3・11大震災あれから5年 [プライベート]
5年前のブログの記事を読み返してみたが当時のことについてあんまり大したことは書いていない。あまりにもことが大きすぎたのと、とりあえず自分は何をすべきかで頭がいっぱいでブログどころではなかったのかも知れない。震災が発生した当時、私は札幌大谷大学の学部長室におり、その夜行われるはずの卒業演奏会を実施するか中止するかの決断を迫られていた。助手から「奥様は無事であるという連絡が届いております」と報告があったので、東京の家のことは心配がなくなった。結局卒演は予定通り行われることになった。
今日はこれまで滅多にしないことだが、新聞に掲載された天皇陛下のお言葉と安倍総理の追悼演説に目を通して両者の内容を比較してみた。もちろん限られた時間内のコメントであるからどちらもいいたいことをすべていいつくしているわけではないが、やはり文は人柄をあらわす。
立場の違いもあるから単純に比較はできないかも知れない。とちらの追悼文にも必要なことはすべて触れられている。そこまでは全国民に聞かれ、読まれるのであるから一字一句考え尽くされたものに違いない。ただ違いは私の感想として、天皇陛下のほうがより具体的であるのに対し、安倍総理のほうは、どこかひとごとのような醒めたところがある。例えば、陛下のお言葉の中にあるような、漁船を守るために人々は勇敢に沖へ船をすすめた、というような具体性というか、より血が通っている雰囲気が伝わってくるのである。
どちらかというと型にはまりやすい形式的な追悼文にさえ、これほどの違いが出てくるところを見ると文章を書く、というのは怖いものだという実感がわく。
今日はこれまで滅多にしないことだが、新聞に掲載された天皇陛下のお言葉と安倍総理の追悼演説に目を通して両者の内容を比較してみた。もちろん限られた時間内のコメントであるからどちらもいいたいことをすべていいつくしているわけではないが、やはり文は人柄をあらわす。
立場の違いもあるから単純に比較はできないかも知れない。とちらの追悼文にも必要なことはすべて触れられている。そこまでは全国民に聞かれ、読まれるのであるから一字一句考え尽くされたものに違いない。ただ違いは私の感想として、天皇陛下のほうがより具体的であるのに対し、安倍総理のほうは、どこかひとごとのような醒めたところがある。例えば、陛下のお言葉の中にあるような、漁船を守るために人々は勇敢に沖へ船をすすめた、というような具体性というか、より血が通っている雰囲気が伝わってくるのである。
どちらかというと型にはまりやすい形式的な追悼文にさえ、これほどの違いが出てくるところを見ると文章を書く、というのは怖いものだという実感がわく。
2017-02-24 18:34
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