SSブログ

ショパンが弾いたプレイエル [ピアノ音楽]

 もう旧聞に属するが、ショパンが晩年スコットランドに旅行した時に使ったとされるプレイエルがあるコレクターの持っていたピアノの中から製造番号から特定された、ということはTVでも報じられたからご存じの方は多いと思う。これが事実とすれば、大変なビッグニュースというべきだろう。

 ショパンはイギリスを離れるとき、この楽器は売り払ったと伝えられている。これが誰の手に渡り、どういう経過を経て現在のような状態で保存されているかはよくわかっていない。しかしこれをぜひみてみたいと思うのは多くの人の願望であろう。何しろ、日本はオリエントエクスプレスでさえ、日本国内で走らせてしまう国柄だから、いずれ日本に送られて展示されることもあるかもしれない。同じ頃に製造された同じ型のプレイエルは日本にもあって、ショパン没後150周年のときにあちこちで展示され、私も何度かデモ演奏で弾いた経験がある。

 当時のピアノがどんなものだったかというのを、文字で書き表すのは大変難しいが、一言で言うと、全く別の楽器、と考えたほうがいい。ショパンのあの繊細な音楽はこの楽器があってこそ生まれたものだろう。現代のスタインウエイからはとうてい想像もつかないもの。プレイエルという楽器会社はもうとっくの昔になくなっていたと思っていたが、現在はどうやらドイツのシンメルというピアノ会社に合併されて生き残っているらしい。最近製造されたプレイエルはみたことがないから私は何とも言えない。それにしても何とか昔の伝統を残そう、という努力を続けているあたり、ヨーロッパの懐の深さを感じさせる。

 ショパンはこの時期、すでに体力がなかったのに、スコットランドのひどい気候のせいもあって、この旅行ですっかり消耗してしまったようである。それにしても、である。ほぼ同じ頃メンデルスゾーンは「エリア」の初演のため、ロンドンからマンチェスターまで行くのに、豪華列車を仕立てて旅行をしている。ショパンはなぜ少しでも楽な鉄道を使わず、馬車で旅行を余儀なくされたのだろうか。


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

Cobbeさんも由緒あるプレイエルをよく入手されましたねぇ。
イギリス国内にある古いプレイエルを探していて骨董品として入手したものと外電でも伝えられていましたが、Cobbeコレクションでロンドン東南にあるところで常設展示されているとも書かれていました。

ショパンの当時のピアノは完成途上のものというのもよく耳にしますが、やはりこの1840年後半のプレイエルも完成一歩手前のピアノだったのでしょうか?

それから、最後に渡英したショパンは経済的にも困窮しかけていた頃とも聴いていますが、その関係でまだ高価な列車は使えなかったのかなぁ、とも思ったりしますが・・・
メンデレスゾーンは当時でもずば抜けた富裕層ですから、豪華列車を仕立てられたのかなと思うと、ショパンの健康状態の悪化に伴う困窮に対して富裕なパトロンもなく、そういう境遇甘んじなければならなかったことに同情するしかないです。
by (2007-05-27 09:49) 

klaviermusik-koba

楽器というものは進化するのか、ただ時代の要請にに従って変化するだけなのかは早急に結論は出ませんが、ショパンは明らかにこのプレイエルという楽器に満足していたようですから、1940年当時完成していなかった、とはいえない、というのが私のいまの感想です。
ただ現在の楽器と比べるのは、当時3000人の聴衆を相手にすることはなく、サロンでのコンサートが主でしたから、比較することがあまり意味がない、という気もします。
by klaviermusik-koba (2007-06-07 09:30) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。