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マズルカ(あるコンサートへのプログラムノート) [ピアノ音楽]

         
           ショパン深奥の魂、マズルカ

                                   

 マズルカ、という3拍子の舞曲はポーランドのマゾフシェ地方に起源を発する、といわれていますが、19世紀前半にはすでにヨーロッパ各地に広く知られていました。そのため、フンメル、シューマン、ドヴォルジャーク、チャイコフスキーその他多くの作曲家もマズルカを書いていますが、いずれも1、2曲から数曲程度でショパンのように若い修行時代から死の直前まで60曲も書き続けた作曲家はほかに例がありません。ショパンは日常生活では自分の本当の気持ちを他人にさらけだす、ということのあまりない、慎み深い性格でしたが、ショパンの本当のこころの声をきけるのはマズルカをおいてほかにない、といわれています。

 ショパンはあるとき「自分のピアノはマズルカしか語らない」といったということが伝えられていますが、ある意味その通りだと思います。3拍子の舞曲にはメヌエット、ワルツ、ボレロ、ポロネーズなどというようにたくさんありますが、中でもマズルカはリズムの重心(アクセントといってもいいかもしれません)が2拍目、3拍目(さらに私の考えでは1拍目さえも)と微妙に揺れ動く特殊な舞曲です。そのため、これを会得するのはなかなか外国人にとっては容易ではありませんが、いったん理解できると、これほど直裁にショパンが自分を語ってくれる音楽はほかにありません。

 そのいう性格の曲ですから、民族色が全面につよく出ているのはもちろんですが、ただ、ポーランド、ハンガリー,トランシルヴァニア地方までも含めて、どこでもそうであるように素朴な民謡というものはもともと、楽譜などに書かれないので、それを正確に写し取ろうとすると、複雑な変拍子になってしまいます。それをやったのがのちのバルトークですが、ショパンがマズルカにこだわったのは4小節構造というヨーロッパ古典の基本様式にのっとりながらも自分がポーランド人である,というアイデンティティとをうまくマッチできる、いいかえれば、基本的に古典指向の作曲家であるショパンが自分の美学に合う民族音楽の要素だけを選び出してとりいれた、と私は考えています。そしてそれがほかに類を見ないような形で、崇高な芸術的作品にまで昇華させた音楽であるといえるでしょう。

こういったマズルカですが、約60曲全部がどれもよく演奏されるわけではなく,ごく一部に片寄っています。今夜は主にあまり演奏されないものに光を当てながら、15歳から最後の作品番号にいたるまでの、ショパンの生涯をマズルカでたどりたいと思います。
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