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人間の生きがい [日本ピアノ教育連盟]

 先日の会議で日本ピアノ教育連盟の創設以来、役員を務めて来られた何人かの先輩諸先生が勇退されることになった。副会長のお三方、副理事長を務められたT先生、いずれもこの連盟のいしづえとなった大恩人ばかりである。お近くにいる人間として胸の痛む思いである。
 もう5年以上も前から、ピアノ教育連盟の役員が高齢化しているから、若返りをしなければいけない、という話は出ていた。まことにその通りである。確かにこれらの方々は80歳か、それに近い年齢である。しかし、年下の人間が先輩の肩をたたくわけには行かない。本人がそう言い出さなければならない、ということは、これらの方々ご当人は十分にわかっておられた。しかし頭で理解しているのと、実際の感情とは必ずしも一致しないのが人間というものであろう。

 役員の定年制を決めよう、という話もずいぶん前からあった。財団法人とはいっても実態はボランティア団体の全国組織なので、普通の会社のように一律決めるわけに行かない。ご本人がお元気で、意欲満々であり、その人がいなくなったらその支部の存続が危うい、という事情も場合によってはある。

 そこでまず隗よりはじめよ、で支部はともかく、東京の本部はとりあえず、役員定年は75歳、但し1,2年の猶予期間も移行期としては認める、という線がいくつかの会合を経ているうちに出てきた。役員だからといって大した報酬があるわけではない。しばらく財政があまりよくない状態が続いたがそのときは役員も無報酬で文字通りのボランティアであった。最近少し財政の改善が見られたのと、財団法人で役員無報酬というのはまずい、という文部科学省の指摘もあって、ほんのわずかだが最近復活した。しかしそれは実際の仕事の内容に見合う、という額からははるかに遠い。しかしまあこれはそもそもボランティア団体として出発したのだからそれでも仕方がない。

 とはいうものの、である。人間はいくつになっても金さえあれば安んじて暮らせる、というものではない。金より必要なのは、自分は世の中でまだ必要とされている、という自負の念がないと生きていくのはなかなか難しい。先ほどの先輩の先生方の胸中を察して胸が痛む、というのはそのことなのだ。これは若い人にはわかってもらうのは難しいが自分のこの年になるとそれがよくわかる。よくわかるが、私はもうあと一期で会長をやめる、とこのブログであえて宣言しておく。そのとき生きていれば73歳。ちょうどいいのではないか。全役員が1度に変わると、外部からは何かよからぬことがあったのではないか、とへんに勘ぐられるおそれもあるかもしれないから、このように時期をずらして変わるのが多分いいのではなかろうか。


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makkie60

御心中お察しします。私たち団塊の世代は、学生時代に70年”安保”学生紛争を身を持って演出しました。今の東大、東工大、つくば大受験、入学生に安田講堂事件を切っ掛けに入学試験が無くなり、その学校の希望者は浪人するか他の大学に志望変更を余儀なくされたって誰が信じますでしょうか?我が母校G大でも、教員自宅レッスン謝礼問題で一応紛争を起し、1討論会が主体で授業は殆んど無い開店休業の70年過ごしました。その結果、師匠を始め教授業だけでなく、現場で実際活動されている先輩が多数教官として学校に戻られました。今、生え抜きだけでなく広く他の学校、国の出身者を先生に迎えるなんて、正に隔世の感がします。私も、関西の世襲を経験し、この紛争を一応”代議員”と謂うリーダー(ン?)として越え、留学、私大常、非常勤教員を経験、また障害者として名前だけイロイロな会の構成員に連ねていても、やはり現職教員や健常な方々が中心の世界を感じます。時代は世につれ移って行くんですね・・・少しセンチに為ってしまいました・・・店子マッキー
by makkie60 (2007-03-21 23:29) 

klaviermusik-koba

ブログを書いているうち、あなたのことも多少念頭にはいってiたのですよ。(K)
by klaviermusik-koba (2007-03-22 09:29) 

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