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戦後の苦労はドイツも日本も同じ [ROCO]

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 戦後の車両不足は日本もドイツも深刻で,焼け残ったありとあらゆる車両をなりふりかまわず最大限活用した。これもその一つで,3軸客車の台枠を利用して新しい車体をのせるのが,手っ取り早い方法だった。日本ではもともと17メートルの木造車だった台車に鋼製の20メータ車体をのせたものに,私は通学に随分世話になった(オハ30とかいったかな?)。もちろん乗り心地は言わぬが花であろう。

 ドイツも同じ状況だったが,戦前からある焼け残った3軸台車を利用して,2両を一組として近郊用の標準客車とした。これにも私はドイツでだいぶん世話になったものだ。この2両一組の全長が,26,4メーターとかで、これが現在のヨーロッパ客車標準の長さになったと聞いているが,もしそうだとすれば26、4メートルの因縁は戦前にまでさかのぼることになる。

 さらにこの写真はET85の電車の編成に3軸台車の客車を組み込んで車両不足に対応した,文字どおり苦肉の編成と言える。日本では客車が電車の編成に組み込まれることはほとんどなかったようだが,これはおそらく連結器の違いによるものと思われる。このROCO製の3両セットは私のコレクションではかなり古いものの一つ。アナログ時代のもので,モーターも粗悪、しばらく走らせているうちに煙が出て,コイルが焼けきれた。でも私はこのモデルにとても愛着があり,その後デジタルに改造してもらい,今も元気に走っている。

 この3軸客車を組み込んだモハ,サハ,クハの3両のセットで,電車と同じ色に塗られ,ナンバーまでEB85となっているから,完全に「サハ」化してしまったのだ。ちなみに,このHOとNの両方が我が家には存在する。
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