責任のとり方 [プライベート]
イージス艦の問題で大臣が責任を取るかどうかが取りざたされている。長の責任の取り方というのは難しい。世間の風当たりが強くなってきたら長が責任を取ってやめるのが通常で,私くらいの年になると,大臣ほどではないが,いくつかの団体の長を仰せつかっている。そして,どんな小さな団体であっても,なにも問題がない,という団体は世間に存在せず,大なり小なり必ず何かの問題を抱えている。もとより,問題の責任がその長にあることがはっきりすれば責任を取ってやめるくらいのことは,その立場にある人ならだれでもその覚悟でいるはずだ。
問題をなんとか解決するよう努力する,のは長の責任の一つでもあるのだが,それでも一人の人間のできることには限界がある。例えば,船が沈みそうになったときは,その責任を取ってまず船長を辞め,真っ先に船から逃げ出すだろうか。そうではあるまい。まず船員の安全を先に考え,いよいよどうにもならず最後になったら,自分も船とともに運命を共にする,というのが船長の責任の取り方とされている。なら,会社はどうだろうか。総理大臣ならどうか。大きな団体になればなるほど,自分の関わり知らないところで,不祥事が起こる。それをいちいち責任を取って辞めていたらクビがいくつあっても足りないし,それは人材のムダでもあろう。
格好は悪いがテレビの前で頭を下げ,まず本当に責任を取るべきはだれか,を見据え,問題解決のある程度の見通しを立ててから,やめるならやめる,その間,ものすごく格好は悪くても世間のつよい風当たりに耐えなければならない。これも長たるものの覚悟として常日頃持っていなければならないのだと思う。大分前の話になるが,私の友人である会社の取締役になったとたんに,事故がおきて責任を取らざるを得なくなった気の毒な人がいる。しかし彼はそれに耐え,きちんとやるべきことをすべてやってから辞任した。表面,さばさばしているように見えたが,その心中を察するに余りある。
すぐに責任を取ってやめる,というのは潔いようだが,ある意味,無責任ではある。
問題をなんとか解決するよう努力する,のは長の責任の一つでもあるのだが,それでも一人の人間のできることには限界がある。例えば,船が沈みそうになったときは,その責任を取ってまず船長を辞め,真っ先に船から逃げ出すだろうか。そうではあるまい。まず船員の安全を先に考え,いよいよどうにもならず最後になったら,自分も船とともに運命を共にする,というのが船長の責任の取り方とされている。なら,会社はどうだろうか。総理大臣ならどうか。大きな団体になればなるほど,自分の関わり知らないところで,不祥事が起こる。それをいちいち責任を取って辞めていたらクビがいくつあっても足りないし,それは人材のムダでもあろう。
格好は悪いがテレビの前で頭を下げ,まず本当に責任を取るべきはだれか,を見据え,問題解決のある程度の見通しを立ててから,やめるならやめる,その間,ものすごく格好は悪くても世間のつよい風当たりに耐えなければならない。これも長たるものの覚悟として常日頃持っていなければならないのだと思う。大分前の話になるが,私の友人である会社の取締役になったとたんに,事故がおきて責任を取らざるを得なくなった気の毒な人がいる。しかし彼はそれに耐え,きちんとやるべきことをすべてやってから辞任した。表面,さばさばしているように見えたが,その心中を察するに余りある。
すぐに責任を取ってやめる,というのは潔いようだが,ある意味,無責任ではある。
2008-03-04 16:45
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コメント(2)
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>すぐに責任を取ってやめる、というのは潔いようだが、ある意味、無責任ではある。
まったくもって同感です。私は長ではありませんが、この種の辞任・退任のニュースを読むたびに
「全部やってから、やめて!」とブツブツ一人で文句を言ってます。
すると、主人が
「まぁまぁ、そう熱くならずに・・・・」と脇で冷やしてくれますが・・・・
そうは言うものの、主人の仕事を見たり聞いたりしていると責任を取ることの大変さも痛感し、その事件に対して家族の私にも影響があるのです。
主人が高松のある長をしていたとき、私は妻としてかなりの影響を受け高松から東京への移動・引っ越しに全精力を注ぐ事件がありまして、泣きました。今となっては夫婦の良い?思い出ではありますが。
by ake_i (2008-03-06 11:34)
それが家族にも影響が及ぶのですよね。家族はある意味.一蓮托生みたいなところもありますから、これも運命、とあきらめるしか仕方のないことかもしれません。
by klaviermusik-koba (2008-03-06 16:54)