のだめカンタービレ(その2) [ピアノ音楽]
どうやら洗足学園でも二ノ宮さんが取材をするようだ、ということを掲示板で知った。私が教えている学生の名前まで出ているので、ちょった気になったのだ。
ところで、夏のインタービュー以来気になっていたことがあった。企業秘密をばらしてはいかん、ということで家族の反対にあってボツになったのだが、以下の話はそれにも抵触しないだろう。
少し専門的な話にわたるので興味のない方は読まないでください。バッハのチェンバロコンチェルトd-moll第2楽章の最後、73小節目の二つ目の右手がAが正しいかAsが正しいか、ということで、取材者そっちのけで作曲家のO君とちょっとした議論になった。彼はAが正しい、といい、私はAs がいい、という内容である。
学問的、論理的に云うとO君の説が全く正しく、新バッハ協会版と、それに基づく楽譜はすべてそうなっている。私はそのとき準備不足もあって出典を思い出せなかったのだが、Asは旧バッハ協会版とそれに基づくものだ。ただ全く個人的にわたしが古い資料であるAsにこだわるのは私なりの理由がある。確かにAsの直後に、第一ヴァイオリンのAナチュラルをきくのは不愉快だ。
この2小節にわたる上昇する気味の悪い音型は、受難曲その他で明らかなように、楽園を追放されたアダムとイヴ、彼らに知恵のリンゴを食べるようそそのかしたヘビを象徴している。人間の持つ原罪を象徴する音型である。ここでは理論的に正しくないAsの音を弾くと、ヴァイオリンとぶつかり、もともと気持ちの悪い音型は、さらに気持ちの悪い響きになるのだが、私のこだわりは実はそこにある。ただこれを学生や人に勧めるつもりはない。わたし個人はだれが何といおうとやはりAsを弾く理由である。
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