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AUDI [自動車]

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(これはおそらく、であるが新潟の佐渡へのフェリー乗り場での映像と思われる)

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AUDIは私の車歴の中でも特に思い出の多い車だった。多分ヤナセが輸入した初代アウディであったと思う。同時に発売したVWーPASSATとほぼ同じコンポーネントを使ったものだが、この赤いアウディは気に入っていた。ただ初代であったため、とくにエアコンが全く効かない、という故障には悩まされた。今では考えられないが、ヨーロッパでは当時、マイカーにエアコンをつける、という考えは、特別な高級車を除いてはほとんどなかった。でも日本ではすでに大衆車もエアコンは当然の時代であったから、日本向けにあわててつけたのが、車とうまくマッチしなかったのであろう。

私も元気いっぱいだったからこの車ではずいぶん走った。この時代、マイカーの派手な赤色はほとんどなかったから、よく目立ち、スピード違反でずいぶん捕まったのもこの車の色のせいではなかったか。まだ地方では未舗装道路が多かった時代である。佐渡島を一周したことがあった。当時、半分はものすごい悪路の連続であったが、それでもものともせず、特に道路の悪い島の北端の素晴らしい景色に魅せられて車も人間も頑張った。ずいぶんおなかもこすったが、やはりドイツ車、走りに関しては全くトラブルはなかったのはさすがだと感じ入ったものだ。あの絶景は忘れられず、その後舗装が完備してからもSLK230でも再び行っている。ここは三たび、またゴルフⅦで行って見たいと思っているところの一つ。北端にある佐渡フィッシャーズホテルはおすすめ。

もうひとつ、当時、私は東宮御所に今の皇太子殿下のピアノのご進講に定期的に通っていた。宮中から差し向けられる黒乗りのクラウンの後部座席にチョコンとおさまるのが私には何とも居心地が悪く、自分で車を運転して行きますから、と送迎を断った。当時、高輪に住んでいたので東宮御所までの距離はいくらでもない。ところが御所の通用門にはまことに似つかわしくない派手な赤色の車で乗りつけるものだから、毎回いろいろと詮索をされ、なかなか通してもらえなかった。侍従長に「毎回のことなのですからもう少しすんなり通してもらえるよう、ちゃんと通じておいてください」と頼んでおいてやっと何とかうまく行くようにはなった。30歳台最後の私のやんちゃ時代であった。

しかしAUDI時代にはいいことばかりあったわけではない。終わりの頃、私はひどいうつ病に悩まされたのである。当時はうつ病というのは現在のようによく知られた現象ではなく、わけのわからない様々の体調不良に音を上げ、いろいろの医者にかかり、はては怪しげな民間療法にまで手を出したが、一向によくなるどころか、ピアノにも、鉄道にも、世の中すべてに興味をなくして、正直、この車と共に死のう、と本気で考えた。そうなった時、自分が死んだら家族はどうなる、ということまで考えられないほど気持ちは追い詰められるものである。半年以上も悩んだ末、義兄の勧めで東大の精神科にかかった結果、うつ病の可能性が高い、ということになった。いくらかの抗うつ剤などで治療の結果、幸い徐々に回復をして、生気を取り戻した。それ以来現在に至るまでごく少量ではあるものの、ときおり抗不安剤の世話になる。それでも私の気持ちの持ち方もかなり自由になったので家族は気が楽になったとは思う。

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