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御料車の格下げ(プロシャ) [メルクリン]

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 この時代の車両について、わたしはこれまでほとんど知ることがなかったけれども、こうしてメルクリンを趣味としているといろいろな時代の車両について知ることが出来るのは楽しい。これは、42757という商品番号で出された、DR時代のInternationale Schlafwagen-Gesellschaftの4両セットになっている。面白いのは、CIWLの客車やDRの手荷物車などの編成にまじって、最大のみものはこのHofzug(ウィルヘルム2世の宮廷列車)お下がりの寝台車であろう。日本でいえば御料車を一般車に格下げしたようなもの、ということになるが、日本ではおそれおおくも一般車に格下げして利用されるなどということはあり得ず、即、鉄道博物館行きとなる。

 もともと、このHofzugはブルーとクリームの塗り分けで、かつてメルクリンからも発売され、拙宅にもワンセットあるが、ここではご覧のようなグリーンに再塗装されていて、MITROPAの金文字が美しい。これ以外の2両の食堂車と寝台車は茶色の塗装で、これは屋根の色が違う程度で、akiraさんのブログにあるのとほぼ同じもの。でも案外この編成には前のブログにのせたブルーの手荷物車が似合うのではなかろうか。機関車はS10か、P8あたりと思うが。。。

追記(1):御料車、という表現はドイツと日本の国情のちがいを考えると適当ではないかも知れない。日本でいうお召し列車は、所有者は省営鉄道、のちの国鉄でいずれにせよ、皇室が列車を所有したわけではない。国が所有している列車を皇室が「お召しになった」のに対し、ドイツはビスマルクによって統一されるまで、いくつかの王国に分かれていて、宮廷列車は王室が所有していたのである。それが王国が消滅し、ドイツ帝国になって、宮廷列車も「国有化」された、という方がより正しいのかも知れない。

追記(2):音楽の世界ではドイツではいまもKammermusiker(宮廷音楽家)という称号があり、宮廷という実態はなくなったが、勲章と同じように名誉職とされている。

追記(3):さらによけいなことをいうと、ベートーヴェンやゲーテやバッハはドイツ人、とみんな思っているがこれも厳密にいえば正しくない。何しろ、当時はプロイセンやザクセンという国はあったが、ドイツという国は存在しなかったのだから。え?そうすると豊臣秀吉は当時日本という国はなかったのだから、秀吉は日本人ではない? まいったなあ。。。。
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コメント 9

Akira

こんにちは、42757は素敵ですね。
しかし、ちょっとだけ訂正させてください。このモデルセットは「MITROPA」であり、書かれているCIWL(ISG)のモデルではありません。ご存知の様に、CIWLはラテン諸国を中心として寝台車/食堂車のサービスを行っていた民営会社です。「MITROPA」は旧東ベルリンに本社を持つ、ドイツ並びに東ヨーロッパに勢力を持つやはり寝台車/食堂車を運営する民間会社(半官?)です。
そのため、ヨーロッパでは、この2つの会社がライバルとして豪華さや快適さを競っていたので、混成して走ったことはなかったのではと思います。
by Akira (2008-05-17 22:47) 

klaviermusik-koba

ええ、そこのところがわたしによく分かっていないところなのです。確かにおっしゃるように、これはMITROPAセットで、CIWLに対抗するもう一つの寝台・食堂車会社、までは分かるのですが、セットついている解説書が正しいとすれば、「車両はCIWL、ドイツの各地方から集められた車両、それと、宮廷列車から(革命後)払い下げられたもの」とありますから、当然「もと」CIWLの車両もあります。もとより、標記はCIWLではなく、MITROPAではありますが、もともとはCIWLからうけついだもの(uebernommen)とあるので、「混成」という言い方は正しくないのかも知れませんが、実質、各地から集めた優等車の中に「もと」CIWLも連結していた、と私は理解したのですが。もしこの認識が間違っていたら教えてください。

もう一つ疑問点を。ISGイコールCIWLなのでしょうか。MITROPAは現在もある会社ですが、DSGはISGとは全く別に作られた会社なのでしょうか。ともあれ、このセットは全車両室内灯付きで、手荷物車のコレクターで集電して全車両にカプラーで配電されますが、まだやってみたことはありません。

ついでながら、1961年頃、ベルリンからミュンヘンへ帰るとき、はじめてMITROPAの寝台車に乗って、その存在を知ったのが始まりです。いろいろ社会体制の大きな変化にもかかわらず、1920年代から、現代にいたるまで存続している会社というのはすごいと思います。

by klaviermusik-koba (2008-05-18 09:14) 

Akira

失礼いたしました。元CIWLの車両からMITROPAに移籍した車両というのであれば、正解だと思います。当時のCIWLが運営していたNORD-EXPRESSなど中央ヨーロッパからロシアに向けて走っていたので、それら車両がMITROPAのサービスに変わったのかも知れません。

CIWLとISGですが、これは同じです。CIWLのヘッダーに書かれている文字を読めばわかると思いますが、有名な「Compagnie des Internationale et des Wagon-Lits Grands Express Europeens」
はCIWLの由来です。そしてもう1つの「Internationele Schlafwagen Gesellschaft」もありますが、これはそのドイツ語です。
CIWL/ISGはご存知の様に様々な言語の国を股がって運営されていましたから、このように会社名も2つの言語で書かれていたのだと思います。

DSGは、CIWL/ISGとはもちろん違います..というかライバル会社でした。戦前は統一ドイツの食堂車/寝台車サービスは主にMITROPAが行ってきましたが、戦後の東西分断で東ベルリン地区に本社のあったMITROPAがDRの食堂/寝台のサービスをおこなてきました。一方DBは当初MITROPAだったのですが、やはり東からのクレームでMITRIOPA-Westになり、その後DSGになりました。東西ドイツが統一されてから再びこの2つの会社も統合されMITROPAに戻ったと言う訳です。
ですから、DSGのマークが車体に小さく描かれていますが、それはMITROPA時代の名残だったようです。(車輪の形が若干オリジナルと違うところがミソ)

同じような現象は航空業界のDeutsche Lufthansaにもあったと聞いています。東独側の航空界社は当初Lufthansaだったのですが、結局Interflugという名前に変わりました。今はもちろんLufthansaに統合されています。

旧MITROPAの寝台車乗車など貴重な体験をされましたね。当時は、東西格差が広がり始めた時期でしょうが、車両はおそらくDSG時代のものだったのでは?重厚で落ち着いた寝台車の雰囲気はとても好きです。
by Akira (2008-05-18 10:51) 

klaviermusik-koba

なるほど、MITROPAとDSGの関係、よく分かりました。では統一されて再びMITROPAになった時点でDSGはなくなったのですね。

よく覚えていませんが、少なくとも東独になってから作られた車両でないことは確かで、重厚な作りでした。寝台が2段、3段にどちらにもセットできるようになっていて、1等が2段、2等が3段、というふうでした。わたしはもちろん2等切符でしたが、のったときは、がら空きでしたからどちらでもたいしてちがいはない、という印象を持ちました。
by klaviermusik-koba (2008-05-18 11:08) 

klaviermusik-koba

追伸:そういえば、当時はMITROPAとDSGの標記が両方存在し、私はそのときは、DSGは西のもの、MITROPAは東のもの、というふうに漠然と理解していたように思います。同じ列車に違う標記のものが同時に連結されていたこともあって、私は混乱したのだと思います。
by klaviermusik-koba (2008-05-18 16:16) 

Akira

>なるほど、MITROPAとDSGの関係、よく分かりました。では統一されて再びMITROPAになった時点でDSGはなくなったのですね。

その通りです。

>よく覚えていませんが、少なくとも東独になってから作られた車両でないことは確かで、重厚な作りでした。寝台が2段、3段にどちらにもセットできるようになっていて、1等が2段、2等が3段、というふうでした。

戦前から戦後のUIC-U形まで基本的には変わっていないのですね。
1等/2等を同じ部屋で変換できるのは優れものだと思います。
何故なら、1等乗客と2等乗客がどのくらいの割合で利用するのかその時々で違いますから、同じ部屋で2つの等級が出来るのは効率が良いです。当時の寝台車はS(1等シングル)D(1等ダブルというかツイン)、T3(2等トリプル)の3つのカテゴリーでした。
私も妻と2人で寝台車を利用したときはT3で切符を購入したのですが、大抵は2人だけなのでT3と言ってもDと同じ待遇でした。
また、親戚家族が遊びにきたときはT3を2部屋ぶち抜いてT6にして利用しましたが、これもSやDでも可能なので様々なパターンができます。機能的で効率の良いシステムです。
by Akira (2008-05-19 01:24) 

Akira

追記です。

先程、私が唯一持つEJ誌の別冊「75 Jahre MITROPA」という本(というより特集雑誌)で以下のことが確認できました。

CIWL(ISG)とMITROPAの関係ですが、まず欧州で最初に食堂車や寝台車のサービスを始めたのはベルギーのブリュッセルに本社を置くCIWLのようです。そして1896年にBerlinで発足したのがDESG(Deutsche Eisenbahn-Speisewagen-Gesellschaft)で、これが後のMITROPAやDSGの母体のようです。当初は、車両やサービス要員、食材からノウハウも含めてCIWLからDESGに供給していたと資料にはあります。DESGから1916年にMSGそして同年12月よりMITROPA名で運営が始まったようです。
by Akira (2008-05-20 08:36) 

klaviermusik-koba

やはりCIWLがいちばんのシニセで、DESGは競争相手、というよりは、私の勝手な判断では、ノウハウも含めて、広大なヨーロッパ全部に(多分当時はワルシャワはもちろん、モスクワぐらいまで)、さらにシベリア鉄道を通ってウラジオストックまで、ということにでもなればCIWL一社だけではとても対応しきれず、もう一つくらい協力会社が必要、となったのではないでしょうか。もしそうだとするなら、CIWLの車両がMITROPAに存在するのもごく自然な成り行き、ともいえますね。
by klaviermusik-koba (2008-05-20 20:04) 

Akira

どうもそのようです。しかし、戦争がこの状況を一変させたとも言えましょう。ご存知の様にCIWLのあるベルギー/フランス/イギリスなどは、当時のナチ政権にとって敵であったため、その後はMITROPAは当然独自の道を歩んでいったということだと考えます。
しかし戦争前は仰る様にMITROPAはCIWLの協力会社としての位置づけだったのかも知れません。(ドイツが統一されDRGになってからは、民族的にはあまり協力はできなそうですが...)
by Akira (2008-05-20 21:46) 

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