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シュッツの「ルカ受難曲」 [音楽一般]

最近、ハインリヒ・シュッツの「ルカ」受難曲に少しはまっている。受難曲、というとどうしてもバッハのマタイ受難曲などと比べてしまうが、この際バッハの受難曲など忘れてしまわないといけないのであろうが、知ってしまった身としてはそうもいかない。全曲アカペラであるところがバッハとの大きな違いであり、バッハの音楽がいかに人間的な感情を生き生きと表現しているか、というのに比べれば、いわば、聖書の叙述に自然なメロディがついた、と言った趣である。オケの有る無しはともかくも、やはりシュッツの受難楽のあり方は、これが存在するからこそ、100年後のバッハの受難曲の巨大な礎となっている、と感じる。ひいては西洋音楽の伝統、というものにも改めて思いを深くせざるを得ないのである。

ゆったりとした単旋律のメロディなので、ドイツ語の言葉も捉えやすいが、内容が内容なので、新約聖書の日本語訳を逐一追いながら聞いていかないと、音楽だけの面白さを期待して聞いていると何もわからないから退屈してしまう。受難劇という音楽を伴わないジャンルも昔からあり、現在もヨーロッパではそれはそのジャンルで現代にも受け継がれている。でもシュッツのメロディあり、合唱あり、ハーモニーあり、対位法あり、という面白さは現代と変わるところがない。

調性、というものはこの時代はまだ確立していないものの、全体的には教会旋法のリディア調が主体で、合唱などははっきりトニカで終止するあたり、近代的でもある。ピアニストはこんなものには誰も興味を示さないけれど、時間がある時じっくり聞いてみるとやはり音楽家として知っておくべき曲だと思う。シュッツの作品としては「十字架上のイエスの七つの言葉」のほうがより傑作ではないかと個人的には思う。

「ルカ」受難曲は全部で約一時間、とバッハに比べればかなりコンパクトである。

浜中浩一さんの葬儀 [音楽一般]

クラリネットの大御所である浜中浩一さんが逝去された。彼は私とほぼ同年代であり、N響のトップを長年務め、私とはN響との共演の際はもちろんだったが、それ以外にも若い時から比較的最近まで、室内楽で何度もご一緒させていただいたし、また私からお願いしてコンサートにもご出演いただいたことも一度や二度ではない。最近体調が思わしくないことは人づてに聞いていたが、こんなに早くなくなられるとは思っていなかった。

葬儀は高輪の東禅寺でしめやかに行われ、私も参列した。印象的だったのは彼の生前の録音の挨拶がテープで流されたこと。クラリネットの友人や後輩の挨拶を聞きながら改めて彼の音楽に対するひたむきな一生を振り返り、クラリネットの世界に大きな足跡を残されたことに感銘を受けた。私はすぐに札幌に向かわなければならなかったので、多くの人たちとゆっくり話をする時間が持てなかったのが心残りである。また一人、貴重な友人をなくした。合掌。

大賀典雄追悼演奏会 [音楽一般]

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 8月13日大賀さんが遺された軽井沢の大賀ホール(写真)で追悼記念コンサートが開催され、ご招待を受けて出席した。出し物はベートーヴェンの第9である。大賀さんを追悼する曲目としては一番ふさわしい。軽井沢町長と大賀さんのご遺族の挨拶のあとコンサートは始まった。東フィルの演奏も非常に熱のこもったもので大変感銘を受けた。大賀さんを惜しむ多くの方が参集され追悼記念にふさわしいコンサートとなった。

 第9はこれまで何度聞いたか知れないが、これは不思議な曲でこの大賀ホールのような800人程度のホールでもオケもコーラスも編成は最小になるがそれでも十分な音楽的満足感が得られるし、以前に聴衆20000人のシチリア、タオルミーナのギリシャ劇場で、少人数編成のサワリッシュの指揮で聞いた時も、あの大野外劇場でさえ音楽的充実感はあじわえた。大勢いればいい、大きな音がすればいい、という現代のコンサートの風潮に反するやり方は、細部がきちんと聴衆に伝わり、細部に注意が払われていればいるほどこの曲の真価が伝わるのである。雑な音楽ほど大仕掛けと大音量でごまかす。ピアノ演奏も同じ。ロック(全部が、とは言わないが)などその典型。でも良い音楽になればなるほど大仕掛けも大音量も不要なのだ。ワーグナーはこの曲を演奏するのに4管編成でできなければ演奏はあきらめた方がいい、といったというが私は賛成しない。大仕掛け主義はカラヤンの時代で終わったと言うべきだろう。

三菱UFJ信託芸術文化財団 [音楽一般]

 この財団の評議員、という役職にありながらあまり知らなかったのだが、実は今年私が関わりを持ったショパン関係のイベント、「パリ最後のショパンのリサイタル」や「ショパンフェスティバルin表参道」などには合計120万円もの助成金をいただいていたのである。

 この基金はオペラ・交響楽団の助成が主だが、こういうフェスティバルのような一過性のイベントにも意義がある、と認められれば助成がおりる。なまじっか私は選考委員のような立場になかったのでごく普通の一般申請で認められたのはよかったと思っている。

 この財団は20億(旧三菱信託銀行による基金)という財源があるので、現在の低金利下とはいえ、年間数千万円の果実があり、それで運営されている。会議の席上、はじめのころはゼロがあまりに多すぎてわけが分からなかったが、最近やっとこの辺の決算書などが読めるようになってきた。音楽関係の理事、評議員も高齢でこの1年でも何人かが亡くなられている。いずれも私が若い頃から少なからずお世話になってきた方々でばかりである。どうやら、今私が代わって頑張り時ではあるのかなあ、という感想をもった。

 決算報告の理事・評議会の後、私は発言を求め、この基金の運営されている方々に対し、音楽関係者として謝意を述べた。恩恵を受けている音楽関係者からこういう席上で誰も謝意を表さないというのは変だ、とは思っていたのである。

管弦楽器論 [音楽一般]

 フランツ・マイヤーホフ著、信時潔共訳の「管弦楽器論」が届いた。カビだらけの古本だがインターネットで見つけたもので、大正14年とあるから、原著がでたのはもっと昔に違いない。信時裕子さんの調査では日本では2番目の管弦楽法の本だそうである。譜例を入れて200ページほどのものだが、楽器の図入りで、各楽器のについての記述が主で表題どおり、「管弦楽器」について述べたものだ。したがって本格的な管弦楽法の教科書というわけではない。それでも当時このような本が出されたことは、実際に楽器を見ることすら難しかった時代には重宝されたであろう。もちろん西欧では昔からベルリオーズの「管弦楽法」に代表されるこの類の本はたくさん書かれているが、大正末期の日本の楽壇の状況では、そんな難しいものはまだ一般には必要とされなかったのかも知れない。多分この時代に日本人で作曲を志す人は、大作曲家のスコアから直接学ぶほかなかったのかも知れない。まあこれは現代でもそうで「和声学」の本を何十冊読んでも和声のことが分かるようにはならないのと同様、「管弦楽法」の本をどれだけ読んでもそれだけでは正しいスコアをかけるようにはならない道理であろう。

 私が子供の頃ちゃんとした管弦楽法を教われなかったのは、田舎に育ったせいばかりではなくて、日本のレベルがまだその程度であったのだ、と今更ながら納得がいった。でもまあ菅原明朗著「管弦楽法」の本などは家にあったので、大正時代から見れば、それでもその50年の間に日本人によって本格的な管弦楽法の本が書かれるくらいには進歩していたらしい。


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