パルナソス・アソシエーション
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/
音楽家で鉄道マニアの日記・エッセイ集です
klaviermusik-koba
2017-02-25T08:27:54+09:00
ja
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金正日
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2011-12-20
69才でなくなったそうだからこの人は私より6才も若い。まともな人生を送っていたらもっと長生き出来たはずである。金日成の後継者として、普通の人間には考えられないひどい恐慌政治を行ってきたが、ソ連の後ろ盾があった金日成の時代は去り、世界は大きく変わったにもかかわらず、金王朝を何としても継承しなくては、という、彼なりの使命感はあったのだと思う。このため国民はもとより、まわりがいかに迷惑を被ろうとも、である。 これで一つの時代は終わった、と私は思う。彼の息子は当面、まわりに支えられて以前の路線を継承するだろうが、世界を見ると、チュニジアをはじめ、リビアやシリアなどアラブの独裁体制がつぎつぎに倒れているのを北朝鮮も見ているはずで、現在の北朝鮮のひどい経済状態を見てもいずれどこかで方向転換を図らざるを得ない。それがいつかはわからないが、良い方向に行けば、と期待している。黒船の来襲で幕藩体制が変わったり、1989年のベルリンの壁の崩壊を見てもわかるように、予想もしないとき、変わるときには世界は瞬時に変わるものだ。 北朝鮮でも携帯がかなり普及しているみたいだから、国民を世界からつんぼ桟敷に置くことはだんだん不可能になってきつつある。実際北朝鮮の国民は、スローガン「強盛大国をひらく」などとはもう誰も信じてはいないと思う。その時日本はどうなるか。私にも予想はつかない。北朝鮮が平和になり、自由に往き来できるようになったら、北朝鮮の鉄道を真っ先に見に行きたい。ソ連なき今、ソ連時代の車両が残っている数少ない国であろうから。
政治
klaviermusik-koba
2017-02-25T08:27:54+09:00
これで一つの時代は終わった、と私は思う。彼の息子は当面、まわりに支えられて以前の路線を継承するだろうが、世界を見ると、チュニジアをはじめ、リビアやシリアなどアラブの独裁体制がつぎつぎに倒れているのを北朝鮮も見ているはずで、現在の北朝鮮のひどい経済状態を見てもいずれどこかで方向転換を図らざるを得ない。それがいつかはわからないが、良い方向に行けば、と期待している。黒船の来襲で幕藩体制が変わったり、1989年のベルリンの壁の崩壊を見てもわかるように、予想もしないとき、変わるときには世界は瞬時に変わるものだ。
北朝鮮でも携帯がかなり普及しているみたいだから、国民を世界からつんぼ桟敷に置くことはだんだん不可能になってきつつある。実際北朝鮮の国民は、スローガン「強盛大国をひらく」などとはもう誰も信じてはいないと思う。その時日本はどうなるか。私にも予想はつかない。北朝鮮が平和になり、自由に往き来できるようになったら、北朝鮮の鉄道を真っ先に見に行きたい。ソ連なき今、ソ連時代の車両が残っている数少ない国であろうから。
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困難な日本語
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2012-02-09
厚生労働省年金局から「国民年金・厚生年金保険の支払額のお知らせ」というものが送られてきた。私は基本的に年金生活者だから、このたぐいの文書には当然敏感でよく読もうと思ったのだが、この文書、私にはほとんど理解出来ない。 年金の制度はこれまで何度か変更されているので、私の場合、これまでに払いすぎたから、戻せ、といっているのか、払い足りてないからこれから支払ってやる、といっているのか、など基本的なことすら十分理解出来たとは言い難い。ただ今度の振込予定額を見るかぎり、これまでよりすこし高い金額が示されているから、本来もらえるべき金額より少ししか支払われていなかった、だから今回その差額を支払ってあげる、というふうには読める。人間は自分に都合の良い方に解釈したがる傾向にあるから、多分後者なのではないかと期待したい。 私は音楽学校出だから、平均的な日本人よりは日本語の理解能力は低いであろうことは常日頃自覚はしている。それにしても難解な文章である。そもそもこれ、日本語なのだろうか、とさえ思う。年金受け取り者にはさまざまなケースがあるから、それをどのケースにも当てはめられるよう、さまざまな事例をもらさず全部書き込んでいくとこうならざるを得ないのであろう。それもわかる。それにしても、もう少しわかりやすい書き方にならないものだろうか。小一時間もかけて読んだが、結局、まあもらえるだけのものしかもらえない、と投げ出してしまった。 自分のもらってる年金額はおかしいから厚生労働省にクレームをつけよう、というほどの日本人の語学能力、計算能力の高さには、ことの当否は別にしてもただただ感嘆せざるを得ない。
プライベート
klaviermusik-koba
2017-02-25T08:26:43+09:00
年金の制度はこれまで何度か変更されているので、私の場合、これまでに払いすぎたから、戻せ、といっているのか、払い足りてないからこれから支払ってやる、といっているのか、など基本的なことすら十分理解出来たとは言い難い。ただ今度の振込予定額を見るかぎり、これまでよりすこし高い金額が示されているから、本来もらえるべき金額より少ししか支払われていなかった、だから今回その差額を支払ってあげる、というふうには読める。人間は自分に都合の良い方に解釈したがる傾向にあるから、多分後者なのではないかと期待したい。
私は音楽学校出だから、平均的な日本人よりは日本語の理解能力は低いであろうことは常日頃自覚はしている。それにしても難解な文章である。そもそもこれ、日本語なのだろうか、とさえ思う。年金受け取り者にはさまざまなケースがあるから、それをどのケースにも当てはめられるよう、さまざまな事例をもらさず全部書き込んでいくとこうならざるを得ないのであろう。
それもわかる。それにしても、もう少しわかりやすい書き方にならないものだろうか。小一時間もかけて読んだが、結局、まあもらえるだけのものしかもらえない、と投げ出してしまった。
自分のもらってる年金額はおかしいから厚生労働省にクレームをつけよう、というほどの日本人の語学能力、計算能力の高さには、ことの当否は別にしてもただただ感嘆せざるを得ない。
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最後の(?)同窓会
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2014-01-27
四日市中部中学校最後の同窓会になるかもしれません、という通知があった。滅多に出たことのない同窓会だが、最後かも、と言われたら出ないでいるわけにもいくまいと思い、出かけた。私たちの学年は6つクラスがあった。受付で渡された名簿を見てまずショックを受けた。ひとクラス分の名簿かと思ったらこれで6学級分全部だという。残りは、亡くなっているか、病気で出られないか、もちろんほかの様々な理由で出られない人もいようが、それにしてもこの人数である。この年にもなると元気な人とそうでない人の落差は実に大きい。当たり前だが、元気であってもほとんどの人は退職しているし、自営業でもやめている人も多い。大きな声では言えなかったが、何十年も会わない人が多いので、こちらはもうほとんど「浦島太郎」である。特に女性は「誰ちゃんだねえ」とわかる人はほんの少数。それでも私がわざわざ東京からきてくれた、ということには皆素直に喜んでくれたが、現役代表としてスピーチを、と急に言われて、人前でしゃべり慣れている私もこれには困った。様々な事情の人がいるであろうから、うかつなことはしゃべれない。自分の近況報告を、と思っても、そのこと自体自慢たらしく聞こえてしまうのが怖かった。結局のところ「やはりふるさとはいいねえ」かなにか、当たり障りのない話でお茶を濁さざるをえない。しゃべりながら、これもハッと思ったのは標準語のアクセントが抜けず、四日市弁で、と思ってもえらくぎこちない、しゃべるとこそれ自体皆に不快感を味わわせるのでは、などなど思うと、だらしないがもう冷や汗ものでほうほうの体で引き下がった。昔、体格もでっかく、大きな顔でクラスを取り仕切っていた、近づくのさえ怖いくらいだったガキ大将はほとんどいなくなり、まあ普通だった子は今も普通でいるみたい、というのが総体的印象であった。今となってはガキ大将がいないのは寂しい。ガキ大将は、今もガキ大将のイメージのままであって欲しいが、年と共に私に丁重に接してくれるのもこれまた気持ちの悪いものである。向こうも気持ち悪かろう。
プライベート
klaviermusik-koba
2017-02-24T18:43:04+09:00
私たちの学年は6つクラスがあった。受付で渡された名簿を見てまずショックを受けた。ひとクラス分の名簿かと思ったらこれで6学級分全部だという。残りは、亡くなっているか、病気で出られないか、もちろんほかの様々な理由で出られない人もいようが、それにしてもこの人数である。この年にもなると元気な人とそうでない人の落差は実に大きい。当たり前だが、元気であってもほとんどの人は退職しているし、自営業でもやめている人も多い。大きな声では言えなかったが、何十年も会わない人が多いので、こちらはもうほとんど「浦島太郎」である。特に女性は「誰ちゃんだねえ」とわかる人はほんの少数。
それでも私がわざわざ東京からきてくれた、ということには皆素直に喜んでくれたが、現役代表としてスピーチを、と急に言われて、人前でしゃべり慣れている私もこれには困った。様々な事情の人がいるであろうから、うかつなことはしゃべれない。自分の近況報告を、と思っても、そのこと自体自慢たらしく聞こえてしまうのが怖かった。結局のところ「やはりふるさとはいいねえ」かなにか、当たり障りのない話でお茶を濁さざるをえない。しゃべりながら、これもハッと思ったのは標準語のアクセントが抜けず、四日市弁で、と思ってもえらくぎこちない、しゃべるとこそれ自体皆に不快感を味わわせるのでは、などなど思うと、だらしないがもう冷や汗ものでほうほうの体で引き下がった。
昔、体格もでっかく、大きな顔でクラスを取り仕切っていた、近づくのさえ怖いくらいだったガキ大将はほとんどいなくなり、まあ普通だった子は今も普通でいるみたい、というのが総体的印象であった。今となってはガキ大将がいないのは寂しい。ガキ大将は、今もガキ大将のイメージのままであって欲しいが、年と共に私に丁重に接してくれるのもこれまた気持ちの悪いものである。向こうも気持ち悪かろう。
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カノープ
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-04-21
唯一副科のピアノを教えている男の子がいる。もう4年生になるので、少し曲らしいものを、と思ってドビュッシーの前奏曲第二集のなかから「カノープ」を課題として与えた。これは弾くこと自体難しくないし、作曲を勉強するなら、これも一つの立派な作曲の手本になりうる、と考えたからである。私は実際この子にはピアノはほとんど教えない。もっぱら彼が書いてきた作品をみてコメントするのだが、規定の時間の30分ははるかにオーバーし、一時間くらいに及ぶこともザラ。カノープは不思議な雰囲気を持つ曲で、たった33小節しかない小品。彼はだいぶん曲が書けるようにはなってきたが、まだ、曲の構造がよくわかっていないようだ。一般には「カノープ」はぼんやり弾いたり、聞いたりしていると、雰囲気はあるが何かつかみどころのない曲、というイメージが強い。これをソナタ形式でできている、というつもりはないし、ドビュッシーもそう言われれば怒るに決まっている。しかし、実に自由に、即興的に書かれていながら、やはりソナタ形式の基本構造が最小限に煮詰まった形で背景になっていると私はみている。もとより、ハイドンやベートーヴェンで言う意味でのソナタ形式とはちょっと違う。私のソナタ形式説に賛成しない人でも、ある種の統一的構成力が存在することは否定できまい。即興的に書かれたようでも、ヨーロッパ人の書く作品には無意識のうちに構成力が働いている。作品はどう書いてもいいが、形式を無視して書いても、このような統一体としての構造物であるべき、ということを彼に説明をしたかったのだ。でも、これも私は「ピアノのレッスン」をしたつもりであって、作曲を教えたつもりはない。
ピアノ音楽
klaviermusik-koba
2017-02-24T18:39:15+09:00
私は実際この子にはピアノはほとんど教えない。もっぱら彼が書いてきた作品をみてコメントするのだが、規定の時間の30分ははるかにオーバーし、一時間くらいに及ぶこともザラ。カノープは不思議な雰囲気を持つ曲で、たった33小節しかない小品。彼はだいぶん曲が書けるようにはなってきたが、まだ、曲の構造がよくわかっていないようだ。一般には「カノープ」はぼんやり弾いたり、聞いたりしていると、雰囲気はあるが何かつかみどころのない曲、というイメージが強い。これをソナタ形式でできている、というつもりはないし、ドビュッシーもそう言われれば怒るに決まっている。しかし、実に自由に、即興的に書かれていながら、やはりソナタ形式の基本構造が最小限に煮詰まった形で背景になっていると私はみている。もとより、ハイドンやベートーヴェンで言う意味でのソナタ形式とはちょっと違う。私のソナタ形式説に賛成しない人でも、ある種の統一的構成力が存在することは否定できまい。
即興的に書かれたようでも、ヨーロッパ人の書く作品には無意識のうちに構成力が働いている。作品はどう書いてもいいが、形式を無視して書いても、このような統一体としての構造物であるべき、ということを彼に説明をしたかったのだ。でも、これも私は「ピアノのレッスン」をしたつもりであって、作曲を教えたつもりはない。
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3・11大震災あれから5年
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-03-12
5年前のブログの記事を読み返してみたが当時のことについてあんまり大したことは書いていない。あまりにもことが大きすぎたのと、とりあえず自分は何をすべきかで頭がいっぱいでブログどころではなかったのかも知れない。震災が発生した当時、私は札幌大谷大学の学部長室におり、その夜行われるはずの卒業演奏会を実施するか中止するかの決断を迫られていた。助手から「奥様は無事であるという連絡が届いております」と報告があったので、東京の家のことは心配がなくなった。結局卒演は予定通り行われることになった。今日はこれまで滅多にしないことだが、新聞に掲載された天皇陛下のお言葉と安倍総理の追悼演説に目を通して両者の内容を比較してみた。もちろん限られた時間内のコメントであるからどちらもいいたいことをすべていいつくしているわけではないが、やはり文は人柄をあらわす。立場の違いもあるから単純に比較はできないかも知れない。とちらの追悼文にも必要なことはすべて触れられている。そこまでは全国民に聞かれ、読まれるのであるから一字一句考え尽くされたものに違いない。ただ違いは私の感想として、天皇陛下のほうがより具体的であるのに対し、安倍総理のほうは、どこかひとごとのような醒めたところがある。例えば、陛下のお言葉の中にあるような、漁船を守るために人々は勇敢に沖へ船をすすめた、というような具体性というか、より血が通っている雰囲気が伝わってくるのである。どちらかというと型にはまりやすい形式的な追悼文にさえ、これほどの違いが出てくるところを見ると文章を書く、というのは怖いものだという実感がわく。
プライベート
klaviermusik-koba
2017-02-24T18:34:34+09:00
今日はこれまで滅多にしないことだが、新聞に掲載された天皇陛下のお言葉と安倍総理の追悼演説に目を通して両者の内容を比較してみた。もちろん限られた時間内のコメントであるからどちらもいいたいことをすべていいつくしているわけではないが、やはり文は人柄をあらわす。
立場の違いもあるから単純に比較はできないかも知れない。とちらの追悼文にも必要なことはすべて触れられている。そこまでは全国民に聞かれ、読まれるのであるから一字一句考え尽くされたものに違いない。ただ違いは私の感想として、天皇陛下のほうがより具体的であるのに対し、安倍総理のほうは、どこかひとごとのような醒めたところがある。例えば、陛下のお言葉の中にあるような、漁船を守るために人々は勇敢に沖へ船をすすめた、というような具体性というか、より血が通っている雰囲気が伝わってくるのである。
どちらかというと型にはまりやすい形式的な追悼文にさえ、これほどの違いが出てくるところを見ると文章を書く、というのは怖いものだという実感がわく。
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熊本地震(2)
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-04-18
以下は未確認情報もあって、そうでなければいい、と願いつつ、控えめに書くつもりでいる。そういわれれば、であるが、NHKテレビも熊本を中心とした地震情報が震度いくつ、と九州全般にわたって報道されているが、なぜか鹿児島県だけが報道域外にある、しかも熊本県と隣接し活断層が繋がっているにもかかわらず、である。日本で唯一稼働している川内原発があるから、余計な情報を出して「原発を停止させろ」と心配する向きの疑念をかきたてないため、寝た子を起こさないためではないかと私は勘ぐっている。もし、原発が大丈夫であるなら、なおのこと鹿児島県の地震情報も出すべきであろう。実際は鹿児島県内でも震度4とか3とかが観測されているのだから。川内原発の非常事態の避難方法として新幹線と高速道路があるから避難は万全、と報道されているが、現実は新幹線も高速道路も地震でマヒしてしまったではないか。こういう時は大丈夫 と思っても住民の安心と安全を考えるなら、原発は一度停止させるべきではないか。停止させても復旧に必要な電力は十分まかなえる、と聞いている。原発を一度停止させると再稼働がまた大変だから、と思っているなら何をかいわんや、である。今の時点では大丈夫です、といくら官房長官にいわれても、全く嘘だったことは福島でつい先日、イヤというほど体験したばかりだから、一体誰が「大本営発表」を信じるだろうか。そう勘ぐられないためにも一旦は原発は止めるべきだと考える。
一般向け
klaviermusik-koba
2016-04-18T21:25:56+09:00
そういわれれば、であるが、NHKテレビも熊本を中心とした地震情報が震度いくつ、と九州全般にわたって報道されているが、なぜか鹿児島県だけが報道域外にある、しかも熊本県と隣接し活断層が繋がっているにもかかわらず、である。日本で唯一稼働している川内原発があるから、余計な情報を出して「原発を停止させろ」と心配する向きの疑念をかきたてないため、寝た子を起こさないためではないかと私は勘ぐっている。
もし、原発が大丈夫であるなら、なおのこと鹿児島県の地震情報も出すべきであろう。実際は鹿児島県内でも震度4とか3とかが観測されているのだから。川内原発の非常事態の避難方法として新幹線と高速道路があるから避難は万全、と報道されているが、現実は新幹線も高速道路も地震でマヒしてしまったではないか。こういう時は大丈夫 と思っても住民の安心と安全を考えるなら、原発は一度停止させるべきではないか。停止させても復旧に必要な電力は十分まかなえる、と聞いている。原発を一度停止させると再稼働がまた大変だから、と思っているなら何をかいわんや、である。
今の時点では大丈夫です、といくら官房長官にいわれても、全く嘘だったことは福島でつい先日、イヤというほど体験したばかりだから、一体誰が「大本営発表」を信じるだろうか。そう勘ぐられないためにも一旦は原発は止めるべきだと考える。
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熊本地震
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-04-15
いつ起きてもおかしくない、といわれている南海トラフ、東京直下型地震、ではなく熊本、という予想もしなかったところで災害は起きるようである。ともあれ、被害に遭われた方々に対し心よりお見舞い申し上げる次第です。私自身は子供の頃、三重県にいて二度大きな地震を体験している。いずれも終戦前後で報道管制が敷かれていたから、どこで何が起こったのやら、現代のように逐一報道されないから何もわからないでいた。ずっと後で分かったことは、そのうちの一つは南海大震災であった。それもどこが一番被害が大きかったか、震源地はどこか、など何もわからずじまいである。自宅が潰れることはなかったが、びっくりして家の前の道路に飛びたし、しばらく震えがとまらなかったことと、近所の商店が倒壊したことなどは覚えている。情報がラジオ、それも報道管制下のもの以外何もない状態だったから、怖かったねえ、で終わりである。3・11の時は家族の誰も東京にいなかったからどのくらい怖かったか、は分からなかったが、知人からの経験談を聞くだけであった。子供の時と比べて全く違うのは情報量の圧倒的な差である。TVでほぼ同時進行で事態の悲惨さがわかるのだから。感受性の強い子供の頃に見ることができたら自分の性格は変わったのではないかと思うほどの信じ難いことを目の前に突きつけられる。長らくコンクリート造りの住まいにいたせいか、現在の住まいを作るに当たって、近所を見渡してみて、よくみんなこんな密集した木造住宅に怖くもなく平気ですんでいられるもの、と慄然としたものだ。何が何でも鉄筋コンクリート作りにしなければ、という思いが強く、借金を重ねてとりあえず借金コンクリートではあるが目的は達した。達したものの、さきほど述べたように、自宅がいくらしっかりしていても、いざという時、自分も家族も家にいるとは限らず、家族全員が別の場所にいたら連絡さえままならない。けっきょく「なるようにしかならない」という諦めにも似た気持ちでいる。これまでの人生、何事も運良く来たから、これからもこの運が死ぬまで続いてくれるか、あるいは、いっぺんにこれまでのツケをどかっと払わされる時が来るのか、誰にも分からない。
一般向け
klaviermusik-koba
2016-04-15T20:10:32+09:00
私自身は子供の頃、三重県にいて二度大きな地震を体験している。いずれも終戦前後で報道管制が敷かれていたから、どこで何が起こったのやら、現代のように逐一報道されないから何もわからないでいた。ずっと後で分かったことは、そのうちの一つは南海大震災であった。それもどこが一番被害が大きかったか、震源地はどこか、など何もわからずじまいである。自宅が潰れることはなかったが、びっくりして家の前の道路に飛びたし、しばらく震えがとまらなかったことと、近所の商店が倒壊したことなどは覚えている。情報がラジオ、それも報道管制下のもの以外何もない状態だったから、怖かったねえ、で終わりである。
3・11の時は家族の誰も東京にいなかったからどのくらい怖かったか、は分からなかったが、知人からの経験談を聞くだけであった。子供の時と比べて全く違うのは情報量の圧倒的な差である。TVでほぼ同時進行で事態の悲惨さがわかるのだから。感受性の強い子供の頃に見ることができたら自分の性格は変わったのではないかと思うほどの信じ難いことを目の前に突きつけられる。長らくコンクリート造りの住まいにいたせいか、現在の住まいを作るに当たって、近所を見渡してみて、よくみんなこんな密集した木造住宅に怖くもなく平気ですんでいられるもの、と慄然としたものだ。何が何でも鉄筋コンクリート作りにしなければ、という思いが強く、借金を重ねてとりあえず借金コンクリートではあるが目的は達した。達したものの、さきほど述べたように、自宅がいくらしっかりしていても、いざという時、自分も家族も家にいるとは限らず、家族全員が別の場所にいたら連絡さえままならない。
けっきょく「なるようにしかならない」という諦めにも似た気持ちでいる。これまでの人生、何事も運良く来たから、これからもこの運が死ぬまで続いてくれるか、あるいは、いっぺんにこれまでのツケをどかっと払わされる時が来るのか、誰にも分からない。
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バスタ新宿
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-04-10-1
バスターミナルを集約させた「バスタ新宿」日曜の午後、見物に出かけた。新宿駅南口、いつも工事中で渋滞に悩まされたところだが、スッキリした。バスターミナルといっても遠距離、せいぜい羽田空港までがその対象で、路線バスは対象になっていない。見学したのは16時前後でバスの数はちらほらだが、これが夜になれば、さまざまの路線の夜行バスで埋め尽くされる。路線数の多さに圧倒されるが、これだけの夜行バス路線が充実すれば、残念だが寝台列車がなくなるのも無理はない。時代の趨勢であろう。JR新宿駅の線路上に巨大な構築物ができたわけだが、新幹線が集中したのが東京、遠距離バスの集中したのが新宿、とはっきり役割分担ができたことになる。行き先別の時間と乗車位置など、わかりやすくなり使いやすくなったのはいいのだが、バスを待ち合わせるための場所に置かれたベンチが少し、というよりひどくアンバランスな貧弱さ。田舎のバス停に置かれたものと変わらない。あれだけの設備を作るなら、待合客のためのベンチ、もう少しなんとかならないものか。
一般向け
klaviermusik-koba
2016-04-10T17:35:20+09:00
JR新宿駅の線路上に巨大な構築物ができたわけだが、新幹線が集中したのが東京、遠距離バスの集中したのが新宿、とはっきり役割分担ができたことになる。行き先別の時間と乗車位置など、わかりやすくなり使いやすくなったのはいいのだが、バスを待ち合わせるための場所に置かれたベンチが少し、というよりひどくアンバランスな貧弱さ。田舎のバス停に置かれたものと変わらない。あれだけの設備を作るなら、待合客のためのベンチ、もう少しなんとかならないものか。
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宗次イエローエンジェル奨学生
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-04-02
若い音楽家を目指す音楽学生を対象とした、宗次イエローエンジェル奨学制度が誕生して三回目になるが、昨日その授与式が、イエローエンジェル理事長の宗次徳二氏を迎えて、霞が関ビルの35階で授与式が行われた。宗次徳二氏は恵まれない環境に育ち、一代でカレー店の成功を収め、若くして、このような音楽の道を志す若い人たちに奨学制度を立ち上げていただいている。実質、奨学生の選考に当たるのは、日本演奏連盟の事務局と理事の音楽家に任されていて、私も選考委員の一人として関わっている。素晴らしいのは、お金を出してくださることももちろんであるが、奨学生に選ばれた学生と授与式で席をともにし、学生たちに応援の言葉を述べられ、直接奨学生と話す機会を持たれることである。これにより、奨学生たちは、援助して下さる方の人柄、雰囲気に触れて人間的なつながりができることになる。宗次氏の挨拶の中で特に印象に残った言葉は「自分の今の生活の中で幸せに感じることが三つあるが、そのうちの一つがこうして人のお役に立てるイエローエンジェルの奨学生度である」つまり、人の役に立てることを無上の幸せと感じる、という心意気である。結果論であるが、奨学生に選ばれた学生たちはどの音大に特に偏ることなく、いろいろな大学の学生が恩恵にあずかっている。私も苦学をしたからよくわかるのであるが、金がないために必要な学費も払えず、欲しい楽譜も買えないのはほんとうに辛いものである。その大変さが少しでも軽減されるなら、どんなにか励みになるであろう。帰途、車を運転しながらふと思った。音楽がただ無上に好きだ、というだけで、これだけのことを人にして上げられる、というのは、いくら財産があると言ってもそうそうできることではない、ということ。いっぽう振り返って我々音楽家として、恵まれた生涯を送れた人間が、人任せにしすぎていないか、という反省しきりである。あと何年生きるかわからないが、自分としてもなにかまとまったことができるのではないか、考えてみよう、と思い至った。まだいますぐどうする、という具体策があるわけではないが、一つの宿題をもらった気持ちでいっぱいになった。ついでであるが、他にも演奏連盟の会員で若い音楽家がコンサートを開くのに、金銭的援助をする、という制度もある。これは会員でもある方の篤志によるもので、こういう若い音楽家を応援できる窓口になれるのが日本演奏連盟の使命の一つでもある。少し心配なのは、若い会員が..
音楽全般
klaviermusik-koba
2016-04-02T21:32:41+09:00
実質、奨学生の選考に当たるのは、日本演奏連盟の事務局と理事の音楽家に任されていて、私も選考委員の一人として関わっている。素晴らしいのは、お金を出してくださることももちろんであるが、奨学生に選ばれた学生と授与式で席をともにし、学生たちに応援の言葉を述べられ、直接奨学生と話す機会を持たれることである。これにより、奨学生たちは、援助して下さる方の人柄、雰囲気に触れて人間的なつながりができることになる。宗次氏の挨拶の中で特に印象に残った言葉は「自分の今の生活の中で幸せに感じることが三つあるが、そのうちの一つがこうして人のお役に立てるイエローエンジェルの奨学生度である」つまり、人の役に立てることを無上の幸せと感じる、という心意気である。
結果論であるが、奨学生に選ばれた学生たちはどの音大に特に偏ることなく、いろいろな大学の学生が恩恵にあずかっている。私も苦学をしたからよくわかるのであるが、金がないために必要な学費も払えず、欲しい楽譜も買えないのはほんとうに辛いものである。その大変さが少しでも軽減されるなら、どんなにか励みになるであろう。
帰途、車を運転しながらふと思った。音楽がただ無上に好きだ、というだけで、これだけのことを人にして上げられる、というのは、いくら財産があると言ってもそうそうできることではない、ということ。いっぽう振り返って我々音楽家として、恵まれた生涯を送れた人間が、人任せにしすぎていないか、という反省しきりである。あと何年生きるかわからないが、自分としてもなにかまとまったことができるのではないか、考えてみよう、と思い至った。まだいますぐどうする、という具体策があるわけではないが、一つの宿題をもらった気持ちでいっぱいになった。
ついでであるが、他にも演奏連盟の会員で若い音楽家がコンサートを開くのに、金銭的援助をする、という制度もある。これは会員でもある方の篤志によるもので、こういう若い音楽家を応援できる窓口になれるのが日本演奏連盟の使命の一つでもある。少し心配なのは、若い会員が少し減って高齢化していること。「人の役に立てる」ことに喜びを感じ、そしていくらかの会費を払う余裕のある若い音楽家にぜひとも会員になっていただきたい、と切に願う次第である。
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facebookデビュー
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-03-19
齢80にしてのfacebookデビュー。まだ何もかもがよくわかっていないので、とりあえずお友達作り、なのであるが、もう私の年代の人たちは、滅多にこういうものはやっていない。当然私の息子、孫くらいの人たちが対象となる。でもこの年でなにか新しいことを始めるだけでもよしとしてください。でもまとまった文章を書くのはやはりブログに限るので、これは引き続き継続のつもりです。ただ更新の回数は減るかもわかりませんが、しばらくするうちに、落ち着くところへ落ち着くでしょう。
プライベート
klaviermusik-koba
2016-03-19T18:16:40+09:00
でもまとまった文章を書くのはやはりブログに限るので、これは引き続き継続のつもりです。ただ更新の回数は減るかもわかりませんが、しばらくするうちに、落ち着くところへ落ち着くでしょう。
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日本ショパン協会賞決定
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-03-17
日本ショパン協会の「昨年度に一番すぐれたショパンを演奏した若手の演奏家に贈られる「日本ショパン協会賞」が一昨日の理事会で決定したのでお知らせします。選考基準の大まかな内容は:(1)若手の演奏家であること(特に厳密に年齢が決まっているわけではない)(2)日本人のピアニストであること(3)ショパンのプログラムが演奏内容の重要な位置を占めていること(例えばいくらすぐれた演奏でもバラード一曲、などでは対象にならず、ショパンの演奏家として多方面の評価に耐えるだけの分量と内容があること)(4)基本的に国内で演奏されたものに限る等で、実際の演奏を聴かれた理事、もしくは協会指定の音楽評論家の推薦があること、などであるが、これだけではすべてを網羅できないので、第三者であっても日本ショパン協会の理事等を通じて推薦されたものも選考の対象となることもある。最終的に担当理事に提出された録音物等を聴いて理事会の論議を経て決まる。今年は実川實、中桐望、外山啓介、坂田知樹、魚谷絵奈の5名が最終的にノミネートされ、理事会の慎重な審議を経て、昨年オールショパンプログラムでリサイタルを開催した中桐望さんに決定した。中桐望さんはワルツOp.64、バラード3番、24の前奏曲、コンチェルト第二番(室内楽版)というプログラムで抜群の演奏を披露した、ということで、最終的にどの理事からも異論は出なかった。珍しいことである。ここ2年、該当者なし、の年が続いたので、今年も該当者なし、となったら困るなあ、と事務局長がやきもきしていた。たいてい、カンカンガクガクの議論が出てなかなか決まらないのが通例だが、今年はほぼ全員意義なしで決定したことは誠に喜ばしい。
日本ショパン協会
klaviermusik-koba
2016-03-17T17:38:04+09:00
(1)若手の演奏家であること(特に厳密に年齢が決まっているわけではない)
(2)日本人のピアニストであること
(3)ショパンのプログラムが演奏内容の重要な位置を占めていること(例えばいくらすぐれた演奏でもバラード一曲、などでは対象にならず、ショパンの演奏家として多方面の評価に耐えるだけの分量と内容があること)
(4)基本的に国内で演奏されたものに限る
等で、実際の演奏を聴かれた理事、もしくは協会指定の音楽評論家の推薦があること、などであるが、これだけではすべてを網羅できないので、第三者であっても日本ショパン協会の理事等を通じて推薦されたものも選考の対象となることもある。最終的に担当理事に提出された録音物等を聴いて理事会の論議を経て決まる。
今年は実川實、中桐望、外山啓介、坂田知樹、魚谷絵奈の5名が最終的にノミネートされ、理事会の慎重な審議を経て、昨年オールショパンプログラムでリサイタルを開催した中桐望さんに決定した。
中桐望さんはワルツOp.64、バラード3番、24の前奏曲、コンチェルト第二番(室内楽版)というプログラムで抜群の演奏を披露した、ということで、最終的にどの理事からも異論は出なかった。珍しいことである。ここ2年、該当者なし、の年が続いたので、今年も該当者なし、となったら困るなあ、と事務局長がやきもきしていた。たいてい、カンカンガクガクの議論が出てなかなか決まらないのが通例だが、今年はほぼ全員意義なしで決定したことは誠に喜ばしい。
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省庁の移転だけでなく皇居も
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-03-14
宮田東京芸術大学学長が文化庁長官に就任する、というニュースはすでに知られている。芸術に携わるものとしては大変いいことだと思っているが、意外と知られていないのが、これも政府の省庁移転の試みの一つであるということ。東京に政府の省庁すべてが集中しているのを、地方に分散し、東京一極化を軽減しようというものである。とりあえずは消費者庁が徳島に「一部」移転が決まったようである。IT時代、なにも東京にいなくともTVで会議はできるから、なるべく省庁を分散させて地方の活性化を図ろう、ということらしい。これに続くのが、文化庁で、候補地は京都である。どこに移転するかは、是非うちに、というふうに、希望を地方の自治体が手を上げさせるという方式で、文化庁が京都に一部ではあっても移転が実現するかもしれない。これは私感であるが、宮田先生の性格からすれば結構乗るかも、という予想である。ただ、である。この程度ではかなり及び腰の試みでいかにも思い切りが悪い 。いっそのこと、皇居も京都に移転してはどうか。もともと、京都に御所があったのを、明治政府ができたゴタゴタに紛れ、天皇を一時東京にお越しいただく、ということであったのが,(誤魔化してそうなったかどうかはともかく)いつの間にやらそのまま現代に至って定着していると聞く。もしそれが本当ならば、本来のお住まいであるはずの京都に御帰還いただく,というのはどうだろう。政府が本気で省庁移転を考えるならそのくらいにことをしないと実効はのぞめないのではないか。
音楽全般
klaviermusik-koba
2016-03-14T18:36:46+09:00
とりあえずは消費者庁が徳島に「一部」移転が決まったようである。IT時代、なにも東京にいなくともTVで会議はできるから、なるべく省庁を分散させて地方の活性化を図ろう、ということらしい。これに続くのが、文化庁で、候補地は京都である。どこに移転するかは、是非うちに、というふうに、希望を地方の自治体が手を上げさせるという方式で、文化庁が京都に一部ではあっても移転が実現するかもしれない。これは私感であるが、宮田先生の性格からすれば結構乗るかも、という予想である。
ただ、である。この程度ではかなり及び腰の試みでいかにも思い切りが悪い 。いっそのこと、皇居も京都に移転してはどうか。もともと、京都に御所があったのを、明治政府ができたゴタゴタに紛れ、天皇を一時東京にお越しいただく、ということであったのが,(誤魔化してそうなったかどうかはともかく)いつの間にやらそのまま現代に至って定着していると聞く。もしそれが本当ならば、本来のお住まいであるはずの京都に御帰還いただく,というのはどうだろう。政府が本気で省庁移転を考えるならそのくらいにことをしないと実効はのぞめないのではないか。
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ブログの威力
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-03-10
一人の主婦が書いたブログが国会で大問題になる、というほどの威力を発揮するのはすごいことだと思った。本音をそのままぶつけ、それが多くの人々の共感を呼んだからであろう。保育園落ちたのは私だ!と多くの人が名乗りを上げた。ブログの発信者が特定され、嫌がらせを受けないことを祈るばかりである。世論はゴマメの歯ぎしりに似て、政治権力に対して一見無力のようにみえるがじわじわと効いている、と感じたのは原発問題である。高浜原発の仮処分、つまりすぐに原発の運転を止めよ、という司法判断だが,賛成派反対派を問わずこれには驚いたであろう。世間的にはどうせ日本の司法判断など政府寄り,とみんなが思っていたからである。判決の一番のみどころは社会に対して,なぜ原発が安全になったかを納得させていないというのが最大理由だそうで、これが今後の原発訴訟の行方にかなりの影響を及ぼすであろう。原発再開論者の側に立つと、自分たちの思うような原発再開にはますます困難が伴う、と見えたであろう。ものごとに100%の確実はないのは原発事故で学んだとおり。それでもなおかつ、社会を納得させて原発を再開するには、途方もないコストと説明責任が避けて通れない、という認識がプレッシャーとなり、ブレーキの役を果たしているのはとてもいいことだと思っている。アメリカはすでに原発はコストが合わないから撤退傾向にある、と聞く。核のゴミ処理の問題は最終的に壁となって立ちはだかる。今、原油が安くなり、円高傾向だから、この際いっぱいオイルを買いだめておく、というアイデアはどう? でもここでも環境問題が立ちはだかる。やはり時間はかかるが再生可能エネルギーを利用する方向に行くのが地球を長持ちさせる最善の方向ではなかろうか。日本の自動車輸出攻勢に音を上げたアメリカが、当時の常識では絶対実現しそうもない高いハードルを課したが、日本はものの見事にクリアしてしまった例もある。不可能ということはあるまい。政府のやる気の次第で流れは変わる。小泉さんにももう少し頑張ってもらいたい。
政治
klaviermusik-koba
2016-03-10T09:15:36+09:00
世論はゴマメの歯ぎしりに似て、政治権力に対して一見無力のようにみえるがじわじわと効いている、と感じたのは原発問題である。高浜原発の仮処分、つまりすぐに原発の運転を止めよ、という司法判断だが,賛成派反対派を問わずこれには驚いたであろう。世間的にはどうせ日本の司法判断など政府寄り,とみんなが思っていたからである。判決の一番のみどころは社会に対して,なぜ原発が安全になったかを納得させていないというのが最大理由だそうで、これが今後の原発訴訟の行方にかなりの影響を及ぼすであろう。
原発再開論者の側に立つと、自分たちの思うような原発再開にはますます困難が伴う、と見えたであろう。ものごとに100%の確実はないのは原発事故で学んだとおり。それでもなおかつ、社会を納得させて原発を再開するには、途方もないコストと説明責任が避けて通れない、という認識がプレッシャーとなり、ブレーキの役を果たしているのはとてもいいことだと思っている。アメリカはすでに原発はコストが合わないから撤退傾向にある、と聞く。核のゴミ処理の問題は最終的に壁となって立ちはだかる。今、原油が安くなり、円高傾向だから、この際いっぱいオイルを買いだめておく、というアイデアはどう? でもここでも環境問題が立ちはだかる。やはり時間はかかるが再生可能エネルギーを利用する方向に行くのが地球を長持ちさせる最善の方向ではなかろうか。
日本の自動車輸出攻勢に音を上げたアメリカが、当時の常識では絶対実現しそうもない高いハードルを課したが、日本はものの見事にクリアしてしまった例もある。不可能ということはあるまい。政府のやる気の次第で流れは変わる。小泉さんにももう少し頑張ってもらいたい。
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ブログのトラブル(2)
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-03-08
専門用語がわからないから、急にURLを変更してください、と言われてあたふたしたようである。やっとURLなるものがどういうものかわかった気がするが、これは何の言葉の略号でどういう意味かが充分わからないとそこで私は挫折してしまう。昔からそうだった。数学の代数でxとかyとかaとかbとか、なぜその文字でなければならないか、dとかeではなぜダメなのか、先生はちゃんと説明してくれないものだから、そこで数学は挫折してしまい、一生数学、化学嫌いになったのだ。反面教師として学んだことは、専門分野に関して「基礎的なことを、分かり切ってると思っても、時間をかけて徹底的に教え込むこと」。自分が教える立場になってよく考えて見ると、自分でも実はよくわかっていない、ということは結構多い。ピアノ音楽に関して言えば、なぜこの音にアクセントが来なければならないか、という説明も、ただ楽譜にそう書いてあるから、では説明したことにならない。この場合、生徒は数学と違ってそこで挫折はしないが、音楽とは実に面白いもの、という認識をもたないで通り過ぎてしまう。ピアノ弾きのピアノ嫌いを生み出すもとは、私の数学嫌いになった過程と変わらない。深い問題がアクセント一つにも含まれていることを教師自身も深く知っていなければ生徒には伝わらない。ともあれ、息子と妻の協力でブログ再開にこぎつけることはできた。ただURL(何の略語でどう意味なんでしょうか)の変更があったことをklaviermusik koba時代にきちんと書き置くことができなかったので多くの方にご不便をおかけした。ブログは私の性にあっているみたいで、誰かに読まれようが、読まれなかろうが、自分の思いを綴る、というのは長年の習性となった。ツイッターのように短くてはいいたいことは言えないから、見開き1ページ、という長さがちょうどいい。ネットによれば URL: Uniform Resource Locationの略語( 統一資源位置指定子:日本語の方がもっとわからん なんのこっちゃ?)
プライベート
klaviermusik-koba
2016-03-08T09:12:51+09:00
反面教師として学んだことは、専門分野に関して「基礎的なことを、分かり切ってると思っても、時間をかけて徹底的に教え込むこと」。自分が教える立場になってよく考えて見ると、自分でも実はよくわかっていない、ということは結構多い。ピアノ音楽に関して言えば、なぜこの音にアクセントが来なければならないか、という説明も、ただ楽譜にそう書いてあるから、では説明したことにならない。この場合、生徒は数学と違ってそこで挫折はしないが、音楽とは実に面白いもの、という認識をもたないで通り過ぎてしまう。ピアノ弾きのピアノ嫌いを生み出すもとは、私の数学嫌いになった過程と変わらない。深い問題がアクセント一つにも含まれていることを教師自身も深く知っていなければ生徒には伝わらない。
ともあれ、息子と妻の協力でブログ再開にこぎつけることはできた。ただURL(何の略語でどう意味なんでしょうか)の変更があったことをklaviermusik koba時代にきちんと書き置くことができなかったので多くの方にご不便をおかけした。ブログは私の性にあっているみたいで、誰かに読まれようが、読まれなかろうが、自分の思いを綴る、というのは長年の習性となった。ツイッターのように短くてはいいたいことは言えないから、見開き1ページ、という長さがちょうどいい。
ネットによれば URL: Uniform Resource Locationの略語( 統一資源位置指定子:日本語の方がもっとわからん なんのこっちゃ?)
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ブログのトラブル
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-03-07
どういうわけか、URLが変わってしまって、外からアクセスできない状態になりました。修復に少々時間がかかりそうです。申しわけありません。どうやら知らないうちにURLが変わってしまったみたいです。http://rheingold.blog.so-net.ne.jpこれでアクセスできると思うのですが。。。ご覧いただいた方、何らかのレスお願いできるでしょうか。
プライベート
klaviermusik-koba
2016-03-07T14:53:05+09:00
どうやら知らないうちにURLが変わってしまったみたいです。
http://rheingold.blog.so-net.ne.jp
これでアクセスできると思うのですが。。。ご覧いただいた方、何らかのレスお願いできるでしょうか。
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救急医療、自分でどう対処できるか
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-02-29
心筋梗塞や脳梗塞など、急な病人が出たら救急車が来るまで自分でなにができるか、という講習会が、近くの区役所の出張所で開かれたので妻共々参加してきた。まあこの年だから、自分になにができるか、よりも人にやってもらう可能性の方がはるかに高い。それでもなお、行ってみる気になったのは、最近、身内でも心筋梗塞で倒れた、心臓の具合が少し、という例が起こるようになったので,人ごとでなくなって来たのである。内容は人が突然倒れた時の、観察のポイント、素人でもとっさの対処の仕方によっては、助かる確率がかなり高い。どうすればいいか、なにも知らないとただうろたえるだけだが、どういう手順で、救急車を呼び、その間に心肺蘇生に素人でもある程度、かかわれることがわかったのは収穫であった。人工呼吸の仕方、心肺蘇生術、最近どこにでも設置されるようになったAED(心臓に電気ショックを与えて元の機能に戻す装置、1500Vの電圧を瞬間的に人体に流す、これは電車並の電圧をかけることだから考え方によってはずいぶん怖い)の使い方はまず、一般の人はほとんど誰も知らないのではないか。これでは宝の持ち腐れである。ただこの機械が万能でないことも確かで、人間の手による心肺の蘇生術とあいまって、その役割の一端を果たすに過ぎない。目からウロコだったのは、一般によくTVなどでも見る、心臓を押してマッサージするのは、心臓のためもあるが、瞬時を争うのは脳死にならないためらしい。心臓はしばらく動かなくても蘇生するが、脳に血流がいかなくなると、その瞬間から脳死がはじまる。それを防ぐため人工的に血流を脳に送り込むのがその第一義的作業であるのだ。4時間にわたる講習と訓練の後にテストがあり、これに合格すると2級の証明書がもらえる。だいぶんわかった気になったのだが、問題はうちで実習、つまりさらって見ることができない、という点にある。健康な人には絶対にやって見ないでください、ときつく言い渡された。これでは一週間もすれば忘れてしまうではないか。それでもなおかつ、全くなにも知らないよりはマシかもね、と疲れたので終わってから近くの店でコーヒーを飲みながら語り合った次第。
プライベート
klaviermusik-koba
2016-02-29T20:49:11+09:00
内容は人が突然倒れた時の、観察のポイント、素人でもとっさの対処の仕方によっては、助かる確率がかなり高い。どうすればいいか、なにも知らないとただうろたえるだけだが、どういう手順で、救急車を呼び、その間に心肺蘇生に素人でもある程度、かかわれることがわかったのは収穫であった。人工呼吸の仕方、心肺蘇生術、最近どこにでも設置されるようになったAED(心臓に電気ショックを与えて元の機能に戻す装置、1500Vの電圧を瞬間的に人体に流す、これは電車並の電圧をかけることだから考え方によってはずいぶん怖い)の使い方はまず、一般の人はほとんど誰も知らないのではないか。これでは宝の持ち腐れである。ただこの機械が万能でないことも確かで、人間の手による心肺の蘇生術とあいまって、その役割の一端を果たすに過ぎない。
目からウロコだったのは、一般によくTVなどでも見る、心臓を押してマッサージするのは、心臓のためもあるが、瞬時を争うのは脳死にならないためらしい。心臓はしばらく動かなくても蘇生するが、脳に血流がいかなくなると、その瞬間から脳死がはじまる。それを防ぐため人工的に血流を脳に送り込むのがその第一義的作業であるのだ。
4時間にわたる講習と訓練の後にテストがあり、これに合格すると2級の証明書がもらえる。だいぶんわかった気になったのだが、問題はうちで実習、つまりさらって見ることができない、という点にある。健康な人には絶対にやって見ないでください、ときつく言い渡された。これでは一週間もすれば忘れてしまうではないか。それでもなおかつ、全くなにも知らないよりはマシかもね、と疲れたので終わってから近くの店でコーヒーを飲みながら語り合った次第。
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ブゾーニのオペラ「アルレッキーノ」
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-02-25
フェルッチョ・ブゾーニといえば、ピアニストはまず幾つかのバッハのピアノ編曲をイメージするであろう。そして、次に19世紀から20世紀初頭にかけての歴史的な大ピアニスト。まあそんなところではなかろうか。そこから先、彼のピアノのオリジナル作品を知っている人は稀であろうし、さらに彼がオペラを書いた、ということはもっと知られていないであろう。私の、かつて芸大時代の生徒であった、松川儒君が彼の勤め先である玉川学園のイベントのなかでブゾーニの「アルレッキーノ」を指揮するから見に来て欲しい、という招待を受け取った。普通のピアノリサイタルよりはこれは面白そう、と妻を誘って行くことにした。実はブゾーニのピアノ作品は、当時として非常に演奏が難しく、かつ内容急進的で難解なのでいまもほとんど演奏されない。ことオペラ、となるとどんなものなのか興味をそそられたのである。玉川学園は演劇系が有名で、演出家も役者も揃っていて、ブゾーニの音楽もそう難解ではなく、楽しめた。ブゾーニはイタリアオペラが大嫌いで、自分でオペラを作ってしまったのだ。 私の教え子たち、特に男の子たちは卒業してからほぼ全員なにかしらモノになっている。彼もその一人で、私もオペラの指揮なら面白そうだからやって見たい、とかねがね思っていたがこの希望は果たせなかったが、生徒がそれを実現した。それも誰でもやる通常のオペラではなく、こんなほとんど知られていないものに挑戦したことがすばらしい。松川君によればこれは演奏がすごく難しいのだそうだ。まあそれは想像がつく。だが内容は女たらしのドタバタ劇でブゾーニの謹厳なイメージ、それもイタリアオペラ嫌いの人の作品とは想像しにくい。ピアニストから、生徒にいいピアニストやピアノの教師が教育の結果生ま れるのは別に珍しくもなんともない。当たり前だからだ。私の教え方がどこまで影響したのか、しなかったのかは検証のしようがないが、ともかくこういう異色のユニークな人たちが育っているのは喜ばしいことと思っている。
音楽全般
klaviermusik-koba
2016-02-25T12:17:45+09:00
私の、かつて芸大時代の生徒であった、松川儒君が彼の勤め先である玉川学園のイベントのなかでブゾーニの「アルレッキーノ」を指揮するから見に来て欲しい、という招待を受け取った。普通のピアノリサイタルよりはこれは面白そう、と妻を誘って行くことにした。
実はブゾーニのピアノ作品は、当時として非常に演奏が難しく、かつ内容急進的で難解なのでいまもほとんど演奏されない。ことオペラ、となるとどんなものなのか興味をそそられたのである。玉川学園は演劇系が有名で、演出家も役者も揃っていて、ブゾーニの音楽もそう難解ではなく、楽しめた。ブゾーニはイタリアオペラが大嫌いで、自分でオペラを作ってしまったのだ。
私の教え子たち、特に男の子たちは卒業してからほぼ全員なにかしらモノになっている。彼もその一人で、私もオペラの指揮なら面白そうだからやって見たい、とかねがね思っていたがこの希望は果たせなかったが、生徒がそれを実現した。それも誰でもやる通常のオペラではなく、こんなほとんど知られていないものに挑戦したことがすばらしい。松川君によればこれは演奏がすごく難しいのだそうだ。まあそれは想像がつく。だが内容は女たらしのドタバタ劇でブゾーニの謹厳なイメージ、それもイタリアオペラ嫌いの人の作品とは想像しにくい。
ピアニストから、生徒にいいピアニストやピアノの教師が教育の結果生ま れるのは別に珍しくもなんともない。当たり前だからだ。私の教え方がどこまで影響したのか、しなかったのかは検証のしようがないが、ともかくこういう異色のユニークな人たちが育っているのは喜ばしいことと思っている。
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東宮御所2016
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-02-23
しばらく皇太子殿下のお誕生日の日に拝謁に所用が重なって伺えない年が続いた。東宮御所,何年ぶりかである。東京の街はしばらく行かないとすっかり様変わりしてしまうが,ここだけは50年以上,私の知る限り変わっていない。殿下も56才になられた。浩宮様の時代,つまり中学生の時代からであるから,ずいぶん年月が経ってしまったのを実感する。殿下はいつもとお変わりないご様子である。学習院関係の方々が大部分を占めるみたいで、旧知の音楽関係者は年とともに亡くなられたりしてすっかり寂しくなった。来賓出席者の人数は数えたことはないが、いつも関係者は7,80人くらいであろうか。会見の時間は40分くらいなので全員がゆっくり話ができる状態ではない。式次第は特に決まりはなく、通例、誰かが代表で殿下にお祝いの言葉を述べ、そのあと乾杯、時間の許す限り歓談される、というごく簡素なもの。私はとりあえず、アリバイ作り(?)だけで自分からしゃしゃりでることもしないので、直接ご挨拶をする時間を逃してしまうこともあるし、まあそれでもいいと思っている。今日は殿下にビオラをご進講しているUさん、彼も鉄道マニアなのであるが、模型鉄道の話につい夢中になっているうち、会見時間終了となった。殿下が退席される際、ちょうど私のそばを通られるのをうっかりしていたら、「ーー先生、今日はありがとうございます」と逆に後ろから声をかけられ、慌てて「あ、殿下、お誕生日おめでとうございます」と申し上げるのがやっとであった。なんともサマにならない一幕。こんな場面ではやはり鉄道談義などにうつつを抜かしていてはいけないのだ。わたしはいつもこういう改まった席でなにかヘマをやらかしてしまう悪いくせがある。
プライベート
klaviermusik-koba
2016-02-23T20:50:07+09:00
来賓出席者の人数は数えたことはないが、いつも関係者は7,80人くらいであろうか。会見の時間は40分くらいなので全員がゆっくり話ができる状態ではない。式次第は特に決まりはなく、通例、誰かが代表で殿下にお祝いの言葉を述べ、そのあと乾杯、時間の許す限り歓談される、というごく簡素なもの。私はとりあえず、アリバイ作り(?)だけで自分からしゃしゃりでることもしないので、直接ご挨拶をする時間を逃してしまうこともあるし、まあそれでもいいと思っている。今日は殿下にビオラをご進講しているUさん、彼も鉄道マニアなのであるが、模型鉄道の話につい夢中になっているうち、会見時間終了となった。殿下が退席される際、ちょうど私のそばを通られるのをうっかりしていたら、「ーー先生、今日はありがとうございます」と逆に後ろから声をかけられ、慌てて「あ、殿下、お誕生日おめでとうございます」と申し上げるのがやっとであった。なんともサマにならない一幕。
こんな場面ではやはり鉄道談義などにうつつを抜かしていてはいけないのだ。わたしはいつもこういう改まった席でなにかヘマをやらかしてしまう悪いくせがある。
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南西諸島のお土産
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-02-19-2
私はだいたい旅行のお土産はまず買わない。でも今回は違った。竹富島の海岸で拾った石。といってもこれは竹富島の海岸に打ち上げられた珊瑚礁のちいさいかたまり。こんなものが美しい島に無数に打ち上げられている。適当なものをいくつか拾って持ち帰った。綺麗に洗えば箸置きに適当なグッズになる。一つ一つが違った面白い形をしており、これ以上のお土産はない。金を払わなくてもいいお土産はいくらでも見つかる。美しい貝を細工してペンダントにしたもの、これは妻がお土産に買った。南の島には惚れ惚れするような美しい貝殻が無数にあり、昔は貴重品で、貝殻の美しい装飾品の多くが山口県の西海岸の弥生遺跡で見つかるそうである。ゴホウウラ、イモガイなど山口県沖では採れないもので、その故郷をたどると沖縄にゆきつく。これは、山口と南西諸島や沖縄と密接な交易があったことを物語る。立派な船や飛行機もなかった時代のこと。いったいいく日かかり、どれだけ多くの人が海難事故を物ともせず往き来をしていたのだろうか。「名も知らぬ 遠き島より流れよる ヤシの実ひとつ」
旅行
klaviermusik-koba
2016-02-19T13:34:14+09:00
私はだいたい旅行のお土産はまず買わない。でも今回は違った。竹富島の海岸で拾った石。といってもこれは竹富島の海岸に打ち上げられた珊瑚礁のちいさいかたまり。こんなものが美しい島に無数に打ち上げられている。適当なものをいくつか拾って持ち帰った。綺麗に洗えば箸置きに適当なグッズになる。一つ一つが違った面白い形をしており、これ以上のお土産はない。金を払わなくてもいいお土産はいくらでも見つかる。
美しい貝を細工してペンダントにしたもの、これは妻がお土産に買った。南の島には惚れ惚れするような美しい貝殻が無数にあり、昔は貴重品で、貝殻の美しい装飾品の多くが山口県の西海岸の弥生遺跡で見つかるそうである。ゴホウウラ、イモガイなど山口県沖では採れないもので、その故郷をたどると沖縄にゆきつく。これは、山口と南西諸島や沖縄と密接な交易があったことを物語る。立派な船や飛行機もなかった時代のこと。いったいいく日かかり、どれだけ多くの人が海難事故を物ともせず往き来をしていたのだろうか。
「名も知らぬ 遠き島より流れよる ヤシの実ひとつ」
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南西諸島のツアー(4)
https://rheingold.blog.ss-blog.jp/2016-02-19-1
最終日午前中、残りの3島、伊良部島、下地島、車間島の3島をバスでめぐる。下地島には、島全長より長いと思われる3000メートル級の滑走路があるが、今は使われていない。もったいない話だが、3000メートルといえば優に大型旅客機が発着できる長さであり、ちなみに羽田空港のA滑走路がこれに匹敵する。これができた時はまだ宮古島と橋でつながっていなかったので、連絡船が必要であったが、連絡船だと宮古島の中心部まで30分くらいはかかりそうな距離。宮古島に立派な空港が出来たため文字通りの無用の長物となった。なぜ国はこんな金の無駄遣いをするのか気が知れない。そういえば、現在辺野古移転で問題になっている米軍基地をここ下地島に移転させたら、というアイデアも一時出たが沙汰止みになった。なんと言っても下地島、それに隣の伊良部島を含めても基地にするにはどう見てもあまりに狭く、不向きである。今は民間航空機のパイロット養成のためのタッチアンドゴーの訓練がたまに行われる程度、という。午後遅い便で、那覇経由で19時羽田着。今度のツアーのメンバーはだいたいが70、80代の夫婦連れで、みな温厚ないい人たちばかり。それぞれ豊かな人生を過ごしてきた方たちなのであろう、とお見受けした。お互い余計な会話はしないが必要に応じてとる会話、物腰、それは好意が十分伝わるもので、こういうツアーなら少々値段は張るが悪くない、というのが全体通じての感想。
旅行
klaviermusik-koba
2016-02-19T11:09:16+09:00
午前中、残りの3島、伊良部島、下地島、車間島の3島をバスでめぐる。下地島には、島全長より長いと思われる3000メートル級の滑走路があるが、今は使われていない。もったいない話だが、3000メートルといえば優に大型旅客機が発着できる長さであり、ちなみに羽田空港のA滑走路がこれに匹敵する。これができた時はまだ宮古島と橋でつながっていなかったので、連絡船が必要であったが、連絡船だと宮古島の中心部まで30分くらいはかかりそうな距離。宮古島に立派な空港が出来たため文字通りの無用の長物となった。なぜ国はこんな金の無駄遣いをするのか気が知れない。
そういえば、現在辺野古移転で問題になっている米軍基地をここ下地島に移転させたら、というアイデアも一時出たが沙汰止みになった。なんと言っても下地島、それに隣の伊良部島を含めても基地にするにはどう見てもあまりに狭く、不向きである。今は民間航空機のパイロット養成のためのタッチアンドゴーの訓練がたまに行われる程度、という。
午後遅い便で、那覇経由で19時羽田着。
今度のツアーのメンバーはだいたいが70、80代の夫婦連れで、みな温厚ないい人たちばかり。それぞれ豊かな人生を過ごしてきた方たちなのであろう、とお見受けした。お互い余計な会話はしないが必要に応じてとる会話、物腰、それは好意が十分伝わるもので、こういうツアーなら少々値段は張るが悪くない、というのが全体通じての感想。
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