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破戒(島崎藤村) [札幌日記]

 iPadのおかげで、時間があればどこででも古典の文学に親しめる望外の楽しみを享受している。島崎藤村という当然若い頃読んでおかなければならなかった古典文学を、いまごろ読み始めた,というのも恥ずかしい限りではあるのだが、この年齢で読むからこそその奥深さも理解できる、という利点もある。小節を読むひとも、その時代、年齢、おかれた境遇、などにより,読み方が違って当然であるのだが、私は、それらを超えた何か大きなものを得たような深い精神的感動に包まれた。ホテルで深夜までかかって読み終わり、ただ、しばらく滂沱の涙にくれた。

 勿論ご存知の方も多いわけだが、ざっと筋書きをいえば、瀬川丑松、という「穢多」出身の青年が父の厳命により,その出自を隠して小学校の教員を務め、それが、少しづつ学校や村に知れ渡る過程をえがいたものがたりで、死を考えるほど苦しんだある日、丑松は父の厳命に背いて自らの出自を公にし、学校に辞表を出して(出さざるを得なくなって)決然と新しく生きる過程を描いたもの。「穢多」については、現代でさえタブーとされているくらいだから、藤村がこれを描いた明治39年といえば、「アンタッチャブル」といえるほど,その差別意識は強く、これをテーマに小説を書くこと自体、多大の物議をかもしたにちがいない。最近の文学でここまで感動を受けるものがあまり見当たらないのはわたしの不勉強のせいであることは疑いないが、「破戒」は,やはり古典としての大きな「風格」を感じたのである。「苦難を通して歓喜にいたる」というベートーヴェンの思想と何かあい通ずるようなおもむきを感じる。


 舞台に出てくる長野県北部、飯山地方の地名、とくにまだその頃は部分的にしか開通していなかった雪深い飯山線の沿線の町や村の名前の数々は長野に山荘を持っている私にはとくになじみが深く、小説に出てくる土地言葉も今なお、かの土地の人々の間で生きている。小説の中の人々の会話もまた、生き生きと迫ってくるようである。
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