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コンスタンチノープル [旅行]

  現在のトルコ領、イスタンブール。いわずと知れた東ローマ帝国の首都で1100年も世界の中心であり続けた。エドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」は200年も前に書かれた古典だが、最近また読み直している。昔、ひととおり読んだはずだが、その後、私は実際コンスタンチノープル(イスタンブール)を訪れ、つぶさに見て歩いたので、もう一度この書物を読み直すと、地名や距離感が実際につかめているのでなおさら興味深い。それに、現地を訪れると書物や映像では得られない「空気のにおい」「大地の感触」「距離感」「実物の大きさ」などを実感することになるが、この感覚は旅行好きの人は誰でも知っているから、いくら映像が発達してもやはり自分で現地を実感しなければ分からないからこそ、わざわざ遠くまで出かけるのである。

 鉄道マニアとしていえば、19世紀末には運行されていた有名なパリーイスタンブール間の「オリエント・エクスプレス」の終着駅であり、西欧のひとたちが心のふるさとのように思っているのがこの地であるからこそ、このように非常に早い時期から超長距離の直通列車も運転されたのである。「コンスタンチノープル」という地名が消滅した現在でも、例えばアテネ空港に立つといまでも「コンスタンチノープル行き」という案内表示板に見られるとおり、いかにギリシャ人の思い入れが深いかが分かる。もともとここは古代ギリシャ全盛時代の植民都市のひとつだった。

 コンスタンチノープルがイスラム人の手に落ちて以来、すでに600年が経過しているが、今でもこの地の95パーセントはイスラム教徒である。黒海から地中海へ抜ける要衝の地であり、気候も温暖だから首都としては理想的な環境にある。西ローマ帝国が滅亡しても、1453年に陥落するまで幾度となく蛮族やイスラムの包囲を受けてもコンスタンチノープルは容易に陥落しなかった。それに加えて陸側に建造された「テオドシウスの城壁」。これはもう、あきれるほどの大きさ、頑丈さで現在残っている遺跡からも容易に察せられる。一方、この世界中の富と文化のぎっしりつまった都市を虎視眈々とねらったイスラム側もその攻略に、現代では考えられないほどの莫大な人的、物質的損害もものともせず、何世紀にもわたって執念を燃やし続けたのだ。

 ギボンの著述は、コンスタンチノープルの陥落前後の描写はとくにさえわたる。現在では史実に多少問題もおおいようだが、それでもなおこの書物の価値は薄れていない。塩野七生の「コンスタンチノープル陥落記」にしても、この書がなければ生まれ得なかっただろう。

 私は比較的若い頃から、西洋音楽の歴史に端を発して、地中海沿岸諸国を時間と金の許す限りあちこち見て歩いた。そして、年老いてきた今、元気なときに旅をしておいたのは本当によかったと思っている。旅行など、金とひまさえあればいつでもいける世の中だが、若い人たちにはこういう恵まれた時期だからこそ、なるべく世の中を広くみるよう勧めている。そうすれば、あとで改めて本を読んでも現地を実際見ているのと、そうでないのとは臨場感が決定的にちがう、ということをあらためて強調したい。世界的規模で見ればこんなに自由に旅行できる環境にある国はそう多くない。この頃外国にあまり興味を持たない若者が増えたときく。心配である。
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