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皇室専用車 [鉄道一般]

 E655を体験して,ほんとうに時代は変わった,とつくづく思う。1号編成,といわれる5両のお召し専用列車を初めて見たのは小学4年生の時。戦争まっただ中の時であった。当時は昭和天皇は現人神であったから,天皇陛下が関西線をお通りになる,というだけで,授業は休みになり,1時間も前から,生徒たちは関西線河原田駅の場内信号と,遠方信号の中間地点に整列して,列車の通過を待機していた。お召し列車が通過するときは全員最敬礼して,決して顔を上げてはいけない,と担当教師からかたく申し渡された。

 が,小学生といえどもそこは鉄道マニアである。三重県の片田舎に住む小学生にとってこんな千載一遇のチャンスはない,あたまは下げるフリはしたが,目だけは細大漏らさず観察しよう,と待ち構えていた。予定の10分くらい前に,露払いのC11が単機でまず通過した。やがて本列車は日章旗を掲げ、ピカピカに磨きあげられたC51を先頭に5両編成が姿を現した。3両目の御料車は菊の御紋章とともに,うまれて初めて見る3軸台車をはき,さすがに重厚感がある。それ以外の手荷物車をふくめた4両は通常のボギーだったと記憶している。それと客車にはナンバーも,当時どの客車にも書かれていたOO検車区の標記もなかったのが印象的だった。そのときのことはわたしは日記に書き残しているが,『たかが天皇陛下一人が旅行するのになぜ5両もの客車が必要なのか」とある。当時人の目に触れたら不敬罪でただでは済まなかっただろう。

 しかしこの小学生の直感は,戦後,当たり前のこととなり,東北新幹線ができる前でも、那須のご用邸に行かれる場合でも通常の準急『日光号」の電車の先頭に菊の御紋章入りの「クロ」1両があればそれで済むことが分かった。いまや皇族も新幹線や飛行機で旅行される時代だから,このE655の1号車もはたしてどれだけ使われることがあるのだろうか。まあこれがムダに終わっても,655のイベント列車は今後も隆盛を極めるであろうから,心配にはおよばないのかもしれない。
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