったのではないか。しかし今となっては歯舞色丹すら無理であろう。唯一可能性のある方法は軍事的に奪い返すことであろうがこれは誰がみても現実的でない。

北方領土が仮に日本に帰って来たと仮定して、漁業問題以外に日本にどれほどのメリットがあるか。北海道の東を旅行して見ると分かるが、人口は減り、商店街はさびれている。北海道も一極集中型で札幌に移住する人は多いが、その逆、特に東の方に住みたいという人は多くない。その延長線上にある北方領土にはこれといった資源があるわけでもない。冬は酷寒の土地。せいぜいのところ温泉くらいで、ここに住みたいという日本人はそう多くはあるまいが、インフラの整備だけは莫大な金がかかる。

小林多喜二の代表作「蟹工船」を読んで見ると、あのころは千島列島全体がどこの国のものでもなく、ロシア人も住んでいたし、日本人も漁船の食料調達や、海が荒れた時の避難所として、自由に互いに平和的に利用していたようである。ロシアが千島列島を必要と考えるようになったのは、ロシアには不凍港となる場所が少なく、太平洋方面に自由に出られる不凍港の立地条件として北方領土にこだわるようになった。その戦略的意味はいまも変わっていない。領土問題に関しては日本もそう威張れたものでもない。日本人がもともとアイヌ人の土地を侵略して、北海道を自国のものとしてしまったのもそう遠い昔でもない。もともとアイヌ人の土地だから、日本は北海道を撤収して本州に戻るべき、と私がいったらみんな私を気狂いだと思うに違いない。が、実態はそうだったのだ。8年間札幌に通って北海道各地を旅行して回り、多少は北海道の歴史にも興味を持ったからこそ言える。ロシア人も北方領土についてそう思っているであろうことはことの正否はともかく、私にも想像はつく。


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