SSブログ

富山のます寿司 [グルメ]

 富山の名物、といえばます寿司であろう。実は私はマスがとくに好き、というわけではない。だから自分から進んでます寿司を買うことはない。が、この日は帰りの飛行機の時間がちょうど夕食とぶつかる時間帯であったので主催者の方が気を利かせて、おみやげに持たせてくださったのだ。名物というのはどこでもそうだが、人気があるから、当然メーカーも乱立し、どれを買っていいのか旅行者にはよく分からない。この場合,めくらめっぽう、空港売店や、駅売店で適当に選んで買うものではない。地元の人に聞いて買わないと当たりはずれはかなりある。

 この日のおみやげはお酢のにおいが強烈だからさすがに飛行機内でたべるのははばかられたので、少し遅くはなったが帰宅してから賞味した。ところがこれがめっぽううまいのだ。マスがこんなに美味しいと思ったことはない。材料はマスとご飯だけという単純なものだから製法はかえって難しいに違いない。やはり名物の中でも本物は土地の人に選んでもらうに限る。一度に全部は食べきれなくて、残りは翌日南相木の山荘まで持ち込んだ。さすがに2日もたったら大分味も落ちるか、と覚悟したが、実は2日目のほうが味がヤレてきてさらに美味になっているのにはびっくりした。

 かくてマス寿司は富山空港から南相木村のほぼ上空を通過し、東京を経由して富山までのほぼ半道を車で戻ったことになる。(南相木にて)

帝国ホテルの料理長 [グルメ]

 前にも記したが、ある奇特な方のご招待で今回は帝国ホテルのTさんという総料理長と晩餐を共にすることになった。小雨の降る中、タクシーでホテルに向かった。普通、料理長というものは宴の途中で特別な客には挨拶に顔を出すくらいなものだが、この日は料理長は、最初から最後まで、普通の背広姿で、食事を共にしていたから、事情を知らない人がこの風景を見たら、この人もお客の一人、というふうに見えたに違いない。

 今日の料理もまた、特別なものであった。フランスから取り寄せたアスパラガスに始まって
(アスパラにこんな素晴らしい香りがあるのはこれまで知らなかった)メインディッシュが小鳩とフォアグラの料理、という凝りに凝ったフランス料理である。(またもやカメラを忘れた!!)例の黒田さんと清子さんのご結婚披露宴を200人の部下を取り仕切った人でもある。

 6時から始まったが、例によって私はおしゃべりだし,T氏も話好きで、初対面にもかかわらず料理のウラ話はもちろん、帝国ホテルに宿泊した名士の話、皇室の話など話題はいつまでも尽きなかった。「生まれて初めて帝国ホテルに足を踏み入れたのはライトの設計した古い石造りの旧館の建物で私が芸大に入学してまもなくのころでした」という私の話には特に興味を持たれたようである。貧乏学生でとてもこんな場所にこられる身分ではなかったが、歴史的な大ピアニスト、ウイルヘルム・バックハウス氏が「日本公演のため帝国ホテルに宿泊中、これから有望と思われる日本の若いピアニストの演奏を一人聞いてみたい」という希望で、なぜかまだ大学1年に入学したばかりの私に白羽の矢が立った。ただ田舎ものの私はその時のことについて、あまりといえばあまりの出来事で、ずっとアタマが真っ白で、ホテルの特別の一室でバッハ=ブゾーニのC-durのトッカータを弾いた以外のことは何もおぼえていない。

 バックハウス、という名前はやはり当時、特別の賓客の一人で、シャリアピンなどと共にホテルに代々語り継がれているようなのだ。この若い料理長もバックハウス、という名前は歴代の帝国ホテルの料理長から聞いていたという。

 気がついたらデザートが終わったのが10時を過ぎていた。あとで考えたら、この料理長は、たしか以前大賀典雄さんの金婚式のお祝いの時の料理長も務めたひとではなかったか。その時のメインは確かドーヴァー海峡のシタビラメだったと記憶している。私も結構グルメではあるのだろうが、惜しいことにネコに小判、という感じもしなくもない。

PACHON、クリスマス・イブの過ごしかた [グルメ]

 「PACHON」(パション)                Andre Pachon(シェフ)
 代官山にあるフランス料理店。以前に「金田中」にご招待いただいた、さる資産家の再度のお誘いとなった。ミシュランにのっているかどうかはしらないが、東京屈指のフランス料理。しかもここは内容、分量共にヘビー級のメニューである。

0,ミニ・カナッペ
1、アペリティフ:大きな切り身のフォアグラが中心の盛り合わせ。
2,小さいコーヒーカップのミニスープ。これは本格的スープの前奏曲に過ぎない。
3,地中海直輸入の巨大なオマール海老のグラタン。
4,大きなカップのオニオングラタンスープ。山のようなパイがのっかってる。

  ここでおなかはもうすでに満腹。アントレはまだこれからである。

5,薪の燃えさかる巨大なマントルピースで客の前で焼かれたカモの肉。
6,チーズ盛り合わせ。
7,デザート、凝ったケーキが2種類、さらに一つはサンタクロースつき。メリークリスマス金の文字入りのチョコレート、それにピスタチオのアイスクリーム、果物添え。
8,コーヒーとチョコレート、それにおつまみのクッキー。
  
どんなワインがお好みですか、といわれるからどうせなら、とブルゴーニュのこれもヘビーな赤ワインを注文した。

 クリスマス・イブとあって、かなりな収容人数のテーブルも満席。少し意外に思ったのはほとんどが比較的若いカップルがしめている。100年に一度の金融不安、といわれても、金のあるところにはあるもののようである。察するにわれわれのような年寄りは金があってもやはり日本食、となってこういうところは敬遠するのであろう。まあこのメニューを見れば無理もない。一夜明けた私、今日一日はほぼ絶食に近い状態となっている。

 帰りに玄関にある顧客のサインの重厚なノートをみせられた。皇太子殿下、雅子妃殿下ご夫妻の写真ものっている、ははあ、例の物議をかもした高級フランス料理、とはこれのことだったのだな、と変に納得した。先生もここにサインを、といわれたが、おそれおおくもあるし、私の下手な字で書く勇気はとてもなかったから丁重にお断りした。

 あ、せっかくなのになぜ料理の写真を撮ってこなかった? といわれそうだが緊張していたからカメラを持ってきたことにも気づかなかったのです。

ベルリン名産ホタテのお刺身 [グルメ]

 南相木の山奥の山荘にベルリンのKさんから電話が入った。いまどき、いくら山奥でもベルリンから電話がはいったからといっておかしくもなんともないのだが、「ベルリンからですが、ホタテのお刺身をお送りしたのですが、東京のお宅がお留守のようなので、どうしたらいいいか、お電話しました」。

 私は一瞬絶句した。ベルリンのホタテのお刺身! 最近ではベルリンでも新鮮なホタテが買えるようになったか?
だがどうやらこれは早とちりだったようである。詳しくは、日本のC市のご実家から私宛に送ってくださったのだが、2週間も留守にしたのでクロネコの宅配人が困って、ご実家に連絡しても私の居所がつかめず、結局ベルリンにいる、Kさん本人が私に直接電話する羽目になったようである。

 かくて、私が東京に戻る日をつげてクロネコでは冷凍保存をしてくれて、今日、無事ホタテが我が家に届いた、という次第である。Kさんどうもありがとう。

 それにしても、毎年この時期。クロネコにはさんざん迷惑をかけてしまうようなのだ。何回配送しても留守で、紙切れをポストに入れても音沙汰がない。ありがたいことにときおり山海の珍味をお送り頂くことがあるが、すこしでも可能性のある先方にまさか、あらかじめこの時期は留守をしますからご了承ください、とはいくら何でも厚かましくも催促がましいことをいえる義理ではない。

 通常、クロネコにはこの期間は留守にしますから、もしなにかあったらこう処理してください、と依頼して出かけるのだが、今年はどうやらそれを忘れたらしい。もうひとつ、知り合いのドイツ人からも南相木に電話がはいった。日本語さえ忘れるほどのんびりしていたのに、ドイツ語にいきなり頭を切り換えるのがおそくなって少しあわてた。そういえば、車の運転でトンネルにはいったとき、暗闇に慣れるのに、若い人より倍の時間がかかる、ということを講習会で経験したが、年をとるとはそういうことのようだ。

金田中(かねたなか) [グルメ]

IMG_0003.jpg 
 こういう超高級料亭にふだんさっぱり縁のない人間だから、きんたなか、といって笑われた。知る人ぞ知る、新橋演舞場のうらにある超高級料亭に、ある奇特な方のお招きで一晩の食事にあずかることになった。一般には無理で、かりに金があって、自分でも行ってみたい、と思っていきなり電話の予約など入れても一見(いちげん)さんはまず断られる。

 私が恥をかいたのはそれだけではない。電話を入れて、駐車場はありますか、と聞いたのだ。「いえ、そういうものはありません」。つまりここへは自分で車を運転していくような人などそもそもいない。運転手付きの車でのりつける、そこまで行かなくてもハイヤーでのりつける、というのが常識だからだ。

 普通なら少し無理してでもハイヤーで乗りつけるところだが、私は実質主義で地下鉄の築地市場駅のすぐそばだから、地下鉄で行くことにした。だがこれは正解だったようである。タクシーで来た人たちは、ちょうどこの付近、夏祭りまっただなかで交通規制が敷かれ、大変な渋滞にあったみたい。

 料理については、文章でそれを表現するのは難しい。客の気質、健康状態、その他を勘案して、料理は多すぎず、少なすぎず、実に年寄り向きな健康食そのものであるが、まあこれほどの料理を口にすることは二度となかろう。聞くところでは、その日の築地市場のなかでも、一般に出回ることのない最高のものを選び。そのなかでも一匹の魚から、料理に出せる材料は普通は食べられる肉の中の三分の一あるかなしか、だという。宴たけなわの頃、もと「なだ万」にいて最近ここへ移ったという料理長が顔を見せ、挨拶に立った。特に飾ることも、気取ることもない、普通の会話で一同を和ませてくれた。招待をしてくださった主は「金田中」の名前でここへ来るのではなく、料理長が誰か、ということを知ってそれを目当てに足を運ぶのだ。

 たまたま前日の夜、NHKのTV番組で、江戸時代の超高級料亭、「八百善」のメニューが話題になっていた。将軍家がわざわざ出向く料亭である。ちょうどその頃日本は大飢饉の最中で地方では餓死者がたくさんいる中、江戸では、こんな贅沢が出来る人が数多くいたのだ。でもこれ、300年あとの現代ですら、世界規模でものをみるなら、全く同じことではないか。

非常食としてのパン・日常食としてのパン [グルメ]

 パンの世界は奥が深い。何千年も世界の多数の国でそれぞれの国でとれる素材を生かしながら、あれこれ工夫を重ねてきたものだから当然といえば当然。私の知る限りでパンに関しての一番古い文献は旧約聖書で,例の出エジプト紀である。モーセにひきいられてエジプトの奴隷生活から脱出し、カナンの土地へむかう。パン種を仕込む時間の余裕がなくて種なしパンを焼いて食糧にする、というくだりである。

 話は現代に戻るが、日本のホテルはどんな立派なホテルでも、でてくるパンの種類は本当に限られる。ホテルのパンで満足したことは一度もない。そのために長期滞在には自分でパンを持ち込む、ということにもなるのだが。まあ日本は米文化の国だから、ヨーロッパなみのパンを要求する方が悪いのであって、いわば無い物ねだりだ、ということも分かる。だから地方のホテルなどでは、美味しいパンが朝食にでてくることはまず望み薄だから、やむを得ず日本食の朝飯、となる。

 ヨーロッパ旅行の楽しみの一つはそれぞれの違った国でいろいろなパンに接することが出来ることだ。スーパーをのぞいてもその種類の圧倒的な多さにまず驚かされる。パンとチーズと多少のワインがあれば食事は済ませられるから、ある意味、ヨーロッパ旅行は食事の思い悩む必要はない。一月ぐらい米を食わなくても私はどうということはないのだ。でも帰国するとまずお寿司屋に行く。やはり米はうまいねえ、となるところが何とも矛盾しているのだが。

 パンとなればやはり焼きたてのパンが何といっても一番、ということになるが、私が昔ドイツで一人暮らしをはじめ、近所のパン屋にパンを買いに出かけると、大まかに言ってDunkel(真っ黒のパン) Halbdunkel(半分黒いパン)とがあって、必ず店主から、今日焼いたのにしますか、昨日のにしますか、と聞かれるのだ。最初は変なこと聞くなあ、と思ったものだが、黒パンは焼きたてよりは2,3日たったものがいちばん味わいがでてくることがだんだんわかってきて、店主の質問にも納得がいった。

 日本では事情がちがう。1日たった黒パンは近くのスーパーでは割引で値段が安くなっている。やすくて、そのほうが美味しい、となれば私は当然それを選ぶ。でもそれを過ぎると賞味期限切れとかで店頭からは姿を消してしまう。廃棄処分にされるのだろうか、ともかくもったいない話で、うちではまず普通の冷蔵庫で1週間は持たせる。さすがに1週間に近くなると味は落ちてくるから、それ以上保存する必要のあるときは見計らって最初から冷凍してしまう。いわば我が家ではパンは日常食であると同時に非常事態に備えた保存食でもある。ドイツ直輸入の黒パンもあるし、かんづめの黒パンもあり、これなどまさに非常食として役立つ。


朝食のパン [グルメ]

 私はグルメにはあまり興味がない方だから、このタイトルは全く似つかわしくない。私だって人の子だからうまいものを食すれば当然うまいとは思うが、わざわざ遠くまで出かけて立派なレストランで高い金を払う趣味はない。何しろ普段は玄米と納豆だけの生活だから、エンゲル係数は日本国民の中では最低ではないか。
 ただ朝食は結婚以来メニューはほとんど変わっていない。3種類の黒パン、Vollkornbrot, Mehrkornbrot,Bauernbrot(全粒粉に大麦のつぶつぶのあるもの、数種類の雑穀入りのパン、田舎風の黒パン)が主で、時により種類は多少変わるが、基本的に真っ黒で、かたくて、歯ごたえのあるパン。うまいパンがあると聞けば100里の道も遠しとしないでとりあえず買ってみる、というのもあながち誇張ではなく、ロシアでうまい黒パンを見つけて、市場に並んで、大量に買い込んで帰国したこともある。国内のホテルぐらしではこんなものは調達できないから、長期の国内旅行には黒パンを買って持ち込む。

 たまたま家内とは結婚して以来この趣味は一致しているのでこの習慣は続いているのだが、最近はこの種のパンも東京ではいろいろの種類があって楽しい。外国旅行する人がふえて、黒パンにハマる人が多くなったのも原因かもしれない。家内に万一先立たれることがあっても、食事だけは困らないと思う。昔のドイツ式の素朴なスタイルに戻れば良いだけだからだ。朝と夜はパンとチーズだけ、昼は外で多少料理らしきものを食うというパターンになる。ベートーヴェンやブラームスなどのような独身音楽家でもだいたいこのスタイルだったのだ。(大天才のまねをして気取るわけではないが)

 え?黄緑野菜を食わないとガンになる? ガンになるとしても、悪い食生活をはじめてすぐになるわけではない。なん10年とかかるのだ。私の年ではもうどのみち関係ない。現に私はこれまで黄緑野菜を食っていてもがんになったのだ。

 


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。