洗足学園ピアノ講座 [ピアノ音楽]
もう明日にせまった恒例の洗足学園のピアノ特別講座の内容のおしらせです。
来年ショパン生誕200年に向けての今年の出し物はショパンのバラード第3番が話の中心となります。この傑作が作曲された1841年、ショパンはパリに移って約十年、ピアニストとしての仕事も人間関係も順調にいっていました。
その頃のパリは激動の時代でもありました。と同時に、世界の大芸術家がパリに集結し、それぞれのジャンルを越えた親交を持って、ハイソサエティを形成していました。音楽家ではリスト、タールベルク、カルクブレンナー、モシェレス、マイアベーア、ドニゼッティ、ロッシーニ、ベルリオーズ、画家のアングル、ドラクロア、詩人、文人のボードレール、ミツキエヴィッチ、ジョルジュ・サンドなどが、歩いてせいぜい10分くらいのところに居を構えていたのです。中でもショパンとドラクロアの親交は興味深く、それぞれの芸術を尊敬し、刺激を受け合ったようです。
そんな中でバラード、スケルツォなどの傑作が多く生み出されましたが、今日はバラードを中心に最近使われることが増えたエキエル版をもとに、演奏解釈上問題になるいくつかの主な箇所を検証します。木曜日、洗足学園シティ2、18時30分より、どなたでも聴講可能ですので、お待ち致しております。
来年ショパン生誕200年に向けての今年の出し物はショパンのバラード第3番が話の中心となります。この傑作が作曲された1841年、ショパンはパリに移って約十年、ピアニストとしての仕事も人間関係も順調にいっていました。
その頃のパリは激動の時代でもありました。と同時に、世界の大芸術家がパリに集結し、それぞれのジャンルを越えた親交を持って、ハイソサエティを形成していました。音楽家ではリスト、タールベルク、カルクブレンナー、モシェレス、マイアベーア、ドニゼッティ、ロッシーニ、ベルリオーズ、画家のアングル、ドラクロア、詩人、文人のボードレール、ミツキエヴィッチ、ジョルジュ・サンドなどが、歩いてせいぜい10分くらいのところに居を構えていたのです。中でもショパンとドラクロアの親交は興味深く、それぞれの芸術を尊敬し、刺激を受け合ったようです。
そんな中でバラード、スケルツォなどの傑作が多く生み出されましたが、今日はバラードを中心に最近使われることが増えたエキエル版をもとに、演奏解釈上問題になるいくつかの主な箇所を検証します。木曜日、洗足学園シティ2、18時30分より、どなたでも聴講可能ですので、お待ち致しております。
2009-06-03 09:40
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コメント(3)
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バラードの3番は今再レッスン中なものですから、近場でしたら是非とも
聴講したいものですが、如何せん阿波の地なもので・・・
by 江州石亭 (2009-06-03 23:02)
あ、し、た、でしたか・・・
うーん、残念!伺えるものなら伺いたかったですが。
ドラクロワについては、大学2年のときに
フランス語の授業で集中的に取り上げているのを
必死でついていった記憶があります。
フランス語の斉藤先生の授業でした。
勿論、あのショパンの絵も出てきました。
今振り返ると、その授業を筆頭に、
「今受け直したら、もっと理解できたかもしれない」という
ちょっと後悔の多い授業が多いです。
気づくのはなんでも、遅い・・・
by K. (2009-06-04 03:20)
ドラクロアはロマン派の画家としての評価を確立した人ですが自分はミケランジェロにつながる「古典派」だといっていました。
ショパンも典型的なロマン派の音楽家、と思われていますが、やはり自分はバッハにつながる古典派、と思っているところが面白い。
少し年輩の古典派の最後の画家、アングルがもしかしたら音楽でいえばメンデルスゾーンに相当するかも、と私は考えています。
ドラクロアが、音楽も絵も、和声と対位法がなければならない、と考えているところがすごい。ショパンもやはりそう考えていたに違いない、と私は思います。まあそんな話から入りますから普通のピアノ講座とはひと味違う感じにはなると思います。
by klaviermusik-koba (2009-06-04 09:08)