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曲の解釈に作曲家の助力は必要か [ピアノ音楽]

私たち演奏に携わるものは、誰でも1度は思ったことがあるはずだ。楽譜でどうしても納得のいかないところがあって、ベートーヴェンなりショパンなりが生きていて実際質問できたら、作曲家はどう答えてくれるだろうか、と。

これについて私は最近面白いヒントを得た。
サイデンステッカー氏といえば「源氏物語」を英訳した文学者としてつとに知られているが、理解の難しいところについて、「紫式部に実際会って聞くことが出来たらどんないいいだろう」と嘆いたそうだが、一方、当時まだ生存していた川端康成に会って、やはり理解の難しいところについてたずねたそうだ。 ところが川端氏からは「うーん、そうですね」という答えが返って来ただけだった。そこでサイデンステッカー氏は「これは聞くだけムダ」と悟った。

楽曲の解釈についてもこれ以上の良い答えはないのではないか。サイデンステッカー氏と比べるのはあまりにもレベルが違いすぎるから、同じようには行かないだろうが、基本的には演奏家本人が出来るだけの資料にあたり、その作曲家についての知識を深めた上で、自分で結論を出すしかないのだ。そしてその責任は演奏する自分がとらなくてはならない。とかく日本人は「どういう偉い音楽家がこういったから」という権威に頼りたがる。これは厳に慎まなければならない、と私は考えている。自分の頭で考え、研究する事を放棄してはならない。「偉い音楽家」の言葉に頼りたがるのは自分の頭で考えることを放棄することと言ってよい。


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