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フーガの技法(6) [ピアノ音楽]

10番のフーガ。これはかなり異色のフーガである。自筆譜には第1提示部がない。ということは初版の出版にあたって、第1提示部を後から書き足したということになる! バッハがあとで何度も手を入れるということは全く普通でそれ自体珍しくはないが、出だしの部分を、それもフーガを書き足す、というのはかなり異例である。

第一提示部がなくても、フーガとしての、それも2重フーガとしての体裁は整っている。ただ、それぞれの部分は全然バランスが取れていないが、音楽としてはすばらしい。弾いていてもコントラプンクトの全く自由な世界に遊んでいる、という感じがする。私の手元にあるBaerenreiter版には、「新しいテーマと変奏された基本テーマによる2重フーガ」とあるがもとよりこれはバッハ自身が書いたわけではない。

どれをテーマとみるか、どれを対位(contresujet)とみるかは見方が分かれようが、ここでは2重フーガと分析されている。ただ平均率の第1集第4番のフーガを3重フーガとみるなら、同じ理由でこの曲も3重フーガとみなければならない。だが私自身はこの10番は自由な3重フーが、とみる。3番目の主唱を第1の主唱から導きだされた自由な変奏とみるなら、厳密にいえばDoppelfuge(2重フーガ)であろうが、弾いている人間には3番目の主唱は気になる存在ではある。少なくともきちんとして独立した入りを持っているからである。このあたり、理論家と、実際演奏に携わる人間とは、皮膚感覚て異なる。

ここに私はバッハの究極的職人気質をみる。徹底したストレッタフーガ、自由な喜遊部(ほとんど即興的といってもいい)、一つのアイディアから次のモーティフの誕生とその展開、などを含みつつもある一つのまとまった形式に達しようと意識してさえいない。バッハはことさらにきれいなメロディを書こうとか、音楽的に書こうとかしなくても、バッハがかりに自分から望んでもどのひとつの音符も非音楽的には書けない、という希有な音楽家の一人といえよう。
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