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ベルガマスク組曲 [ピアノ音楽]

 ピアノ音楽に興味のある人なら、ご存じ、ドビュッシーのピアノ組曲「ベルガマスク組曲」である。ただ、曲が有名なわりに、ベルガマスクとはなにか、を明快に説明できる人はあまりいまい。私にしてからがそうなのだ。ピアノの先生はいったいどう生徒たちに説明しているのだろうか。
 原語「Suite Bergamasque」は正しくはベルガモ風組曲、とでもいうべきだろうが、ベルガモという土地は、イタリアの北部、ミラノの近くにある。この土地風の舞曲にしてはメヌエット、パスピエ、などいずれもとくにこの土地でなくてはならない、というほどのこともない。

 私もよくは知らないが、これは意外と奥が深そうなのだ。トルコのエーゲ海沿いにもベルガマ、という土地があり、これは有名なペルガモン遺跡のすぐそばにあるから、これはBとPがなまったもので語源は多分同じであろう。ペルガモン遺跡のほとんど重要な部分はベルリンに持ち去られ、旧東ベルリンにあるペルガモン博物館として有名である。これは私の想像に過ぎないが、ローマ帝国最盛期にイタリアのベルガモから移住したローマ人がトルコの西海岸に住み着いてやはり故郷のベルガマという名を与えたのではなかろうか。というのも、ベルガマというのはあまりトルコ風の名前ではないからだ。あのあたりを実際車で移動してみると、なんとかキョイ、というようなトルコ風地名に混じってベルガマという地名はかなり違和感をおぼえる。たとえとして適当かどうか分からないが、日本でいえば広島から北海道に開拓移住した人たちが「北広島」という地名を名づけたように。

 私は東ベルリンのペルガモン博物館を最初に訪れ、そのずっと後になって、現在のトルコ領にある「本家」ペルガモン遺跡を訪れた。当然ペルガモン遺跡のそばには発掘されたものを展示した博物館もあるが、ベルリンの壮大な博物館を見たあとでは、やはりいかにも「いいものは全部持って行かれたな」という感想しか持てない。ベルリンの博物館はあとで見るべきだったのだ。ドビュッシーの名付けたタイトルの地名は彼自身実際いったわけでもないことが多いから、想像上の地名として、彼の音楽の着想のきっかけになったのに過ぎないのであろう。そうしてみると、この曲名を生徒にうまく説明できないのも仕方がないか、とも思う。
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コメント 2

ソラリス

素晴らしい推理です。ご想像通りかも知れませんね。イタリアのベルガモ出身のローマ人がトルコにまでベルガモ(トルコではベルガマ?)と名付けたのかも…ローマ帝国最盛期なら(善くも悪くも)何でもアリで、そんな事もありそうです。
「ベルガマスク組曲」は有名なのに、「ベルガマスク」の何たるかを知る人は少ないでしょうね。
私も「ベルガモ地方の舞曲」とは聞いていましたが「ベルガモって何処?」と疑問でしたが、このブログで勉強させて頂いたばかりです。ルーツをたどると奥深く面白いですね。 ♪ドビュッシーがベルガモに行った事がないとは意外ですが、自分の「ベルガモ像」があったんですね。

by ソラリス (2009-07-29 16:57) 

klaviermusik-koba

私は学者ではありませんから、どこまで正しいかは保証の限りではありません。自分で調べられ、自分の経験でわかる範囲でしかかけませんので、八割方程度は正しかろう、くらいの認識でお読み頂ければ、と思います。

それにしてもふだん何気なく接しているものを、一度少し深く考えてみる、ということは必要なこと、自戒しています。
by klaviermusik-koba (2009-07-30 09:23) 

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