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E型蒸気機関車は日本でなぜ失敗したか [鉄道全般]

日本で作られたただ一つのE 型蒸機、E10は成功しなかった。それ以前にも輸入されたE型機もあった。真ん中の動輪をフランジレスにしたにもかかわらず、軌道を痛める、というのがその主な理由だったようです。
でもヨーロッパの貨物列車用はたいがいE型であり、それもほとんど1−Eの軸配置で、その代表格のドイツで作られた52型などは近隣諸国、フランス、ベルギー、デンマークなどはもとより、ロシアでもたくさん使われた。E型である理由は簡単で、動輪一対あたりの軸重が軽く、レールの条件が悪いところでも軌道を痛めなかったからです。ヴュルテンベルクではF型さえ作られたようです(さすがにこれは成功とは言い難かったが)。マレー型も日本では作られていないし、4シリンダーのものも作られていない。何にでも最新技術に挑戦する日本の技術陣が、こと蒸機に関して日本はどうしてこう保守的だったのでしょうか。

E型は狭軌で、しかも急カーブがおおくても大丈夫なのは、いまだにドイツのハルツ山岳鉄道で現役で頑張っているのもみても、多くの利点があるのに違いないとおもうのですが。わたしは蒸機に関しては詳しくないのでそのへんの事情をご存じの方はお教え頂ければ有り難いです。


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コメント 2

Akira

確かにE10は短命だったと聞いています。どうしてなのかはわかりません。書かれているように狭軌+急カーブというのが理由の一つかも知れませんね。そう言えば、ドイツのマイバッハ社製エンジンを積んだ電気式ディーゼル機関車も短命に終わりましたね。あとスイスから輸入された電気機関車なども保守が大変だったと聞いています。とは言え、日本の技術が今では欧州より上だと言っても過言ではないのに、何故でしょうか?
私もドイツの会社と今頻繁にやりとりをしていますが、これら問題にはメンタルの違いから来るコミュニケーション不足が遠因になっているような気がします。
 このE10は純国産だったのでしょうが、おそらくドイツで使われていたE形蒸気機関車は設計上参考になっていることは間違いないでしょう。4シリンダの蒸気機関車もシリンダの同期の問題などデリケートな機構を精度高く設計し問題なく動かすために必要な保守方法などのノウハウが当時の日本にはなかったのかも知れません。日本が世界に誇れる技術を持つようになったのは、様々な制約が無くなった新幹線からなのかも知れませんね。
 今日近くの駅で見かけた全検直後と見られる国鉄時代からの青/クリーム特急塗装の綺麗な姿のEF65 1000番台を見て、そういえばこの機関車の塗装もドイツのStahlblauのF-Zug塗装の影響があって、かの地では保存車輌以外は無くなっているのに、ここでは生き続けているのだなぁと思わず感慨に浸りました。
by Akira (2006-09-05 20:44) 

klaviermusik-koba

E型の機関車はメルクリンも当初苦労したらしく,1865年製の44型はロッドが5軸とも別部品になっており,コレクターも機関車側にあって,短いのが2本もあります。あの当時は逆転機に相当スペースをとられたから、モーターはキャブから少しはみ出し気味です。でもあの当時すでに自動開放機が着いていて,これには感激したものです。

ドイツの塗装の影響と言えば近鉄のアーバンライナーはいまはなきLufthansa-expressを乗るたびに思い起こさせます。Lufthansaよりはこちらの方が遥かに長命ですが。
by klaviermusik-koba (2006-09-06 13:47) 

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