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初代サニー [自動車]

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初めてのマイカー。初代サニー。1000ccの5ナンバー。新しい車。新しい奥さん。撮影時期は不明だが1966、7年ごろ。この頃はドアミラーなどというものはなく、どの車もまん丸のフェンダーミラーが車のデザインと関係なく両側についているが、フェンダーミラーは格好は悪いが実用的には見やすいので、タクシーは現在もこれが圧倒的。これでもこの時にはこの車のデザイン、格好いいと思ったものだが、時はたち、時代は変わり、今みればただただ懐かしい。品川ナンバープレートは昔も今も変わらないが、私はこの一桁時代、二桁時代を生き抜き、三桁になって久しい。車の装備品は走るのに必要最小限なものだけで、ラジオすらあったかなかったか?記憶も定かでない。シフトレバーはハンドルについているのが高級、スポーツカーのように下についているのは低級。オートマなどはまだ言葉すらない。ただしドイツではこの時代、路線バスはとっくにオートマになっていたのはすごい。日本はいまだに路線バスはマニュアル。長時間ワンマンで走る路線バスこそ、運転以外の業務の多い運転手の労力軽減のためにオートマにすべきだと思うのだが。いずれにせよ車が買えた、という喜びは、今新車を買うに当たってもこれほどの感激はもう絶えてない。大衆車、という言葉もとっくに死語になった。軽自動車の社長が、軽は貧乏人の車、とのたまう時代なのだ。ちなみにこの時代の軽の代表はスバル360。これからみれば1000は本格的な車、という優越感はあった。

Panda(2) [自動車]

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(ギリシャ、ロードス島のパンダ)
リンドス湾を望む。対岸に使徒パウロが上陸した、といわれる記念碑がある。
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(ギリシャ、クレタ島のパンダ)
ギリシャ本土をはるかに臨む地中海を見わたす。

ギリシャは車を運転するにも文字が読めない。現地の地図と、日本の旅行案内とを見比べ、標識は文字ではなく、模様とカンで判断しながらひたすら突っ走る。

Panda(1) [自動車]

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(蓼科高原のパンダ)
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(多摩川河川敷のパンダ)

名前も秀逸であるが、このデザインも秀逸。イタリアの大衆車、FIAT Panda。大衆車は大衆車らしく、ドウシュボーと比べてみると時代の違いはあるものの、両者に共通するのはいかにも楽しく、立派そうに見せないところがいい。この角ばったデザイン、ジウジャーロのデザインといわれる初代ゴルフに似たところはあるが、私はこの方が好き。しばらく乗っているとその良さが少しづつわかる車である。チビだがエンジンの音は間違いなくイタ車の響きがする。私が日本で買ったのはパンダの中でも強力な四駆であり、悪路向きである。ただ、四駆としては少し中途半端で、本当の悪路で本領を発揮するか、となるといささか心もとない。だが、南イタリアやクレタ島あたりの未舗装の道を突っ走るのはこれに限る。これを買った時には日本にはすでに悪路といわれる未舗装道路はほとんど姿を消していて、本領を試すことはできず、四駆は結局無駄に金を払った、と後悔している。

ギリシャを旅行した時は、パンダのレンタカーを借りてロードス島とかクレタ島とか縦横に走り回ったが、屋根の幌を全開して走るのは、まさにこういう国のために考えられた、と納得できるなんとも言えない痛快さと開放感がある。イタ車らしく、ドアを閉めても下の方にスキマがあって外の空気が見える、というものだが、イタリア人はそんなことは気にしないのかもしれない。

ドゥー・シュボー(2馬力) [自動車]

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1990年代になると我が家も息子たちは成人して運転免許を取り、妻も免許があるので、セカンドカーが必要になってきた。私はメルセデス230Eに乗っていたが、セカンドカーというからには対極的に、趣味的な面白い車にしよう、という考えは私にはあった。そこには成人した息子たちも一人前に口をきくようになり、彼らの意見がかなり強く反映されることになり、Deux Chevauxもその一つである。

シトロエンのDeux Cheveaux(二頭の馬、すなわち2馬力)と呼ばれたこの車、まるでブリキ板を張り合わせたような、見るからにすぐにこわれそうな代物ではないか。だいいち、いまの日本の道路交通法の保安基準を満たしていない。だが、これはフランスのフォルクスワーゲンであり、文字通りのフランスの大衆車である。ドイツ人の作ったカブトムシと比べると同じ大衆車でも国民性の違いがこうも極端に車という道具に表現されるものかと感心する、というか、あきれてしまうほどの差がある。

ドイツ車ばかりに慣れていた目には実に新鮮で、車の原点を見るような気がする。フランス人にとって車とは、実用に徹するなら、こんなものがいい、いや、こんなもんでいい、という思想がそのまま徹底して反映されたようで、簡素そのもの。天気のいい日にキャンバス製のシートに座って、屋根のホロを全開し、運転してみるとなかなか楽しく、サスペンションの軽さと来たら! 空中を飛ぶようである。

当時、新車としてはとっくに発売中止になっていたが、状態のいい中古車はかなり安い値段で市場にたくさん出回っていて、いくつか物色に上、決めたもの。いまどき中古でこんな車を買おう、というのはやはり酔狂に属するようである。男どもはいいとしても、両極端の車につきあわされることになった妻はさぞ迷惑であったろう。映像はいずれも下の息子の撮影によるもの。

ゴルフ以前 [自動車]

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ご存知、カブトムシ、である。記録的なロングセラーの車であったから、なくなるのは惜しい、という声もあったがさすがに時代には合わず、スピードが出ない、空冷式で音はうるさい、荷物室が狭い、エアコンをつけられない、などなどの理由で姿を消すことになったが、これは私が日本で買った、ラスト・ヴァージョンのカブトムシである。ご覧の通り黄色、というのは当時日本では珍しく、けっこう注目を集めた。ただ荷物が乗らないから遠出にはルーフキャリアは必須である。

さすがドイツの寒冷地で鍛えられた車、蓼科の別荘地で厳寒にも強く、当時寒さでエンジンがかからなくなった車、雪に突っ込んで出られなくなった車、などほかの車の救助にも活躍して喜ばれたものだ。後輪駆動ではあったがエンジンもうしろにあるため、こういう場面では威力を発揮する。最後のエンジンは1300ccだったと思う。私がドイツで使っていたのは900ccだったからだいぶん馬力は増えていた。この車の生産中止が発表されたとたん、値段が跳ね上がってプレミアムがつき、4年使った中古で新車で買った値段よりもずっと高く売れた、という世にも珍しいケースで、それで得た資金で、今度は初代アウディを購入する流れとなる。初代アウディについてはまた次に。。。
(1972年4月蓼科高原別荘地で)

追記:この頃より子供達も成長し、車の運転をこっそりシーズンオフの人のいない時に、別荘地内の私道で車の運転の初歩を教えた。無論、マニュアルである。法規的にいっても別荘地内は一般人が原則入れない「私有地」であるから法令違反には当たらないと思うのだがどうだろうか。

ゴルフⅢ [自動車]

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ゴルフもそうだが、ヨーロッパ車はモデルチェンジをするのに、ある時全くドラスティックに形を変えてしまうことはあまりない。ゴルフⅦまでのモデルチェンジを追ってみると一本筋が通っているのを感じる。たぶん先代の部品も使えるものは使ってコストを抑え、しかも世界のモデルチェンジの波に乗り遅れないようにする、という実利的な意味もあるかもしれない。撮影時期ははっきりしないが多分2000年過ぎ頃と思われる。

今では当たり前に受け入れられているワゴンタイプも1990年代ごろには日本ではまだ商用車、というイメージが強く、自家用車としては圧倒的に普通のセダン、つまり3ボックスタイプに限られていた。このゴルフⅢヴァリアンテもゴルフが3代目になって、ようやく実現したもので、その意味ではゴルフ・ヴァリアンテ初代と言っていい。当時はヴァリアンテという名称で日本で売っても一般にイメージがわかないので、ゴルフワゴンと呼ばれていた。(いまでもヴァリアンテ、というドイツ語風の呼び方ではなく、ヴァリアント、と英語風に表記されている)

こうしてみると日本の市場をそれほど意識して設計されたものではなさそうである。日本では依然として商用車、バンとして一段低く見られがちで、市場としてはあまり見込めないと思われたのかもしれない。ナンバープレート用のスペースが前面はヨーロッパ車むけに横長であるし、後ろにいたっては縦長の日本のプレートが収まらないので、プレートが斜めにつけられている。私はこの車でワゴンタイプの使い勝手の良さを味わったら、もう普通のセダンは買う気がしなくなり、かくて我が次世代の車もワゴンタイプ、となった次第。この時代は5ナンバー、2000ccで日本の道路向けにはちょうどいい大きさだったが、今の車は少し成長しすぎた。

ゴルフⅣ [自動車]

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新車の納入の日程の通知があったので、今の車の最後、と思って写真をとった。ゴルフⅣのワゴンである。これまでたくさんの車に乗り継いできたが、車の記録写真はほとんど残っていない。車に限らず、モノ、あるいは自分の過去にあまり執着心をもたない私は、記録をほとんど残さないできた。これは自慢できる話ではない。今になって写真が残っていればさぞ面白かろう、という車はたくさんある。運転免許をとって始めて公道を一人で運転したオンボロの「オオタ」。今ではこんな車があったとは知る人もなかろう。

日本のモータリゼーションが軌道に乗り始めた1965年頃、はじめての「大衆車」日産の初代「サニー」(新車にもかかわらず雨漏りのあったシロモノ)を買った。当時のライバル車、トヨタの初代カローラに対抗する車でこの二つの車は当時世間を大いに湧かせたものだ。なにしろフツーの人が手に届く値段で車が買える時代になったのだから。当時のトヨタのコマーシャル「隣の車が小さく見えます」はあきらかにライバル車サニーを意識したものだった。当時の金で50万円を切る値段で買えた。


このゴルフⅣはいまも調子が良く、塗装もあまり褪色していないので、気に入っていて手放すのは実に名残惜しい。10年たった今でも、都内でしょっちゅう姉妹車を見かけるからやはり今も愛用している人が大勢いると思うとなおさらである。それでも買い替えに踏み切ったのは、これから先、車を運転できるであろう年齢とこれから先の耐久力(人間か、車かはわからない)、そして好きな車に買い換えられる自分の経済力が何年かあとに果たしてあるかどうか、それより日本の経済がこの先どうなるか、などもろもろ考え合わせると、じゃあいつ買うの、いまでしょ、となるのである。(洗足学園大学キャンパスで)

7代目のゴルフ(2) [自動車]

結局買うことにして発注したのだ。新しいゴルフⅦは、安全対策、性能、エコ度などインターネットの反応など参考にしても文句のつけようがないのだが、スタイリングの前後のバランスがイマイチ気になって逡巡していたところへ、新しいヴァリアンテ(ワゴンタイプ)が日本で発売されることになった。実物をみるとこれであればスタイルのバランスも悪くない、と購入を決意したが、大変な人気らしくて、4月の消費税上げがらみも手伝って極度の品薄である。行きつけのディーラーで聞いたら、お客様のご購入の意図はわかっていましたからグレーのハイライン(最上級タイプ)を一台だけとりあえず確保してあります、これなら消費税上げ前の納車はできます。どうされますか、というのだ。

消費税上げも覚悟し、自分の好きな色を選び(多分赤になる)、好きなオプションをつける、ということも考えた。だがそうなると本社発注となって納車に一年くらいかかる、という。現在の車に不満があるわけでもなし、普通ならそれでもいいのだが、自分の年齢を考え、あと何年ドライブを楽しめるかを勘案してみると、1年は待てない。下手をすると新車の顔を見ないうちにこちらがゲームオーバーになってしまう可能性すらある。

近くで見る新しいワゴンタイプは昔のメルセデス230Eくらいの大きさはあり、かなりのボリューム感はある。多分これは私として最後のクルマ選びとなる。でもこれなら後悔しないであろう。納車時期は多分自分の誕生日ごろにあたる。長く働いた自分へのご褒美とすることにした。

7代目ゴルフ [自動車]

今の車はもう10年目になるゴルフヴァリアンテだが、新しいゴルフのカタログを見て試乗することを決め、予約を申し込んだ。この10年の間のゴルフ、特にこの5月から日本発売となった7代目新型ゴルフの性能の進歩は目を見張るものがある。新型エコエンジン(停車していたり馬力が必要でない時は4気筒のシリンダのうちの2つのシリンダーが自動的に止まる)、安全性の向上、サスペンション、車体剛性の向上、室内の装備の充実、一昔前のメルセデスなど問題にならないくらいである。とりわけ、安全性に関しては、居眠り対策が半端ではない。高速ではレーンをカメラで監視してはみ出ないようキープする、先行車と一定の距離を自動的に保つ、運転者の眼球の動きを監視して通常の動きと違うようになると警告を発するなど、日本車では最上級車レベルの対策が、標準装備されている。それでいて、価格は10年前とほぼ同じ。

まだ買うと決めたわけではないが、老人の運転にはこの安全対策の徹底さは魅力なので、気持ちはかなり傾いている。と思って、つらつら考えてみるに77才にもなって新車を買おう、という人はあまりいないのではないか。人間より車の方が確実に長生きする。むしろ少し運転に自信がなくなってきたから、そろそろ車をやめよう、と思っている人も少なくないはずである。でも私は新車を買えば、気持ちが新たにしゃんとなり、運転に新鮮な気持ちになれるにちがいないと思うのだ。年寄りの冷や水、と笑わば笑え。年をとったからこそ、それをカバーしてくれる安全対策が必要になる。来年度からはだいぶん仕事の整理もついたのでもっとドライブを楽しむ予定でいる。10年間に5万キロしか走らなかったのは、運転が億劫になったからではなく、仕事が多忙で自分で運転する時間が少なかったからにすぎない。

シトロエンBX [自動車]

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これまで乗り継いできた車の中で一番印象ぶかく、かつ、スタイルが抜群にいい、と惚れ込んだのが、このシトロエンBX。1986年ごろの写真である。それまで日本車やドイツ車に乗り継いできて、最初この車を見た時、これは何じゃ、と思ったものだ。乗って見てさらに呆れ返った。私は音楽家だからピアノ音楽に例えると、これまでベートーヴェンだけが本物の音楽、と思って接してきたのが、いきなりドビュッシーの前奏曲第二集「カノープ」にぶち当たったような気がしたのだ。なんか、隙なくがっしりと作られたベートーヴェンのピアノソナタからみるとドビュッシーは手抜きだらけの音楽に見える。

シトロエンも私にはそう見えた。しかしあまりにスタイルが個性的でサスペンションが独特(ハイドロ・ニューマティックという)なのでつい、買ってしまったのだ。乗っているうちに、これはベートーヴェンとドビュッシーはどちらが優れているかなど比較できないように、シトロエンとフォルクスワーゲンとどちらがいいか、比較することが間違いであることに気づいた。感性の差の問題のようである。私はこの車に惚れ込み、ずいぶんドライブを楽しんだ。液体サスペンションだから、金属のバネとは基本的に違う柔らかさを持つ。ちょうど胎児が母親の胎内で羊水により外部のショックから守られているよう、と実にうまい表現をしたのは、親しいシトロエンマニアの某産婦人科医だった。さすが産婦人科の医者、うまいことをいう。ちなみに彼は大のメルセデス嫌いで有名であった。

ずっとあとで知ったことだが、作曲家の黛敏郎さんもこのBXの愛好者であることを聞いてなるほど、彼の感性からすればさもありなん、と思った。BXはたぶん液体サスペンション最後の系列で、それ以降はシトロエンも割に普通の車になって行った。国際競争を考えれば止むを得ないのであろうが、もうあんな車は今後出ないであろう。惜しい気がする。

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