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古代カルタゴ帝国(1) [古い旅のアルバム]

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1981年、ヨーロッパに出かけたついでにチュニジアに行ってみる気になった。と言うより、一度は行ってみたいと思っていた国である。私は昔は大の歴史嫌い。でも音楽を専門にしていると、自分の弾いている作曲家がどんな時代のどんな国にどんな環境で育ったか、とその時代の歴史を調べているうちに、だんだん西洋史を逆にたどることになり、ローマ時代まで行くと、もう我々の仕事とは関係なくなってしまう。それでもなおローマ史をたどって行くうち、3回のポエニ戦争で滅びた古代カルタゴ帝国を訪れてみたくなった。概して私は「勝った」国より「負けた」国の方の「なぜ負けたか」に興味がある。詳しくは書かないが、ローマと戦って滅びたカルタゴ帝国の歴史がなにか今の日本を暗示しているようで、経済一辺倒の国がどのような末路をたどったか、を見ておくのも無駄ではなかろう、と思ったからである。チュニジアはアフリカの地中海側の先端に位置し、昔フランスの植民地だった。シチリア島の先端から目と鼻の先にある。映画などで見る古代戦争はやはりどこか嘘っぽいが 、現地を見、石を丸く削った大砲の玉などゴロゴロしているのを見る方が実感がわく。

例によってホテルも予約せず、アラビア語とフランス語しか通じない国に突然、妻と二人、チュニス空港に降り立ったのである。だいぶん苦労はしたが、チュニジアから北西の郊外に行ったところに地中海を一望できるシ・ディ・ブ・サイードという素晴らしい観光ホテルを見つけることが出来た。ここに5日間ばかり逗留し、ここを拠点にさまざまなポエニ戦争関係の史跡を見て歩いた。もとより私は「鉄」であるからそれもおろそかにはしていない。この映像はその時の1枚。チュニス市内から、観光地シ・ディ・ブ・サイードまで約25キロ程度であろうか、郊外電車が出ていて、これを利用して史跡を見て回った。駅の名前にすら、ハンニバル何たら(アラビア語でほとんど読めない)という英雄の名前を冠した駅の名前がたくさんある。いまもこの国が古代カルタゴ帝国であり、チュニジア国民がハンニバルを誇りとしていることがよくわかる。ローマはこの国を徹底的に2度と立ち上がれないよう、町中に塩をいく層にも焼き払った廃墟の上に圧接した。チュニスはいま治安が混沌としていて旅行は怖い。いい時に行っておいたと思っている。

鉄道についてはそう見るべきものもないので、この旅行では付け足しなのである。付け足しにしてはずいぶんと電車の写真が残っている。このチュニジアン・ブルーのモダンなZパンタつきの電車はM・A・N製の固定2両編成。前面の窓が非対称で少し左寄りになっているあたり、昔のニッサン・キューブの後ろ姿を思い出さないものでもない。ものすごく暑い国だが冷房はなし。駅のあたりの樹木がいかにも南国らしい。プラットフォームも日本と同じで違和感がない。

ちなみに、チュニジアは暑いアフリカといっても緯度からすれば東京と似たような位置にある。

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