チェルニー版(バッハ)の再評価 [ピアノ音楽]
バッハのピアノ曲でチェルニー校訂の楽譜というのは今や専門家からは蛇蝎のごとく嫌われ、世界最悪の楽譜の折り紙がつけられている。実際私もURTEXT至上主義で育った。これには、それなりの理由があり、基本的には正しい。実際おもに教育の現場で使われる、インベンションや平均率クラヴィア曲集のような、学生に使われるものとしては確かにチェルニー版あまり感心は出来ない。だめだ、といわれる原因はおもに二つある。
(1)チェルニーの使用したベースとなる楽譜の資料が古すぎること。
(2)チェルニーの勝手な書き込み、速度、スラー、ダイナミクスなどが多すぎる。
私がここで考えるのは、当時もっとも高度な知性を持ったピアノ教育者であったチェルニーがなぜあんな煩雑とも言える問題の多い書き込みをしたか、である。多分チェルニーは自分の生徒たちを教える上で、いつもみんなの生徒に同じ注意をしなければならないのがいやさに、その面倒を回避しようとしてあのような多くの書き込みを行ったのだろう。それが、個人的レベルで使われている間はまだしも、チェルニーという当時あまりにも高名なピアノ教師の校訂した楽譜だったが故に(何しろベートーヴェンの弟子であり、リストの先生だったのだから)後世に広く信用を勝ち得ることになったのだと思う。
しかし、である。私が現在使っている「フーガの技法」はチェルニー校訂のものだが、この曲は知られているようにもともとピアノ曲ではないから、これをピアノで演奏するのは不可能といわないまでも、大変困難である。そのため、チェルニーはごく少数の専門家だけのためにこの校訂を行ったのであろう。その証拠に「平均率」などに比べると書き込みは遙かに少ない。最初はあの凝り性のチェルニーが無精を決め込んだのではないか、と思ったくらいである。
でも3重フーガのような複雑なものになると、ところどころに書き込まれているアクセント記号などは、ピアノで演奏することの実用性を的確に表現してあるのに感心することが多い。もちろん私が承服しかねる速度記号やダイナミクスなどははじめから無視すればいい。テキストの信憑性もベーレンライターの4段譜でチェックすればそれですむ。
今日はここまで。以下,いずれまた項を改めて考えます。
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