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尊厳死協会会員 [プライベート]

 タイトルからみると死ぬときにもみんなから惜しまれながら威張って死にたい、という風に見えるがそんな大それた事がその趣旨ではない。

 要するにもう回復する見込みがなければ、くだにつながれてまで無為に長く生きたくはない、積極的な医療をやめてください、と自分の意志を、判断力がはっきりしているうちに公表しておくのがその趣旨で、私たちは夫婦で会員になってもう数年たつ。死んだあとの墓の心配をするよりこの方がはるかに深刻で重要なのだ。会員の中には「道ばたで倒れていても救急車を呼ばないでください」という札を持ち歩いている極端な人もいるみたい。

 神様が「おまえを生きたいと思う年まで生かせてやるからいくつになったら死にたいか云え」といわれたらどう答える? 120才?いやいやまっぴら。 じゃあ明日? うーんちょっとなあ。というわけで結局分からない。バッハのカンタータの名曲のタイトル「Gottes Zeit ist die aller beste Zeit」(神の決めたもう時が最良の時)という言葉は大好きで、これはある意味仏教で云う「他力」の思想にも通ずるものだ。
 体が丈夫だから長生きをする、弱いから早く死ぬ、と決まったものでもないことは明らかで、医療の進んだ日本では長生きをするかどうかは誰にも分からない。私はもう70である意味充分生きたと思っている。いまの自分には音楽があるから生きている意味があるので、音楽と関われなくなったらもう生きている意味はない。私は信仰を持たないから来世は信じないし、死んだあとのことはどうでも良いのだ。旧約聖書にもあるではないか。「人間は獣と変わるところがない。誰が知るか、人間の霊は上に登り、獣の霊はしたに下るかを」(ブラームスの「4つの厳粛な歌」の歌詞のもとになっている)旧約聖書は人間のありようを幻想をまじえず、実に冷徹に見ているのだ。
 人間は奇妙な生き物だ。死後の自分の霊の存在を信じる! 私は人間以外にそんな動物がいるかどうか知らない。ネコとか、カバとかが、自分の死後の存在を信じて生きている風にはどうも見えない。私は弱虫だから苦しみながら死にたくないし、苦しみ続けながら生きたいとも思わない。だから尊厳死も、安楽死も苦しまないですむことなら何でもありだ、と思っている。前立腺癌を宣告されたときは、まあここまで生きたのだからもう良いか、という心境になったこともあったが、治ってみるともう少し生きてみるのもそう悪くはない、とも思うから、私の生き方は思想的にもきわめていい加減なのだ。

 


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