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サブプライム問題(3) [経済]

 アメリカのビッグスリーが存亡の危機にある。それにしてもアメリカ人の楽天主義は見事というほかない。私など少しツメの垢でも煎じてのみたいくらいだが、コケかかっている会社の資金を要請するために政府に掛け合いに行くのに(私企業なのだから本来自己責任であり、政府に何とかしてくれといえる筋合いではないのだが)CEOが自家用ジェット機でのりつける、という神経は私の理解を超える。当然ながらアメリカ議会や世論の反発を食らった。

 私の予測では、ビッグスリーはいずれポシャるであろう(私の予測が外れることを望むが)。これは世の中の流れなのだ。その結果アメリカはもちろん、日本も世界も大混乱に陥る。株価はいまの半分になるかも知れない。もとより我が家の経済も例外ではあり得ない。
 車は、タクシーなどは40万キロくらい持たせるのはあたりまえのようだから、自家用車も年1万キロ乗るとしても単純計算で40年はもつ。実際には車体にサビが来たりしてそうはならないにしても、5年や10年で買い換える必要など本来ないのだ。新幹線の0系でも44年もった。冷蔵庫などはどこの家庭でもこわれるまでは使う。車もいまや実用品となり、新車が自慢の種になどならなくなった(ドイツではとっくの昔からそうなっている)からこれから先、人々はたとえ金があっても車は買わなくなるだろう。冷蔵庫と同じように。

 そもそも資本主義は毎年経済が成長することを前提に成り立っているが、誰が考えても成長が永久に続くなどあり得ない。これは私は昔からそう理解していたが、その限界が思ったより少し早く来たようである。たとえ、アメリカが悪くなくてもいずれはそうなる運命にある。私の世代は終戦後、焼け野原で、全くなにもない時代、常に腹を空かせ、タマに干しバナナの配給があると感激した時代に育ったからあの時代のことを考えれば株価がいまの半分になってもなにほどのことはない。何しろ国民が半強制的に買わされた「弾丸国債」なるものが終戦とともにただの紙くずになったのだから。だからいまだに私は国債を信用せず、買ってもいない(それほどの金がないからでもあるが)。


ふたたびサブプライム問題について [経済]

 先日ブログに書いたばかりなのだが、心配がもう現実化してきた。社保庁も年金運用でかなりなダメージを受けているようである。私は笑ってしまった(実は笑っている場合ではないのだが)。そのダメージの受け方のパーセンテージが我が家のそれとあまりに似ていることが分かって笑ったのだ。これは経済音痴である私が、自分のささやかな退職金などの蓄えを、はからずも社保庁の役人と、全く同じような考え方で資金を運用していたことになる。今回の事件で、その道のプロであるはずの役人たちは、金に関して私より全然利口でもなく、知識も、判断力もほとんどかわらない、つまり金に関しては素人以下ということが露呈してしまったから笑ったのだ。

 私は自慢ではないが経済音痴であり、全くの素人。だが、これは自分の金を自分の判断で運用した結果が惨憺たる結果になっているものの、少なくとも人様には誰にも迷惑はかけていない。あ〜あ、運が悪かった、ですむ問題なのだ。これにひきかえ、社保庁の金はこれは人様から預かっている金である。しかもその額は半端ではない。いったいどうしてくれる、この怒りをどこにぶつけたらいいのだろうか。これはいずれ年金の削減、というはね返りがくるに決まっている。

 ピアニストが素人とかわらない技量で、コンサートをやったら、とても入場料もギャラももらえない。これも当たり前の話だが、素人とはひと味違うピアノを聴かせられるから、世間の人たちからはその技量なりに(必ずしも技量と人気は一致しないものの)認めてもらえるのであろう。まえのブログで書いたが、どこまでリスクをとれるか、というプロなりの判断が、ワシントン以下、経済専門家、と称する誰にも出来なくなっていたのがこの結果なのだ。

 まあしかし嘆いても始まらない。人間の知恵の限界というのはかくのごとくたかが知れたものなのだ。だが、このツケは一番弱者の所に真っ先に来る。オーケストラ、合唱団、といった音楽のプロ集団から寄せられる経済的悩みはこのところ特に深刻で、音楽家などは経済的弱者の最たる者といえる。演奏家連盟などの会議に出席していて昨今痛切に感じることは多い。弱者どうし少しでも助け合っていこう、という趣旨ではじめられたこの連盟だが、自分の無力感におそわれる。

サブプライム問題 [経済]

 私は経済音痴だから、ここで人並みなことを言ってもあまり意味はない。ただ、この問題に関しては、その道のプロ、それも超一級のプロであるはずの証券会社、リーマン・ブラザーズ、古くは、山一証券だってつぶれるのだから、プロといってもそう威張れたものではない。素人ながら分かるのは、この問題をいまや人ごと、と笑ってみていられる人は、もう世界中にほとんどいないであろう、ということだ。規模はちっぽけだが我が家の経済とて例外ではない。年金生活者として気になるのは、社保庁の年金運用だってかなりダメージを受けているはずなのだがそれでも、「社保庁全体の年金資産が2/3の価値に下がりましたから、年金額は来月から2/3に減額します」といわれないだけましなのだ。ただ気になるのは、その損害額をだれが補償する?

 それでも社保庁のこれまでの言動をみれば、社保庁役人のうち、だれもこのことについて夜も心配で眠れないでうつ病やノイローゼになることはないのであろう。私もふくめて人間は勝手なものだから、「自分の年金さえ減らなければいい」とみんな思っているに違いないのだが、誰も言わないけれど、この事態は相当深刻なのではないか。私は最近、生命保険会社とか、その他の企業がどんな風に資金を運用しているか、ということが気になりだした。いくつかの団体、それも何10億、という基金を運用して音楽界にいろいろ貴重な援助をしてくれている財団に評議員とか、理事とかでかかわっていると、何10億とか何100億というフツーの人間からみれば天文学的数字の金をどういう手段で運用し、どのような利益を生み出しているかということは、毎期、決算報告が会議にでるからすこしづつそういう数字にも少しなれてはきた。

 素人ながら分かってきたことは、昨今、個人も、法人も、企業も金の運用の仕方にそう大きな違いはない、ということだ。違いがあるとすれば、その団体なり、個人なりが、どれだけのリスクにたえられるかによる。なにも知らなかったときは、大企業や、財閥はわれわれのあずかり知らぬやりかたで、むちゃくちゃ金を儲ける手段を持っているのだろう、と勝手に想像していたがそういうものでもないみたいだ。どれだけのリスクにたえられるか、という基本的な知識がプロの人間にも誰にも分からなくなってきたのがこのサブプライム問題の本質であろう。そもそも経済の先の見通しについて、テレビにしゃしゃり出てしたり顔で解説する人たちの予想が当たったためしがない。

為替相場のナゾ [経済]

 またもやメルクリンを例に出して恐縮なのだが、8年くらい前のカタログでは「03」は約6万円もしていた。ところが最近はほぼ同じものが2両セットで5万6千円くらいで買えたのだ。(03ばかり3両もあったってしょうがないじゃないか、などというなかれ)当時はユーロは100円はしていなかったと思うが最近は150円以上、つまり円の価値は相対的に3分の2になったから、その間の物価上昇を計算に入れなくても、いまなら「03」を2両買ったら15万円くらいしていてもおかしくない勘定になる。

 これは輸入車の世界も似たようなもので、我が家のゴルフワゴンは5年前、300万円足らずで買ったものだが、昨今ユーロが150円以上もしているから、いまでは450万円でなければならない。その間にモデルチェンジをして立派になったにもかかわらず、いまでも300万円を少し超したくらいの価格設定である。もちろんゴルフが450万円もしたら誰も買わないだろうが、さりとて、為替をそのまま価格に転嫁したら、おそらくヨーロッパ車の輸入元は廃業しなければならないはずだが、日本の経済は下降気味なのに実際はメルセデスなど高級車ばバンバン売れている。

 とすると、当時の輸入業者がボロもうけをしていたか、いまは赤字覚悟で売っているかどちらか、ということになるが、どうやらそのどちらでもないようだ。この世界は分からない。


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