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エストニア [旅行]

 今朝の新聞にエストニアの特集がでていた。エストニアってどこ? 首府は何という町? といわれる方が大部分であろう。新聞の記事の内容はエストニアの自国通貨をやめてユーロにすることを決めた、というのがおおよその趣旨である。今、民族の誇りである自国通貨をやめてユーロに乗り換えるのは、昨今のユーロ状況をみれば、タイタニック号の最後の乗客になるかも知れないではないか、という皮肉な論評が面白いと思った。

 エストニアはバルト3国の一つで、首府はターリン。面積は北海道の約2/3、人口は130万というミニ国家である。ドイツ製の地図を見ていて、はっと思ったのだが、バルト3国のうち、一番東にあるからEST 、つまり「東の国」エスト,ニアなのではないのだろうか。私は30代のおわり頃、コンサート・ツアで2度ほどこの国を訪れたことがある。また、拙宅のログハウスは北欧製だが、ここ、ターリンの港から列車に積み込まれてシベリア鉄道経由で長野県まで運ばれた。それやこれやで、私とまったく無縁の国ではない。

 ソ連時代は社会主義国家に組み込まれていたが、ここではロシア語は通じず、ロシア文字を見ることもなかった。通訳でついてくれたロシア人も言葉がよくわからず、ロシア語のわかる現地の人を通じての話になるのでとんちんかんなことが多い。レストランで食事を頼むにも、英語ーロシア語ーエストニア語ーロシア語ー英語、というやりとりを介して注文をするから、日本人である私がイメージする「オムレツ」が、実際にテーブルに運ばれる段になると、まったくわけの分からない代物にかわっていることが多い。

 鉄道マニアという観点から行くと、当時モスクワやレニングラード(今のサンクト・ペテルスブルグ)からターリンまで直通列車はでていて、ロシア並みの広軌である。普通のコンパート方式の寝台車に、通路側にも進行方向に寝台があって、さすが広軌の車両は違うなあ、と感心した覚えがある。

 ここで細かく書く余裕はないが歴史的に見ると実に興味深い国であることがわかる。帝政ロシア、プロシャ、ドイツ、ソ連、自国、と100年の間に通貨が8回もかわった。
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